第4話 過去
私は母子家庭で育った。
シングルマザーの弱点は経済力っていうけれど、お母さんは弁護士で質実剛健な人だから生活には困らなかった。
それでも、私が望まぬ妊娠の結果であることは変わらない。
愛情は感じていたし、邪険にされたわけではない。
でも私がいたらできないこと、私がいては行けないところへの未練をお母さんは隠さなかった。
望まれない子どもだと拗ねてはいなかったが、自然と距離はできた。
お母さんは距離をとる私に何も言わなかった。
この距離があることが私たち母子の自然体だったのだけど、周りの人たちは色々思うところがあったみたいで。
お母さんの育児はネグレクトの兆候がある「不安心な育児」に見えたようで、先生は何度も私に「大丈夫?」と聞いてきた。
あれが子どもの虐待予防に必要なことは分かっている。
だけど――。
遠巻きに観察する目。
大丈夫だと言っているのに納得しない表情。
幼い私はこれらにイライラした。
あの目が、あの表情が伝えてくるから。
あなたはみんなと違う。
早くみんなに合わせなさいって。
ある意味放任で育った私は、外の世界が鬱陶しく感じ始めた。
成長して想いや感情を言葉で説明することができるようになると、お母さんと私の間に交流が増えた。
人格形成には生活環境が大きく関係する。
私たちはよく似た二人になった。
よく似た女二人の静かな生活は楽で、私は満足していた。
要らぬ心配をされない知恵もついたことで周囲の干渉が減るかと思いきや、次は一人でいることを心配された。
内向的というか、孤独を好むタイプというか。
静かで落ち着いた環境に一人でいるのが好きだっただけなのだけど。
それに、好むだけで集団行動がとれないわけではない。
学校生活を送るのに不便はないし、問題もないはず。
それなのに周りは「いつも、みんなで」を強調してきた。
一人の時間を持たせてくれない外の世界がますます鬱陶しく感じた。
お母さんがお義父さんと結婚したのは、私が中学を卒業した直後。
このタイミングは周囲の必要以上の詮索を避けるためで、中二の頃にはお母さんから少し違う雰囲気が漂っていたから、あの頃には結婚を意識したお付き合いをしていたんじゃないかと思う。
お母さんとお義父さんの出会いのきっかけは私だ。
私の生物学上の父は、私が「お祖父ちゃん」と呼んでいる桜田グループ現CEO・桜田辰治の末のドラ息子。
お母さんとお祖父ちゃんの話から、生物学上の父については「私の認知を拒んだ無責任なろくでなし」と認識している。
真面目なお母さんとロクデナシ。
真面目な優等生がワルに惹かれるテンプレな展開で私は生まれたのかもしれないし、ワンナイトラブの結果かもしれない。
どちらにせよ生物学上の父への想いなど欠片もなく、私を育ててくれたことへの深い感謝を向けるのはお母さんのみ。
生物学上の父は交通事故で亡くなった。
彼は死の間際、お祖父ちゃんに私の存在を告白したという。
なんでかは分からない。
お祖父ちゃんも分からないと言っていたから、それが真実なら気の迷いか何かだろう。
お祖父ちゃんは過ぎるほどの行動派だ。
顧問弁護士に私たちを探すよう言い、見つけたという顧問弁護士に「私の死後認知をしたい」という伝言を託した。
本来なら私たち母子のところに来るのは顧問弁護士のはずだけど、彼は部下のお義父さんにその仕事を押しつけた。
仕方ないよね。
嫌な役目だもん。
いや、嫌な役目ではないな
お義父さん的には棚からぼた餅だったはずだ。
だって、初対面のお義父さんはとってもいい笑顔だった。
死後認知なんて中学生にはややハードな書類を持ってきたのに、お義父さんはニコニコ笑っていて、お母さんには熱い視線を送っていた。
あとで知ったことだけど、お義父さんはお母さんに一目惚れ。
そして私が帰宅し、「お金はあっても困らない」という理由から死後認知がどれだけ得かを中学生相手に説いたお母さんの姿に本気で惚れたそうだ。
お義父さんのこれに呆れてもよかったのだけど、「この年で恋するなんて」と照れ臭そうにはにかむイケオジのお義父さんが可愛くて、私の心はときめいた。
お義父さんは私たちがサインをした死後認知の書類を持ってお祖父ちゃんに報告。
私とお母さんについては、かなり誇張された報告をしたようだ。
お義父さんは二割増しした程度と言っていたけれど、翌日うちにやってきたお祖父ちゃんの勢いと期待した顔からみて二倍は誇張したに違いない。
生物学上の父である息子の不始末を詫びるお祖父ちゃんに対して、お母さんは淡々としていた。
お祖父ちゃんは「息子を亡くした私を気遣って」と感激していたが、あれはどうでもよかったのだと思う。
だって私がそうだから。
健康に育った中学生の子どもの生物学上の父親がクズだと聞かされても今さらだ。
お母さんの見た目は、年齢を感じさせない可愛い妖精さん。
その見た目により白けた態度は冷静沈着な姿にお祖父ちゃんには見えたらしく、大きな度量で全てを受け流したと勘違いをしたお祖父ちゃんは「こんな娘が欲しかった」とお母さんに惚れ込んだ。
惚れられて損はないと判断したお母さんはそれを黙って笑顔で受け入れていた。
お母さんは見た目ほど浮世離れしていない。
それどころかどっしり地に足をおろし、強かで、ちゃっかりしたところもある。
いろいろな書類にお母さんに言われるまま私は名前を書き、かの桜田グループの創始者一族の一員となったが、周りには知られていない。
四回結婚して三回離婚しているお祖父ちゃんには子も孫も大量にいるから、進んで「私は孫よ」とをやらない限り今後も周りに知られることはないだろう。
このイベントは祖父ができたという程度。
お母さんの再婚のほうが、苗字が変わったし、引っ越しもしたしでビッグイベントだった。
お母さんの再婚により私の環境は大きく変わった。
住む場所が変わるだろう程度にしか思っていなかったが、家族が増えたという状況は私を戸惑わせた。
お祖父ちゃんとお義父さん。
私とお母さんの二人の世界に初めて外から人がやってきた。
私もお母さんも速攻で他所からきた人を歓迎できるタイプではない。
お母さんは人生の経験値と、あとはお義父さんへの好意で、例え表面上であっても上手に受け入れているように見せれていた。
でも私には無理だった。
私を知ろうとしての行動だと当時も分かっていたが、事あるごとに私に構ってくるお祖父ちゃんとお義父さんに困った。
しかも二人は異性だ。
同性のお母さんとの暮らししか知らない私にとって、お義父さんとの距離感は難しいし、下着の洗濯とか生理用品とか気を使うことが多かった。
言葉を飾ればこんなもの。
簡単に言うと鬱陶しかった。
当時の私は思春期真っ只中の十代だった。
許してほしい。
子どもだったのだ。
許容量を超えた干渉を往なす技術がない。
でも「嫌いだ」と突っぱねる度胸もない。
結局は私は家にいづらくて、予備校に通うことにした。
遊び歩くのは趣味ではないし、なんか生物学上の父の二の舞になりそうで嫌だった。
でも、ほんの少しだけ新しい家族の枠から外れて一人になりたい。
だから私は自宅や学校とは違う地区にある予備校に通うことにした。
その予備校で私は七尾に会った。