第二章 崩壊と発芽
—痛み、喪失、沈黙から芽吹く幻視—
<雨垂れ>
軒の外
日向の葵が夕立に遭う
はらり振り返る少年は脇目も振らず
甲を差し出し腕を広げる
酸に侵された雨粒は容赦もなく
彼の甲を焼き腕を溶かす
それでも身を引かぬ少年映し
雨宿りの翁が目を細める
何が花の幸いかと
翁は若く爛れた白指を引き戻し
皺で包み込んで言う
天涙とは即ち
己が自重に耐えきれず
あふれこぼれたもののこと
それでは酸の時雨はいつ止むか
少年は細首を傾げて答える
すべてを流し終えた時
翁は深々と笑んだ
* * *
<流血>
芯が流した血は
赤色をこそげ落とし
瞳から零れ落ち
透き
塩辛く
傷にしみ
落ちた赤色は
瞳に滲み
腫らし
ただ
哀鬱に沈む
沈黙
沈没
陰鬱
駆り立てる悲夢に
抗え
* * *
<六月>
排気の昇る灼熱
突き破られる青
殺された梅雨
色づきを識る前に
褐色と散る紫陽花
ただ落花し
振り返る者も居らず
土壌に成り果てることも叶わず
排油と砂利の混合物に身を委ね
蝸牛の宿が焼き滅ぶ
蛙の涙では潤わぬ
誰かの唾では足りもせず
黙したまま
日傘を差し出し
花弁を根本の土に掃き寄せ
生まれ直すまでの番を
月夜に願う
* * *
<禁忌>
懐かしい
色
線
音
声
形
影
香り
輝き
過ぎ去ったものと
隔離し
隔絶させ
綴じ込めてなお
覗く断片ですら
魅惑的
蠱惑的
阿片的
手を伸ばせば、
届く、
しかし、
触れてはいけない
境界で一人
羊皮をめくる
* * *
<巡>
欠けていく
月が欠けていく
三日月はシリウスの下で
赤く笑っている
欠けていく
大事なものが割れていく
こぼれた砂は砂時計の腹へ
吸い込まれていく
時は
残酷だ
§
しかし月はまた巡る
必ず
月が生まれ直すまであと三日
大事なものの破片たちは
他の破片と混じり合い
また天から落ちて来る
* * *
<残滓>
夢の火柱
燃え上がり
水をかけられてもなお
くすぶり続け
灰の中から
傷花芽吹き
さてあいつは
摘むか手折るか
埋めるか殺すか
火の花粉が誇りと舞い
滅すことは許さぬと
蜂呼び子作り種を生む
* * *
<終焉>
禁断の
赤々しい
毒林檎に
まとわりつく露は
すでに透明たることを忘れ
血潮色に染まり
黄金の時を
打ち砕く
* * *
<希求>
漠然とした巨大な影
湧き迫る旋律
好物を口腔に詰め込もうと
蓋にはならず
唯、呑み込めぬ圧迫感に
儘、えずく
窓に雨
音吸われ
疎遠は積もり
叫しようにも
喉は塞がれ音も出ず
万一絞り出せたとて
この荒れ果てた打音の中
一体誰の鼓膜に届くというのか
吐き
泣き
叫べぬ叫びを捨てる
ーー誰か
* * *
<手数>
度重なる洪水
避難所を指折り数え
三本で足る
然るに
土砂が崩れれば
あちらも、こちらも、屹度
他方
ボートも
四輪駆動者も
螺旋翼機も
ならば
屋根まで登れば
指を三本
加えて折る
* * *
<約束>
突き抜ける
青色絵具の空が
どこまでも続いていくと
信じていた
あの頃
あるはずもない
最果ての地で
また会おうと
誓って
誰もが平等に
間違う道を
僕らは堂々
踏みしめ
黒い空へ吸い込まれ
星に
輝く
* * *
<一歩>
一歩
たった一歩
他の有能な駒が華麗に動く中で
一歩
ただの一歩
不恰好で単調な足運び
そして少女は気づく
わたしの知らぬ間にどうやってと
他の才能ある駒には成ることができない
ポーンだけの才気の果ての女王の冠
クラウン
自身が知覚する前に手に入れる覇者の証
ポーンの一歩が
化ける