妖精戦記3
〜超必殺技〜
その先。
嵐の中心に、3本角の、悪魔の姿が在った。
「フゥーーッッ!」
大きく息を吐き出し、魂気の乱れを落ち着かせる。
危なかった。
先の剛の一撃に柔ノ技で即座に反応できたのは、奇跡的だ。
択が噛み合わなければ、また死んでいた。
つう、と冷や汗が頬を伝うのを感じる。
(ーー早すぎる。)
そう、あまりにも早かった。
一撃目の衝撃をもろに喰らって、キロンもまた、無事であるはずがない。
はずなのに。
どういう訳か、奴はもう三刀身と満たない距離に居る。
ジラの思考によれば、俺が意識を飛ばしていたのだって、10秒にも満ちていなかったはずだ。
ハッとするより先に、半ば瞬間移動の様な速度でキロンが襲いかかってくる。
ーー見える。
魂気の流れ、関節の微動、重心の推移、瞬時に全てを判断し、次の未来に破壊が訪れるであろう座標を先読みする。それらをもたらすキロンの頭胸角を、正確にジラの左刃でいなす。
まるで信号が脳を介さずに身体だけが先立って反応するような、半ば反射的な攻防が、スローと刹那の表裏一体となり時間の感覚を狂わせる。
肝を冷やす感覚と、戦闘特有の高揚感とが漲るが、即座に敵の攻撃はその勢いでこちらの緊張を強要し、濁流の如くあらゆる方向から衝撃を叩きつけてくる。
剛ノ技、刺ノ技、柔ノ技のすくみに齟齬が生じれば、その瞬間に己の五体は敵の濁流に飲まれ、終いだ。
(…ぐッ!!)
早くもキロンの一撃一撃の重みに、ジラとの魂の繋がりがギシギシと悲鳴を上げ始めている。それを、身体の、魂の奥底で感じる。あまりの攻撃の重圧に、魂気の本流ごと侵食され始めてゆくような危機的状況が身体を支配し、己の本能が最大音量で警鐘を鳴らしていた。
(…一撃が、重いッ!)
身体に直撃などすれば、間違いない。ジラの外骨格ごと、俺の柔らかい肉など容易に奴の角を受け容れ、通し、胴は泣き別れとなる。
道理に反した眼前の存在に、精神が納得を拒み、混乱しているのを感じる。
ーー信じられない強さだ。これは一体、どういうことだ。
あり得ない。本当にあり得ないのだ。キロンは、変身しているわけではない。
「変身」は、戦闘において”目的”となり得るほどに、圧倒的なカードである。莫大な魂気の消費やバディとの絆、そもそも物理的に身を裂かれる激痛に耐えうる精神力など、要求される要素が困難な割に多く、その敷居があまりにも高いことを除けば、その費用対効果は文字通り圧倒的。いや、”絶対的”である。
変身が出来ない者と、変身が出来る者とでは、はっきり言ってしまって勝負にならない。
そう、奴は既に主を失い、魔一つの身で戦っている。それがどういう訳か、変身した俺を、力でも速さでも凌駕しているのだ。しかも、奴は既に致命傷を受けている。右前肢は俺に切り飛ばされ、左眼は割れ潰れ、胴体には穴が空いている。そもそもこんな状態で、こんなにも動けて良いはずがない。
思えば、奴に捕まり、片腕を持っていかれたあの瞬間から既に、全てがあり得ない。ーーいや、超必殺を防がれた、あの瞬間からーー
ーー違う。
目の前の事実は現実であり、起こっている現実に対して理詰めしたところで、それは何の解決にもならないのだ。全てを凌ぎ、打開を探れ。そう、前だけを、見ろ。
(化け物が…!)
一つ選択を誤れば致命が確定してしまうような、極めて繊細な攻防のぶつかり合いが、舞い狂う花弁達の中に無数の火花を生じた。
視界を、夜の闇と花弁とが覆ってゆく。 嵐の如く吹き荒れるキロンの魂気に、肉体ごと吹き飛ばされそうな浮遊感すら覚える。 発熱と魂気の奔流に晒され続ける脳が冷却を求め、100%の出力で酷使され続ける全身が、悲鳴を上げている。
そしてそれらは、僅かな所作の粗として、その姿を現し始める。
ーーこのままではまずい。
あまり遠くない将来に、限界の糸を感じる。
そんなリョウの懸命の踏みとどまりを嘲笑うかのように、キロンの攻撃の苛烈は一向に緩む気配がない。いや、寧ろーー
(止まるな止まるな止まるな!!)
己の理論値をひた超え、捌き続ける。臨界点を超えた肉体はついに決壊し、右肩の傷が開いて血と魂とが再び漏れ出す。これ以上の魂気の流出は、致命的となり得る。
引き絞ろうとするが、あまり意識を割けない。動きを止めることなど、とても出来ない。今、この瞬間に。この攻防に。それ以外に割ける余力が、何処にも無いのだ。
ーーだが。そうーー
諦めるつもりなど、毛頭無い。
(ぐぉお!!)
ビシッ…。
何か決して傷の付いてはいけない物に。その何処か深い処に。取り返しのつかないような傷が入ってしまった感触ーー
甚急的に強烈な不快感が全身を駆け巡る。それは悪寒となり、限界を越えた肉体全体を、ぞわりと舐め回す。
吐き気を催す寒気が、魂の楔を侵食し始める。
ーーくそッ、保たない!!
このままでは、変身が、保たない。
まずい。このままでは。このままでは、敗けーー
刹那、崩れ始める己とジラとの繋がりの最中。
その最中によぎる予感に、一閃突き抜けた。
千を超える攻防の最中に、一度あるかないかの、好機
ーー予感する。
いけるか
諦めずに読み続けた未来が、確かにその千載一遇を保証する。
あぁいける! 次の一手で作れる!
全身を舐める強烈な悪寒を跳ね除け、視点を絞り、歯を食い縛る。
「ーーォォ!!」
声にならない叫びと共に、キロンの頭角の一撃に合わせ、右肩の引き締めていた魂を解放した。
待ち望んだかの様に、血と魂気とが入り混じりながら、勢いよく溢れ出す。
溟い夜の闇に、桜色の花弁と赤を帯びた金色とが、濁りを生じた。
しなやかなムチの如き動きと速度とで左刃を操り、己の右に迸る魂気をキロンの頭角になぞり置く。
その重心を僅かに左手に逸らす。
僅かに、崩れる。
ーー覚悟しろ
「うぉおお!!!!」
限界まで食い縛った歯と共に、ジラの左刃に、練り上げた残りの魂気を集中する。
刀身から、ぶわりと水の煌めきと魂の黄金とが迸り、幾筋もの細く短い光の流線を生じた。
己の全身全霊を賭け、僅かに崩れたキロンに向って全てを集中させる。
斬る!! 狙うは残りの肢!
「ウ゛ゥゥウ゛ゥワ゛ウゥゥゥゥゥゥゥゥルルルル!!!!!!」
腹の底から、ジラの渾身の咆哮が飛び出した。
いくぜ相棒!!
悲願の悪鬼を打ち滅ぼさんと、極限まで圧縮された超必殺が対象に矛先を向け、夜の嵐に放たれた。
「エクセキューショ・シエラ!!!!!」
幾重もの光の束が生じる。
放たれた流線は、青と黄金をその全身に纏って美しい放物線と成り、無数の花弁達を無慈悲に天に舞き上げた。