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異世界恋愛もの短編集

王太子は婚約破棄騒動の末に追放される。しかしヒロインにとっては真実の愛も仕事に過ぎない

作者: 福留しゅん

「エリザベス! お前との婚約は破棄する!」


 貴族の子息の学び舎たる王立学園において年に一度開かれる卒業生を祝う場にて、王太子殿下は婚約者である公爵令嬢のエリザベス様に向けてそのように宣言なさいました。あまりに突然でして、会場にいらっしゃった方々の注目を残らず集める程でした。


 王太子殿下の口調はまるで毛嫌いする……いえ、もう憎悪の対象に向けてものだったと言えます。それほど重く、冷たく、鋭く。もし言葉が刃になるんだとしたら今頃公爵令嬢様は身体中串刺しになっていたことでしょう。


「そして、私は今ここで男爵令嬢パトリシアと婚約を結ぶことを表明する!」

「嬉しいですヘンリー様ぁ」


 そして、口角を釣り上げた王太子殿下は男爵令嬢のパトリシアの腰に手を回して自分の方へと引き寄せました。パトリシアもまた猫を撫でるような甘い声を出して王太子殿下へすり寄ります。意図的にか無意識か、中々豊満な胸を押し付けるように。


 はっきり申し上げますと、こんなのは異常事態としか表現出来ません。

 いえ、正確にはこのお祝いが始まった時からその兆候はありました。


 まず、学園を卒業する貴族のご子息、ご息女の方々の大半はすぐ後にご結婚なさいます。これは卒業と同時に大人の仲間入りとみなされるためです。よって、卒業生を送る祝いの場では卒業生は伴侶となる婚約者とともに入場するのが通例となっています。


 しかし、エリザベス様はなんと単身で姿をお見せになったのです。

 そして、王太子殿下はこともあろうに男爵令嬢を連れ立ってきました。


「……まず、理由をお聞かせ願えますか?」

「ふんっ。相変わらず無愛想でつまらん奴だ。お前のような小うるさく意地の悪い女と結婚するなどありえん。その点、パトリシアは私に優しく、可愛く、一緒にいて楽しい。お前を見限るのは当然だろう」

「私とヘンリー様の婚約は王家と公爵家の絆を確かなものとするためのもの。愛があろうがなかろうが、私達は夫婦にならなければなりません」

「その偉そうな態度が気に入らんと言っている! 私はパトリシアと出会い、真実の愛に目覚めたのだ! お前など必要無い!」


 王太子殿下の決別宣言は、けれど観衆を驚かせませんでした。

 むしろ漂うのは大半が呆れ、諦め。一部はよくぞ言ったと盛り上がりましたか。


「パトリシアさんとの出会い、とは今からおおよそ一年前でしたか」

「ああそうだ。あの時からパトリシアは私が守ってやらねば、と思ったものだ」


 王太子殿下と男爵令嬢の出会い、それは王太子殿下とエリザベス様が最高学年に進級し、男爵令嬢が新入生として入学した頃の話です。男爵令嬢が足をもつれさせて転んだ時、王太子殿下が優しく手を差し伸べたのでしたね。


 それから王太子殿下と男爵令嬢が時間を共にする機会が度々ありました。学園活動費用や学法、行事を司る生徒会の役員に選出されてからは毎日のように交流を深めていましたね。


「それだけではないぞ。貴様は事あるごとにパトリシアを誹謗中傷したではないか!」

「いくら寛容な学園という空間の中でも節度がございます。パトリシアさんはヘンリー様に馴れ馴れしく接しすぎでしたので注意したまでです」

「貴様のことだ、どうせ口汚く罵ったのだろう!」

「あの程度を罵りと仰られますと、もはや私は黙るしかありませんわ」


 当然ですが異性と交流するな、とまでは言いません。それでも婚約者のいる殿方に気安く声をかける、身体に触れる等していては咎められても仕方がありません。ましてや相手は王太子殿下なのですから、言われなくても弁えるのが当然でしょう。


 初めのうちは寛大だったエリザベス様も段々と見過ごせなくなり、何度か男爵令嬢に注意しました。ですが男爵令嬢はあろうことかそれを王太子殿下に報告、王太子殿下がエリザベス様に怒ったものですから、事態は悪くなる一方でした。


「それに貴様はこの前の夜会でパトリシアの正装に難癖をつけたではないか!」

「それは王太子殿下が婚約者たる私を蔑ろにしてパトリシアさんの正装を準備したからでしょう。そればかりか宝飾品も彼女にあげたそうですね」

「パトリシアの実家の男爵家は貧乏だからな。夜会に相応しい衣装を用意したまでだ。まさか学園の制服で参加すべきだった、とでも言うつもりか?」

「学園にはそんな事態も想定して何着か貸出用の正装もあったでしょう。男爵家の懐事情は皆様ご存知だったんですし、借り物を着たって別に恥でも何でもありませんわ」

「どうだか。貴様のことだ、みすぼらしいだのと嘲笑ったことだろうな」

「……他の方は知りませんが、私はそんな真似は致しません」


 王太子殿下はよほど男爵令嬢を気に入ったのか、過度に甘やかすようになりました。男爵令嬢との時間が婚約者と過ごす時間より多くなりましたし、何かと男爵令嬢に貢ぐ……もとい、贈り物をするようになったのです。


 勿論エリザベス様は苦言を呈しましたが王太子殿下は聞く耳を持ちませんでした。それどころか僻みだの妬みだなどとエリザベス様を口撃なさったのです。ああそうそう、あとエリザベス様に何か贈っても反応が薄くて面白くない、とも仰ってましたね。


「さらに、貴様はパトリシアを迫害していただろう!」

「身に覚えがありません。注意、指導こそすれ、彼女を傷つける真似など……」

「しらばっくれるな! 貴様を崇拝する者がパトリシアに何をしたか、知らぬとは言わさんぞ!」

「それについては私からも彼女達に注意しています。私に怒りを向けるのはおかしいとは思わないのですか?」

「はっ、連中を問いただしたら口を揃えて貴様のためにやった、と白状したぞ」

「成程、私の名を騙っていたのですね。今後のお付き合いの参考に致します」


 当然王太子殿下と男爵令嬢が仲睦まじく学園生活を送る光景を好ましく思わない者達もおります。むしろ貴族令嬢の多くがそうだった筈です。そのうちの何名かが過激にも男爵令嬢に直接分からせようとしても、何も不思議ではないでしょう。


 例えば筆記具や教科書等を壊されたり、わざとぶつかってこられたり、会話の輪から仲間外れにしたり。陰湿な、しかし大事にならない絶妙な手口で男爵令嬢の心を追い詰めていったのです。


 ですがそれでも王太子殿下の男爵令嬢の交流……いえ、交際は続きました。いえ、むしろ障害が出現する度に更に深まったとも言えます。

 男爵令嬢が傷つけられると王太子殿下は彼女を更に守りたいと思うようになり、男爵令嬢もそんな頼もしく優しい彼に惹かれていったのです。


「挙句の果てに暴漢を雇ってパトリシアを襲わせた! 絶対に許るわけにはいかん!」

「あのですね。そんなことをして私に一体どのような利があるのですか? もしパトリシアさんが暴漢に滅茶苦茶にされていたとしたら、ヘンリー様はパトリシアさんを汚らわしい女だとお見捨てになったんですか?」

「そんなわけがないだろう。どれだけ汚されようが傷つこうが、最後にこの私の傍にいてくれればいい」

「なら、そんな無意味なことは致しませんわ。万が一実行に移すにしても、奴隷として遠い南の国に連れ去ってもらうかしていたでしょうね」


 くっくとお笑いになったエリザベス様はとてもお美しく、同時に恐ろしかったです。


 ちなみに事件は男爵令嬢が学園から帰る途中で起こりました。人気の少ない道で男爵令嬢は暴漢数名に襲われました。

 宗教的な理由で貞淑だの純潔だのが尊ばれるので、男に乱暴されたとあっては王太子殿下はおろか他のどの殿方ともまともに添い遂げられなくなります。雇い主はそんな明確な悪意から暴漢をけしかけたのでしょう。


 幸いにも男爵令嬢はすんでの所で王太子殿下に救われました。大切な想い人を襲った輩を王太子殿下は許しておけず、彼は初めて人を殺めました。それでも飽き足らず、男爵令嬢が止めるまで王太子殿下はもはや息をしない暴漢に剣を振り下ろし続けました。


「ところで暴漢で思い出したのですが……その日は王宮に戻らなかったそうですね」

「当然だ。下賤な男共に襲われたんだぞ。深く傷ついたパトリシアを放っておけるか」

「それで未婚の男女が同じ屋根の下で一夜を明かした、と?」

「下衆の勘繰りだぞエリザベス! 私とパトリシアが褥を共にしたと言うのか!?」

「事実はもはやどうでもいいでしょう。王太子殿下ともあろうお方がそのような疑惑の種を生んだのが問題なのです」

「ふん。そこで愛する女性を放置する奴など男ではないな」


 確かに王太子殿下の仰るとおり男爵令嬢との淫らな行為は無かったでしょう。

 ただし、それはその日に限っての話です。


 男爵令嬢は暴漢に襲われたせいで男性に恐怖心を抱くようになり、王太子殿下がつきっきりで癒やすようになっていきました。震える男爵令嬢の身体を王太子殿下が優しく抱きしめることも何度かありましたね。


 極めつけは、王太子殿下が男爵令嬢に愛の告白をなさったことです。夕日で茜色に染まる学園、人気の無い場所でお二人は接吻を交わしたのでした。最初は軽く唇が触れ合う程度に、けれど段々と相手を求めるように深く濃厚に。


 王太子殿下と男爵令嬢は男女の関係になった。

 学園内でそれを疑わない者などもはやいないでしょう。

 それほどまでに二人は愛を育んでしまったのです。


「よって貴様はこの私に相応しくない! 分かったか!?」

「全く分かりませんが、その命令承りました。これより私とヘンリー様……いえ、王太子殿下とは何の関係もございません」

「初めからそれだけ聞き分けが良ければまだ可愛げがあったのだがな」


 エリザベス様は王太子殿下に恭しく頭を垂れました。婚約者としてではなく王家に忠誠を誓う公爵家の娘として。

 聞き分けがいい、とでも思ったのでしょうか。王太子殿下は満足気に笑みをこぼすと、抱いていた愛する男爵令嬢へと口付けしました。


「パトリシア。これで私達を阻むうるさい奴は消えたぞ。幸せになろう」

「ヘンリー様ぁ。わたし、この日が来るのをずっと待ってました」


 男爵令嬢が浮かべる天真爛漫な笑みは貴族令嬢が社交界でしてはいけない類です。

 喜怒哀楽をそのまま表に出すのは下品である。それが常識らしいので。


 ですがそれもその筈。男爵令嬢は男爵家に養子として迎え入れられたんですから。

 大方男爵が下半身を緩くして愛人と子を作ったんだろう、と言われています。


 そんな素朴な女性に王太子殿下が惹かれたのをあえて例えるなら、そうですね……庭園の薔薇ばかり見てきたお坊ちゃまが野花を綺麗だと思う感じですか。貴族令嬢に飽きた彼の周りにいなかった女子にまんまと釣られたわけです。


「それで、このような公の場で婚約破棄を言い渡した理由をお聞かせください。皆を巻き込まずとも二人きりの時に言い渡せば宜しかったかと」

「当然皆に知ってもらいたかったからだ。いかに貴様の心が醜く浅ましいかをな。現に貴様は自分の罪を認めずに言い訳ばかり並べているではないか」

「……。この婚約は王家と公爵家で結ばれたもの。国王陛下と父の宰相閣下には話を通しているのですか?」

「父上も宰相も理解してくれるに決まっている」

「つまり、事後承諾を取るつもりだ、と仰るのですね?」


 王太子殿下がエリザベス様に愛想を尽かしたにせよ、真実の愛を貫こうとするにせよ、このやり方は実にまずいです。あまりにも自分勝手で周囲が見えておらず、迷惑を掛けるどころか自分の破滅すら呼びかねないのに。


 何故なら貴族の婚約とは家同士の契約。それを勝手に反故するどころか当主の許しを得ていないだなんてありえません。今回は王太子殿下が一方的にエリザベス様を突き放したんですから、非は全面的に王太子殿下にあります。


「では父には私から報告しますので、国王陛下には殿下からお願いします」

「いや駄目だ。貴様のことだ、自分は悪くないと嘘八百を並べるつもりだろう。宰相を誤解させないためにも私から説明する」

「……そうですか。どうぞご随意に」


 エリザベス様は会釈し、祝いの場を台無しにしたから早退すると告げて踵を返したその時でした。会場入口から物々しい雰囲気が漂い、扉が開かれたのです。現れた方々に一同が臣下の礼を執りました。あの男爵令嬢ですら。


 姿を見せたのは国王陛下ご夫妻と宰相閣下ご夫妻、そして王弟殿下でした。

 王太子殿下とエリザベス様の卒業祝いですので親が参加するのはごく自然なことですが、国王陛下御自らが姿を見せるとあれば緊張が走るのは無理がありません。


「ヘンリーよ、これは一体何の騒ぎだ?」


 国王陛下は厳格な声で息子に問いかけました。

 王太子殿下は仰々しく頭を下げ、これまでの経緯を説明しました。いかに自分が男爵令嬢を愛しているか、いかにエリザベス様が醜いか。とても誇らしげに、自分が正しいと信じて疑わずに。……周囲の視線には全く気づかないで。


 実に滑稽な道化ですね! 宰相閣下が怒りで顔を真っ赤にしていますし、公爵夫人は今にも扇をへし折りそうですし、王妃様は今にも気絶しそうですよ。極めつけが国王陛下で、一見表情を全く変えていませんが、目が全く笑っていません。


「――といったわけですので父上! パトリシアとの婚約を認めていただきたい!」

「……」


 この空気の読めなさはある意味羨ましい限りです。


 ひとしきりの説明を聞いた国王陛下は眉間にシワを寄せて王弟殿下と小声で話し合います。それから再び王太子殿下の方を向きましたが、先程までと打って変わって顔を引き締めていました。そう、父としてではなく国王として。


「ヘンリー。現時点をもって王太子の地位を剥奪。王家より除籍とする」

「なっ……!?」

「そして国王たる余の命令に逆らった罪への罰として国外追放に処す」


 そして、自らの口から重い処分を告げました。


「な、何故ですか!? どうしてこの私が王太子失格だと……!」

「黙れっ!」

「ひっ!?」


 国王陛下に怒鳴られた王太子殿下は情けない悲鳴をあげました。これが男爵令嬢を守るんだと息巻いていた彼だなんて想像も付きません。


「宰相の娘エリザベスとの婚約を決めたのは余だ。それを身勝手にも破棄した貴様は余の命に逆らった反逆者に他ならぬ。自害を命じぬだけ慈悲深いと思え」

「それはあんまりです! 私は何も悪くない! 全部エリザベスが――!」

「もはや聞くに耐えんな。おい、早く此奴を黙らせろ」

「な、何をする貴様ら……!」


 国王陛下が従えていた近衛兵達が王太子殿下を取り押さえ、彼の口元を布で縛り付けました。

 王太子殿下は何やら文句を言っているようですが、もがもがとしか聞こえてきません。あと口で息出来ないせいか鼻息が荒いです。組み伏せられているので今の殿下は皆に見下される状態。どのような感想を抱いたでしょうか?


 殿下を見つめる眼差しは様々。驚愕に彩られた方もいれば失笑を含める方もいました。国王陛下は失望、王妃様は絶望、公爵夫妻は憤怒、王弟殿下は軽蔑でしょうかね。エリザベス様は……殿下を視界に収めてすらいませんでした。


「ほら兄上、言ったとおりだったでしょう? 王太子は自分が正しいと思いこみがちだから、物事を偏って見てしまうって」

「少しでも公正に調べればエリザベスが潔白だとすぐに分かっただろうに……。ヘンリーに期待した余が愚かだったのか?」

「息子に期待するのは父親として当然です。残念ながら彼が応えなかっただけですから、兄上がそこまで悲観しなくてもいいかと」

「残念だ。あやつでもエリザベスが支えれば無難な王になれただろうに」


 国王陛下はエリザベス様の方へと歩み寄り、なんと頭を下げました。


「すまなかった。愚息のせいでそなたにつらい思いをさせた」


 君主たる国王が謝罪するなんて、権威が崩れるので決してあってはなりません。

 それだけこの度の王太子殿下がしでかした失態が重大なんでしょう。


「いえ。とうの昔に王太子殿下との歩み寄りは諦めていたので、それほどでもありませんでした」

「それでは余の気持ちが収まらん。ついてはエリザベスよ、そなたの願いを何でも聞き届けよう。余の権限が及ぶ限りな」

「希望、ですか……。本当に何でも構わないのでしょうか?」


 エリザベス様は下げていた頭を少しだけ持ち上げ、瞳だけを動かしてある一点を見つめました。それに気付いた方はごく少数だったでしょう。しかしエリザベス様はすぐに目を閉じて顔を軽く横に振りました。


「いえ、ここで身勝手な願望を叶えてしまっては王太子殿下と同じです。お気持ちだけ頂戴いたします」

「しかしだな……」

「兄上。無理強いはよくありません。何も今この場で決めさせなくてもいいでしょう」

「……そのとおりだな。では一旦保留としておこう」


 ところで、と王弟殿下は続けました。


 王弟殿下は善良な人には誰にでも優しいのです。部下はおろか王宮使用人、平民、農民、奴隷にすら。笑顔を絶やさず、悩みを打ち明けても真摯に聞いてくださって共に解決しようとしてくださる。なのでとても人気がありました。


 そんな王弟殿下ですが、表情こそ公の場に姿をお見せになる時のように朗らかな笑みをこぼしていますが、国王陛下へ向けるその目はとても真剣でした。多分、ほとんどの方が今のような王弟殿下をご覧になったのは初めてだったかと思います。


「いくら王太子に全面的に非があったとしても婚約破棄されたことには違いありません。今でこそこの場にいる者達が証人となって真実を把握してくれますが、後世では一連の出来事をどのように記録されているでしょうか?」

「無論、エリザベスの悪評が立たぬようにする。そして彼女に相応しい男を見つけるつもりだ。場合によっては同盟国の王家に伺いをたててでもな」

「才色兼備な彼女を他国へくれてやるなど正気とは思えませんね。それより、この一件で生じた問題を全て解決する方法があります。私にお任せを」

「お主にか? ……良かろう。此度の騒動はお主の進言をまともに聞かなかった余にも責任がある」


 国王陛下の許可を頂いた王弟殿下は微笑をたたえ、ですが浮足立つ心をかろうじて抑えるように、会釈した後、エリザベス様へと歩み寄りました。そして彼女の前まで着くと、なんと跪いたのです。


 王弟である彼が公爵令嬢に、ではありません。この行為の意味を知らぬ者はこの場にはいないでしょう。ご令嬢や夫人方は歓声を上げ、男性陣もまた感嘆の声をあげました。王太子殿下が台無しにしたこの場が盛り上がります。


「エリザベス。私と結婚してほしい」


 そう、それは求婚。皆は一世一代の大舞台を見ているのです。


「ずっと好きだった。ヘンリーとの婚約が決まった時は嫉妬でこの胸が張り裂けそうだった。けれどエリザベスが幸せになるならそれでいいと自分を納得させていた。だがもう自分の心は偽れない」

「王弟殿下……」

「ゴードンだ。昔のように呼んでくれないか?」

「ゴードン様……!」


 エリザベス様は感極まって涙をこぼし始めました。手袋をつけた手で何度も拭いますがとめどなく溢れ出てきます。せっかくこの日のために決めてきた化粧は台無しでしたが、むしろ彼女本来の……いえ、今まで以上に美しさが際立っていました。


「私、夢を見ているんじゃないですよね……? ゴードン様だったら私みたいな子供なんかよりもずっと相応しい素敵な女性が大勢いらっしゃいますのに……」

「私はエリザベスが一番可愛いし素敵だと思っているよ。他の女性に目移りしろだなんてエリザベスも残酷なことを言うね」

「本当に、本当なんですか……?」

「勿論だ。私はエリザベスを絶対に悲しませないし、ずっと幸せにしてみせる」


 王弟殿下は優しくエリザベス様の手を取り、その指に口づけしました。見ている側まで痺れるような甘美なものでした。


「私も、私もずっとお慕いしていました……! でも絶対振り向いてもらえないからって自分の心に蓋をして、公爵家の娘として……」

「それ以上は言わなくてもいい。今まで良く頑張ったね」

「ゴードン様……。勿論です。これからもよろしくお願いいたします」

「……ありがとうエリザベス。とても嬉しいよ」


 王弟殿下はおもむろに立ち上がってエリザベス様を見つめると、両腕を軽く上げて更に彼女へ歩み寄りました。エリザベス様は躊躇うこと無く彼の胸に飛び込んでいき、二人は熱く包容を交わしました。


 もう二人の目にはお互いしか映っていません。周りがいくら騒然となろうと耳に届いていないでしょう。二人して相手のどこがどれだけ好きだったかを告白しているようで、求めるように口付けに至るのにそう時間はかかりませんでした。


「どういう、ことだ……? ゴードンとエリザベスが?」

「うむ、仲良きことは美しきことかな」


 意外な展開に盛り上がりを見せる観衆を余所に、これまでエリザベス様が隠してきた恋心なんて知らなかった国王陛下は間の抜けた声を発しながら王弟殿下とエリザベス様を交互に見つめ、逆に公爵閣下は満足そうに何度も頷いていました。


 やがて周囲の方々は叶わぬと思われた恋の成就を祝福し始めました。拍手や歓声にようやく気付いたエリザベス様は、涙を浮かべながら、これまでにない美しさに満ち、幸せそうな笑みで「ありがとう」と感極まったお礼を述べました。


 さて、そんなおめでたい空気を壊す要素があるとしたら二つほどございます。


 その筆頭である王太子殿下はイモ虫のようにのたうち回りながら何か呻きちらします。エリザベス様へ恨みを込めた眼差しを送っているので、婚約していながら浮気していたのか、辺りの恨みを言おうとしているのでしょう。


「国王陛下、準備が整いました」

「う、うむ。であるか」

「それでは最後の許可を」

「……許可する。二言は無い」


 公爵閣下に耳打ちされた国王陛下は思いつめた表情で重苦しく返事をしました。公爵閣下はそれを受けて手を挙げると、近衛兵達が王太子殿下を引きずり、そのまま会場出口へと向かっていきます。


「元王太子殿下の新たな旅立ちだ。皆さん、盛大に見送って差し上げましょう」


 公爵閣下は厳格に、けれどどこか嬉しそうに言い放つと、皆様もそれに乗って王太子殿下の退場を見送りました。

 当然ですがこれは娘を弄ばれた公爵閣下の嫌がらせ以外の何物でもない。皆様も公爵閣下に乗って追放処分となった王太子殿下を嘲笑っているのですがね。


「さて、罪深き者はもう一人おったな」

「離してよ! あたし何も悪いことしてないじゃないの!」


 騒動の元凶が消え去って、もう一人の原因の断罪の時間がやってまいりました。 男爵令嬢が近衛兵に拘束された状態で国王陛下の前に引きずり出されたのです。

 騒がしく喚いて暴れる姿は先程まで自分が守らねばと殿方に思わせる気弱さはどこにもなく、放っておけばどこにでも生えてくる雑草のように思えるでしょう。


「ずる賢い女だ。国王陛下がご来場なさった直後に息を潜ませて王太子から距離を置こうとするとはな」


 そう王弟殿下が暴露するとおり、男爵令嬢は国王陛下がやってきてからすぐさま王太子殿下から離れ、殿下が滑稽な一人芝居をしている間に距離をおき、殿下が捕らえられて皆が注目する隙に会場をあとにしようとしたのです。


 けれどそんな逃走はお見通しだったらしくてすぐさま捕まりました。そして必死の抵抗も虚しく国王陛下の御前に連れてこられたのです。

 王太子殿下に対してとは打って変わり、陛下は男爵令嬢を憎悪を込めて睨みつけました。あまりに恐怖を覚えたため、男爵令嬢は軽く悲鳴をあげました。


「男爵令嬢パトリシア。貴様がヘンリーを籠絡してエリザベスを追い落とそうとしたことは既に調べがついている。これはヘンリーとエリザベスの婚約を決めた余の意に背く反逆行為と見なす。よってヘンリーと同じく国外追放を言い渡す」

「ちょ、ちょっと待ってください! わたしはただ親切にしていただいたヘンリー様への恩返しをしたかっただけで、エリザベス様を破滅させたかったわけじゃあ……!」

「黙れ! 貴様の発言を許した覚えは無い!」

「ひ、ぃっ!?」

「連れてゆけ。もう此奴の顔も見たくない」


 国王陛下が顎を動かして促すと、近衛兵は男爵令嬢を強く突き飛ばして歩かせようとします。けれど男爵令嬢はなおも食い下がって国王陛下の御前にやってきました。それがどれだけ無礼な行いだろうと、必死の命乞いに比べれば、でしょうか。


「でも、わたしのお腹の中にはヘンリー様との赤ちゃんがいるんです!」


 そして、とんでもない事実を暴露しちゃいました。


 騒がしかった会場内は一瞬にして静まり返ります。王妃様はあまりの衝撃から卒倒なさって公爵夫人に支えられました。国王陛下もまためまいを覚えたのか身体をふらつかせましたが、こちらも王弟殿下に支えられて事なきを得ました。


「エリザベスよ……今のこの娘の発言は、真か……?」

「王太子殿下とパトリシアさんが一夜を共にしたのは事実です。先程殿下もお認めになられました」

「ゴードンよ……この娘に赤子が宿っているとぬかした医師を問い質せ」

「既に取り調べましたが妊娠は本当のようですね。それと密偵に彼女の身辺調査もさせましたが、肉体関係にまで至ったのは王太子だけだったようです。処女受胎でもしない限りは王太子の子でしょう」

「なんということだ……」


 国王陛下の嘆きはこの国を治める君主のものとは思えないほど弱々しいものでした。ですが、だからと馬鹿にする者はこの場にはおりません。愚かな息子に育ててしまった憐れな父がそこにいるだけですから。


 しかし弱音を吐いたのはそれっきり。次に顔を上げた時にはその面持ちは既に国王のものへと戻っていました。そして一層厳しい眼差しを男爵令嬢へと送ります。口を開け、沙汰を下そうとして……一回顔を横に振りました。


「……既にヘンリーは廃嫡済みだ。ならば貴様が宿している子は王家とは何ら関わりのない存在。命令に変更は無い」

「そ、そんな……!」


 きっと後先考えていない王太子殿下に怒り狂い、殿下を誑かした娘を憎んだのでしょう。国王として命じたらどんなに恐ろしく惨たらしい罰すら下せたのに、陛下は国王であることを選んで感情を飲み込んだのです。


 しかし男爵令嬢はそんな温情などお構いなしとばかりにエリザベス様を睨みました。もはや健気で可愛かった少女の面影はどこにもありません。化けの皮が剥がれた、とはまさにこのことでしょう。


「アンタのせいよ! あたしはきちんと『フラグ立て』したのにアンタがちゃんと『悪役令嬢』を演じてなかったせいで全部狂ったのよ!」

「……!?」

「あたしが『ヒロイン』なのにどうして『バッドエンド』になってるのよ! 『悪役令嬢』の方が国外追放されないなんて『バグ』だわ! 『ざまぁ』なんて嫌よ!」


 などと供述していますが、『フラグ立て』も『悪役令嬢』もその他諸々もこの国の人々には全く聞き覚えのない単語でした。とうとう頭がおかしくなったか、と思う方が大半でしたが、ごく一部の反応だけは異なりました。


 エリザベス様は顔を青ざめさせながら身体を震わせました。会場内は熱気に包まれてむしろ少し暑いぐらいでしたが、身も凍るほどの何かを男爵令嬢から感じたのでしょう。そんな怯えた彼女を王弟殿下が優しく抱き締めました。


「大丈夫。私が付いているから。あと少しだろう?」

「ゴードン様……」

「何をしている。早くこの小娘を連れて行け。もはや国王陛下やエリザベスの毒だ」


 王弟殿下が命じると近衛兵達は男爵令嬢を乱暴に押して連行していきます。会場を去っていく男爵令嬢は更に意味不明な戯言を口走りますが、もはや誰も聞こうとしていません。


「折角だから我が娘と王弟殿下との恋の成就を祝って乾杯といこう」


 公爵閣下が仕切り直しの発言をなさった直後、男爵令嬢は会場から締め出されたのでした。



 ■■■



「パトリシア……今後私達はどうなるんだ……?」

「……」

「国外追放と言われたが、どの国に連れて行かれるんだ? 野蛮な国は嫌だし雪国も寒そうだな……」

「……」

「いくら金をもらえるんだ? まさかこの身一つで放り出されるんじゃあないよな?」

「……」

「身分剥奪と言われたが私の血筋は否定しようがない。そこをどう活用して取り入るべきか……」

「……」


 王太子殿下と男爵令嬢は狭い馬車に押し込められ、月が輝く夜の世界を移動しています。殿下は相当不安なのか次々と悩みを口にします。男爵令嬢が一切答えなくても次の悩みに移るのですから、単に和らげたいだけでしょう。


 対する男爵令嬢は健気だった学園での彼女とも、先程国王陛下の御前に晒した『ヒロイン』とやらの彼女とも違い、何も表情を浮かべていません。ただ夜の景色を眺めているだけでした。


「これはきっと神が私達へ課した試練なんだろう。なに、愛に障害はつきものだ。パトリシア、二人して乗り越えていこう」


 王太子殿下は男爵令嬢の方へと手を伸ばしましたが、彼女の手を掴むことはありませんでした。なんと男爵令嬢が手を動かして殿下を避けたのです。拒絶とも取れる反応に殿下は困惑しました。


「ヘンリー様。そのことで一つ申し上げたいことがあります」

「な、なんだ? そんな急に改まって」

「まず前提から明かしますが、エリザベス様はなんと『転生者』なんですって」

「……何だって?」


 あまりに突拍子もなかったためか、王太子殿下は混乱するばかりでした。ですが男爵令嬢はそんなことはお構いなしに独白を続けます。


「エリザベス様が『転生者』として目覚めたのはヘンリー様と婚約する前。生死をさまようほどの高熱がきっかけだったそうですが、そこであの方は当時慕っていた王弟殿下に告白したそうです。自分は『悪役令嬢』なんだ、と」


「この国の今の時代は『乙女ゲーム』の舞台なんですって。いずれ現れる『ヒロイン』が王太子殿下方素敵な『攻略対象者』に見初められて、最終的に『悪役令嬢』は『ヒロイン』にいじめでは済まされない多大な罪を犯しかけて断罪されます。突然破滅の運命が待ち受けていると知った彼女の不安はどれほどだったでしょうか?」


「王弟殿下は密かに愛するエリザベス様を救うため、公爵閣下の協力を得ながら下準備をしていきました。まず断罪の要因となった『悪役令嬢』の傲慢さを矯正し、周りのご令嬢方と友好関係を築かせました。エリザベス様が『悪役令嬢』のような真似をなさるはずがない、と思わせるためのようですね」


「と、同時にエリザベス様が最も恐れていた『ヒロイン』の登場を阻止するため、前もって消えてもらうことにしたんですって。そう、『乙女ゲーム』の『ヒロイン』に至る筈だった、本物のパトリシアさんにご退場願ったわけです」


 そこまで男爵令嬢が語った時、突然馬車が急停止しました。何事だ、と王太子殿下が外へ視線を移すと、街道の端にもう一台馬車が止まっていました。ただ目の前に別の馬車が停車しても何ら行動を起こす気配がありません。


 すると、男爵令嬢は扉を開いて下車したではありませんか。王太子殿下が男爵令嬢の後を追おうとしましたが、乗ってきた馬車の御者が剣を喉元に突き付けて阻みます。殿下は何が何だか分からないといったご様子でした。


「そして『物語』を円滑に進めるため、王弟殿下は我々に代役の派遣を依頼したのです。こうしてわたしがパトリシア、つまり『ヒロイン』になってエリザベス様や王太子殿下の御前に現れたわけですよ」


 男爵令嬢……いえ、もう仕事は終わりましたのでその役は用済みですね。改めまして、わたしは元王太子殿下にはにかみました。殿下は町娘がするような屈託のない笑顔がお好きでしたから、こんな風にしたことはありませんでしたね。


「つまり、ヘンリー様は犠牲になったんですよ。エリザベス様の救済のために、ね」

「騙していたのか……? パトリシアは、私を騙していたのか!?」

「ですからわたしはパトリシアでは……いえ、ちょっと待ってください。そう言えば組織では番号しか与えられていませんでしたね。うん、でしたらこれからはパトリシアって名乗っちゃいましょう。ヘンリー様、その名前はありがたく頂戴します」

「そんな事を言ってるんじゃない! 私達は真実の愛で結ばれただろう……!」

「楽しかったですよぉヘンリー様との恋愛ごっこ」


 何の感慨も湧かない、とまでは申しません。わたしだって血の通った人間ですもの。ヘンリー様を愛したのは本当ですし結ばれた時はとても嬉しかったです。この時が一生続けば、とまで願ったほどに情が移りましたもの。


 ですが断罪劇を決行するとなれば話は別。そこまで至ってしまえばもはや『ヒロイン』か『悪役令嬢』のどちらかが負ける以外の道が残されていません。でしたらわたしは与えられた任務を全うするまでです。


「そしてヘンリー様。貴方様とはここでお別れです」

「は……!? 何故だ!?」

「王弟殿下は『乙女ゲーム』どおりに『ヒロイン』が現れてもヘンリー様がエリザベス様を悲しませなければ身を引くつもりだったのですよ。なのに『ハニートラップ』にかかる体たらく。建前では国外追放処分としましたが、どうやら王弟殿下の怒りはそれで収まらなかったようで」

「何、だと……? では私は一体どうなるのだ……?」

「さあ? 任務と関係ない依頼人の意向など存じません。わたしは任務完了となったので祖国へ戻る次第です」


 ちなみにわたしが『ヒロイン』としてヘンリー様にねだった宝飾品の数々は返上しました。ヘンリー様ったら『ヒロイン』に貢ぐために王家の私財をちょろまかしていたらしいので、その穴埋め分ですね。

 祝いの場で身につけていた指輪や首飾り等も没収されましたから、わたしにはこの無駄に豪華で使い道のない悪趣味な正装だけが残された次第です。あとは先程頂きましたパトリシアという名前、そして……、


「君は一体、何者なのだ……?」

「ああ、そう言えばネタばらしをした以上は正式に名乗らねばなりませんね」


 わたしは準備されていた祖国行きの馬車に乗り込む前に、元王太子殿下へ恭しく一礼しました。学園にいらっしゃったどのご令嬢からも馬鹿にされないほど優雅に、丁寧に。そして『ヒロイン』のパトリシアらしくなく、けれどわたしらしく。


「ご要望とあればどのような『ヒロイン』や『悪役令嬢』も派遣いたします。私共はいかなる婚約破棄も承る秘密結社、悪役令嬢協会でございます」


 わたしはそのまま顔を上げずに馬車に乗り込みました。そして御者さんにお願いしてすぐに出発してもらいました。後ろからヘンリー様がわたしの名を呼ぶ声が聞こえてきましたが、耳をふさいで聞こえなかったふりをしました。


「任務達成お疲れさまです」


 外で馬の手綱を握る御者からねぎらいの言葉を受けました。彼女は養子になった男爵家で働くメイドでしたが、その正体は組織との連絡係です。と同時にわたしの監視役でもあったんでしょうが、唯一心許せた人、という点の前では些事でしょう。


「ありがとう。わたしは契約通り口封じはされないのですよね?」

「はい。『攻略対象者』との子宝を成した暁には免除とする、との契約どおりです」

「なら今後はどこに配属になるんでしょう?」

「後進の育成、または後輩の任務の助勢でしょうか」

「……そう」


 悪役令嬢協会。その歴史は数百年前まで遡ります。


 当時周辺国家を従えるまでに強大だった王国は『転生ヒロイン』の到来で滅亡の危機に瀕しました。どうやら王太子や宰相嫡男といった方々が『ハーレムルート』にやられたせいで婚約者のご令嬢とそのご実家が破滅したのが要因だそうですね。


 それをきっかけとしてわたしの祖国、つまり公国は『乙女ゲーム』を逆に武器とし、周辺各国に『ヒロイン』や『悪役令嬢』として育成した少女を派遣する組織を作ったのです。それが悪役令嬢協会の始まりでした。


 その存在を知っている者は一部の権力者のみ。『乙女ゲーム』の運命を覆そうとする方、逆に助長して成り上がろうとする方など、様々な動機で協会は活用されましたが、『転生者』の好きにはさせない、との組織の目的は一貫しています。


 故に、その存在は秘匿。


 現に王太子殿下や公爵令嬢のエリザベス様すら知りませんでしたね。

 多分この国では国王陛下と王弟殿下、そして宰相の公爵閣下ぐらいですか。


「よろしかったのですか? 協会が仲介すればこの国の王太子を公国に迎え入れることも出来たでしょうに」

「それは依頼人の意向に反します。依頼人はあの方を許すつもりがないようです。……わたし個人に意見を挟む権限はありません」

「……。そう仰るのでしたら」


 さようなら、ヘンリー様。そしてわたしの愛した方。

 ですがこれは許されない愛です。それを分かっていながら貴方様を地獄へ引きずり込んだわたしをお許し下さい。

 そして……ヘンリー様から頂いたこの子宝はわたしの我儘に過ぎません。わたしが愛されていたって証がほしかっただけなんです。


 こんなにも別れが辛いなんて。

 役目に徹すれば最後に容赦無く切り捨てられる、だなんて嘘。

 教わったとおりに振る舞えば男なんて容易い、だなんて嘘。

 『ヒロイン』と自分は別なんだから悲しみようがない、だなんて嘘!


 わたしは涙を流した。

 今日、わたしは大切な存在を二つも失ったからだ。

 『ヒロイン』パトリシアとしての自分と、愛していたヘンリー様を。


「もう、『ヒロイン』なんて嫌ぁ……」


 こう嘆くぐらいは許されますよね?

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