誤算
小さな会議室。円状のテーブルに、丸椅子が周りを囲うように設置されている場所にて。
ルシル、ヒュンフ、ゴルド、レイア、リーン、カーラ、ルーベルがいる。
「リーン?どうしたのですか?」
椅子に座っているレイアが隣のリーンに話しかけた。リーンの様子が不思議だったからだ。
「なんでもないよ。なんか寒気が……」
リーンは少し顔が青ざめていた。
「体調が悪いのでは?」
「うん……そうかも。でもすぐ治るから大丈夫だよ」
リーンは笑顔を見せた。
何故、レイアとリーンが会議室にいるのかというと、
レテシア国本都の近くの街、フォーレイへの退避の計画を練るためだった。
フォーレイはリーンの生まれ故郷。
リーンが地理に詳しく、住民の退避の先導役に適任だった。
レテシア本都の住民たちは大移動をしたわけでもないので、疲れてはいないが、
ルシル達自警団の街の住民達には疲労の色が見えるので、
まだ退避は始めない。しかし、いずれフォーレイに移動することになる。
リーンに先導役を任せるべく、話し合いが行われていた。
「フォーレイまでみんなを連れて行って、そのあとはどうすればいいの?」
リーンは首を傾げた。
「そのままフォーレイで待機して、本都から連絡が来るまで待っていてほしい」
ルシルは答えた。フォーレイなら安全だ。
「わかった。自分にできることをやるって決めたから、私がやる」
リーンは強く頷いた。
レイアは微笑した。
リーンが少し変わったようにレイアには見えた。
心の中の勇気を手に入れている気がする。
本来持っている素敵な無邪気さと、勇気がある。リーンがさらに魅力的になったような。
リーンはやはりこの自警団に必要な存在だ。
昔、レイアはリーンと話したことがあった。
リーンは、レイアが羨ましいと言ったことがあったのだ。
しかし、レイアのほうこそリーンが羨ましかった。
レイアの目に、リーンはとても魅力的に映るのだ。
みんなから愛される愛嬌。
そして、自分を見つめる力を持っている。
本心をひた隠しにし、偽りの自分を動かすレイアとは違う、と思っていた。
リーンは正直だ。真っすぐなのだ。
今のリーンなら、フォーレイへの移動も、とても安心して任せられる。
レイアが暖かい目でリーンを見つめていると、ヒュンフが喋りだした。
「本当にフォーレイは安全なのか?」
「え?」
リーンが驚いた。そんなこと疑ってもいなかったからだ。
「本都から少し離れた場所にあるとはいえ、狙われない保証はあるのか?」
場が静まり返った。カーラは少し考え込んでいる。
「大丈夫。フォーレイは話によれば、本都の海岸沿い。本都とは少し距離がある。
そして、防衛設備も無ければ、拠点として使えそうな設備もない。
落とすメリットが無いんだ。相手はフォーレイの存在自体を知らないはずだ」
ルシルが強く断定した。心配のしすぎだと。
「……そうか」
ヒュンフはぎこちなく頷いた。
「リーン達を心配する気持ちはわかるが、固くなってると軸がぶれるぜ」
ゴルドはヒュンフの肩を叩いた。
「住民のためだ」
ヒュンフはリーンの成長を買っていた。
戦えないながらも出来ることをする。良い心がけだ。
しかし、ヒュンフの心は冷めている。
人間は簡単に寄り添ってくる。そして裏切る。
他者への期待、信頼がいかに無駄であるか。
今度の戦いでも、他人は深く信用しない。
自分の戦い方をするだけだ。
ヒュンフは自分の中に、少し虚しさが居座っていることに気がついていなかった。
「ふーん、フォーレイね」
ベルーナ帝国本都にて。
バラージに口添えするようにと、ジャコンに頼まれたレイジスが、
城の右手にある図書室にいた。
司書が一人いるだけ。そこにレイジス。
本棚が一定のスペースを開けて、多量に並んでいる。中の本はぎっしりだ。人気はない。
さっきまで、レイジスはレテシア国についての地図を探していた。
そして数多にある本の中から、レテシア国の地図を発見した。
ベルーナとレテシアの国境の砦。北西方面にレテシア国本都。そしてその海岸沿いに……。
「ここに逃がすでしょ」
レイジスは一人で笑みを浮かべながら、呟いた。
レイジスは、本都を制圧することだけを考えているわけではなかった。
無意味な虐殺をしようとしている。
しかし、誰も意見など出来ようはずがない、とレイジスは思っていた。
バラージの口から、レイジスに協力するように言われれば、誰も意見できない。
レイジスは満足そうに手に持った本を棚に戻した。
もう不要な物だ。大体覚えた。
バラージの元へ行かなければならない。
しかし、ジャコンもつくづく情けないものだ。
剣の腕も無ければ人徳もない。小賢しいのが取柄くらいだ。
自分が王になった時のことを、レイジスは考えた。
ベルーナ帝国は、強い国だ。
武力国家にしよう。周辺の中立国と戦うのも悪くはない。
人が恐怖する姿が見たい。戦乱の世になれば多くの悲鳴が聞こえてくるだろう。
レイジスは機嫌良く、バラージの元へ向かった。
玉座の間。赤い玉座にバラージが座っている。
ひじ掛けに添えた腕は微動だにしない。
レイジスの赤い髪のように赤い絨毯が、バラージまで伸びている。
兵士達はいない。バラージ一人だ。
玉座の間に、レイジスが入っていった。
バラージは近づいてくるレイジスに気が付くと、ひじ掛けから腕を戻した。
「バラージ様、要件があり参りました」
レイジスは丁寧に一礼して言った。一応、様付けである。
「何の用だ」
バラージは無愛想だが、嫌な顔はしていない。レイジスを買っているのだ。
「レテシア国侵攻のことです」
「それは気になっていた。ジャコンはどこへ行った」
バラージは顔をしかめた。
「ええ、なんか、失敗したらしいですよ。侵攻」
レイジスは笑った。
「なんだと?馬鹿な、相手はあのレテシア国だぞ」
バラージの声に少しだけ怒りが見える。
「そうなんですけどね。なんでも、相手にドラゴンがいるみたいなんですよ」
「ドラゴン?伝説上の生き物だ」
「しかし現実です。城に逃げ帰ってきた兵士も証言してますよ」
「……そのドラゴンのせいで負けたと?」
「そうなんでしょうね」
「……ジャコンを呼べ。責任を取って死んでもらう」
バラージは難しい顔をしている。
「まあまあ、ちょっと待ってくださいバラージ様。ジャコン、あいつはなかなかよくやってますよ。
これはジャコンの案ですが、悪のドラゴンに正義の兵士達が傷つけられた。
悪のドラゴンを打ち倒すベルーナ帝国。大陸の英雄。悪くないでしょ?」
レイジスは、バラージに幻想を提供した。バラージは少し、考え込んでいるようだ。
「ふん……いいだろう。しかし二度目はない。レテシア国ごときに苦戦するとは、
我が国の恥さらしだ。兵たちをもっと動員して、思い知らせねばならぬ。我が国の強さを」
「俺が行きますよ」
「行ってくれるか、レイジス。ならばお前が兵たちを導け。最強の剣士の実力を見せてみろ」
「報酬は?」
どうせ、全部俺が手に入れるんだけどね、とレイジスは心の中で笑いながら言った。
「金銀財宝、なんでもくれてやろう。ただし、帰還した際に侵攻の内容の説明をせよ。物語は面白い」
バラージが珍しく笑顔になっている。
戦争を物語と呼ぶその姿は、どこか浮世離れしているように思われた。
戦いを、お話くらいにしか思っていないのだ。
「全兵力を持って、踏みつぶしましょう。さて、どうするかな、ドラゴン……」
二人とも笑っている。
笑いながら、人の幸せを踏みつぶす。
自分の事しか考えていない。
人の悲しみがわからない。
哀れである。
「レテシアに偵察部隊をまず出しましょう。我々の兵は、まだ揃わない。
俺が目をつけている所があるんですよ」
レイジスは地図に描かれた、フォーレイを思い出しながら言った。
「任せる。ただし、失敗は許されないのはわかっているな?」
「もちろんですよ。まあ、負けた事ないですし」
レイジスは軽口を叩いた。
「ま、期待していてください。いい報告を持ち帰りますよ」
レイジスはそう言うと、くるりと身を翻し、玉座の間を出て行っていしまった。
しかし、レイジスは軽口を叩きながらも、やはりドラゴンを警戒してはいる。
高く空中に飛んでいる時は無敵だ。
ドラゴンが攻撃に出てきたところを、地上に引きずりおろすしかない。
レイジスは強いが、剣ではドラゴンには対応出来ない。
地上の敵を蹴散らすことは出来る。
ドラゴンへの対策。強い弓と鎖が必要だ……。
だが、勝てる。ドラゴンは一体しかいない。
最初にレテシア国が健闘したのは、ドラゴンの力の奇襲があってこそ。
次は、こちらの兵力の量が違う。さらに、ドラゴンへの対策もじっくり練ってから攻めればいい。
相手は守るので精一杯なのだから。
狩人と動物のようなものだ。
兎は逃げることは出来ても、狩人を倒すことは出来ない。
狩人側は無敵なのだ。じっくり時間をかければいい。
ドラゴンとの遭遇を楽しみに、レイジスは不気味に笑った。




