彼の影と
形のはっきりとしない山間。無人の小さな駅。ここには見覚えがある。
あの少女が連れてきた、彼女の世界だ。どうにも自分は自分の夢を見られないらしい。思わず苦笑する。
左手には相変わらず懐中時計を持っているが、それはもう壊れてなどいない。蓋も、中身も、両方の針が同じリズムを刻んでいる。
街には誰もいなくなっていた。各々一人だけの場所として離れていったのだろう。
しかしそれによって街に何もなくなってしまったのかといえばそうではない。見てきた様々な建物の意匠が、随所に散りばめられている。街全体に変わった世界観が加わっていた。
「こんばんは」
ホームの椅子に腰掛けた少女が、語りかけてきた。黒い衣装に真っ白な肌、真紅の瞳。今はもう見慣れてしまった気がする。
「あぁ、こんばんは」
応えると、少女の方から席を立ってこちらに近づいてきた。
「見てもらうかと思って」
そう言って、少女は小さく笑ったが、どこか引っかかる感じがした。
「うん。それじゃ、案内してもらおうかな」
少女は頷くと、街に向かって歩き始めた。自分もそれについていく。
遠くから眺めるより、街の様子は大きく様変わりしていることがわかった。すべてが同じような形だったビルは、それぞれに違う色や意匠が施されていた。道も規則正しいだけでなく、様々な方向に向かって伸びている。
「いい場所になったんじゃないかな」
純粋にそう感じただけだったが、少女はむっとしてしまった。どうにも、自分は彼女の心がよくわからない。
「違うの」
そう言って少女が指差した先には、以前自分の夢だった建物があった。しかしそれは、虚無的な何もない空間ではなく、その中に別の人間の面影を感じる。
「弄られた」
そう言って彼女が指さす先々の風景は、自分にはわからないが、彼女が望んだ形をしていないらしい。
「えーっと、つまり?」
「誰かが勝手にきて、作り替えていくの」
少し納得がいった。様々な人の夢を集めて作られたこの場所は、自分や眠り病の人たちのように、彼女から接触するだけでなく、自分たちから何らかの形で接触してしまうことがあるということだろう。
「それはやめて欲しいと」
こくり、と彼女は頷いた。
「そうだなぁ。君はどんな世界にしたい?」
意外と考えたことがなかったのか、少女は思ったより深く考え始めた。頬に手を当てたり、腕を組んだり、顎に手を当てたり、時間が経つにつれて様々なポーズを取りながら考え続ける。そして、遂に口を開いた。
「わかんない」
まぁ、分かっていた。それが既に定まっているなら、態々自分を呼ぶ必要はないはずだからだ。だがそれは、彼女自身がはっきりした自我を持っているようで持っていないということでもある。どこか、親近感を感じるような気がする。
「それがわからないと、多分ずっとこのままだと思う。だから、何か、なんでもいいから基準を考えないと」
「基準?」
「そう、基準。何か自分を定める基準」
また少女は考え始めてしまったが、今度はすぐに思いついたようだ。
「名前」
「そういえば、前ないって言ってたっけ」
確かに、一番わかりやすい自分の基準であるといえる。
「私がどう見えるか、言ってみて」
どうやら、自分に言えと言っているようだ。今度はこちらが考える番である。
「皆の夢を写す人、かな……。鏡、とは違うし。水っていうにはちょっと……」
こちらを見る目が段々不機嫌になっていく。これは早く考え出さなければならない。
「後はそうだな……そう、影。あ、これがいいんじゃないかな」
「影って、なに?」
言われてみると、自分にも少女にも、影がなかった。まぁ、夢の中なら省略されることも多そうだが。
「何かの形が何かに移ること、かな。ここは皆の夢を君の世界と合わせて出来た場所だから、通じるんじゃないかな、と」
言いながら、自分の影を意識する。この世界を照らす日の反対側に、自分の影が写し出された。少女は興味深そうにそれを眺めている。やがて、気に入ったのか顔を上げて頷いた。
彼女はずっと、この世界と共にたくさんの人の夢を見ていくのだろう。その度に、この世界は形を変えていく。皆の夢が写す影が、この世界そのものとなる。
「ただ影、じゃアレだし……」
少し臭いかもしれないが、彼女が気に入ってくれることを祈ろう。
「ギリシャ語で影ってところかな」




