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スキアの心  作者: 缶詰
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内と外と

「とりあえず、私の知りたかった部分は大体わかった」

 いつも通り最も座り心地の良い椅子を占領するなり、御影が切り出した。手には先程まで友人と共に読んでいたという古い実録が握られている。

「この本の筆者がいた地域では、今流行りの眠り病が流行していたらしい」

 眠り病と聞いて、悠はすぐにはピンと来なかった。しかし、ニュアンスを考えればそれが何を示しているかは一目瞭然である。彼は「謎の疾患」だとか「新型ナルコプレシー」という名前で覚えていた。なんとも彼女らしいネーミングだと、妙に感心してしまった。

「それで、他人の夢を見るっていうのとそれって何か関係があるの?」

「夢を共有するというのは、それなりに危険を伴うことだと書かれていた。曰く、自分の夢ならどれだけのリアリティを持った夢であっても想定内のことしか起きない。だから何か都合の悪いことがあればそれを頭から否定し、設定が崩壊して目が覚めてしまう。しかし、他人に干渉されたそれは自分の思い通りにならないリアリティが発生する。つまり、自分にいくら都合の悪いことが起きたとしても設定に矛盾をきたさず、夢が終わらない。リアルとファンタジーの間に区別がなくなった状態というわけだな」

「矛盾が発生しないから、夢をリアルと勘違いして目が覚めなくなる?」

「簡単に言えばそういうことになるらしい……まぁ、筆者がそういう夢を見てそういう状況に近い状況になって、そして無事に目を覚ました、という話だが」

 いつも自信に溢れている御影にしては消極的な肯定だと、悠は感じた。実際に二人が全く同じ夢を見ているということを実証する術など、これほど昔には存在しない。今ですら、正確な観測など不可能なのだ。それ以前に、どうすれば赤の他人と夢を共有することなどできるのか。しかし、彼女の表情には不満そうなところはどこにもない。これはまだ続きがある、そういう表情だ。

「この考えを筆者が述べたのは、まだ筆者以外の患者が目を覚ます前だ。そして、目を覚ました患者は全員が、この理屈に当てはまる証言を残したらしい。作り話でないのなら、これは中々面白い話だと思わないか」

「本当なのか、それ」

 これが本当に実録ならな、と付け加えながら、御影は悠の反応を楽しむように口の端で笑った。

「ここでの結線するということは、お互いの夢を見せ合うということじゃない。お互いに、互いの夢に対して限定的な支配権を得るということだ。無意識の、な。私の考えではどちら側も基本的に不干渉だ。同じことを考えるというだけだからな。しかし、こちらではより深いところで精神が共有され、互の予測を上回ってしまう。思い通りにならない世界など、現実と変わらない。リアルとファンタジーの区別がなくなった場合、より惹かれる方をリアルとするのは自明の理、と。そう言っているようだな」

「よくそんなこと考えつくもんだなぁ」

「教えてくれた者がいるらしい。まぁ、それがまともな人間ではなかったから、こんな本を残すことになったんだろうが」

「それって、昨日いってた前書きのやつ?」

「そうらしい。まぁ、これ以上のことはまだわからないが」

 それを最後に、本は再びカバンの中に戻された。この手の本には門外漢の彼から見れば大した量はないように見えるが、友人の助けを借りて読むほどなのだから、彼女も難儀しているのだろうと思うことにした。

「どうすれば治ったとか書いてないのか」

「まだ全て見ていないからよくわからないが、最後には衰弱死せずに目を覚ました全員の証言が載っているから、何らかの形で目を覚ましたんだろうな。まぁ、そこは読んでみてからのお楽しみだ。どうせ、普通の人間には御伽噺と片付けられるような話なんだろうがな」

 しかし、こんな事件が起きたことがあるのなら、事件そのものが公的な文書に残っているのではないかと考えるのが当然だろう。しかし、その手の話は一切報道で語られたことはない。小さな村か何か、そういった小さなコミュニティ内で発生し、処理された事案なのだろうか。

「夢か……」

 外側を向いている。たしかにそう言われた。自分が見た夢は、なんなのか。彼の問いに、答えはない。

「明日もどうせ暇だろう。また今日と同じでいいか」

 その言葉にハッとしながら、頭の中に時間割を思い浮かべる。確かに、明日のこの時間は講義がない。あったとしても、彼はサボってこちらを優先するだろうが。

「あぁ。まぁ、大丈夫だと思う」

 それに、と付け加える。

「無関係な話か、ちょっとわからないし……」

「どうせ私の与太話だ。話半分に付き合っていけ」

 彼女の笑顔は常に底意地が悪そうに見える。しかし、彼はそれが心から愉快と感じている時だけのものだと知っていた。

 

 

 テラスに続く窓を開けると、突風が吹き付けてきた。この教室棟は地上七階が最上階であり、そこから外に出られるようになっているのだ。遮るものがないため、風が吹いていることが多いこともあって、日が傾いたこの時間になるとほとんど学生の姿も見られない。

 ほとんど目も開けていられないような風だったが、外に出ると幾分やわらいだ。それでも少し肌寒いが、考えをまとめるにはこの程度がちょうど良いと考えることにした。

 外周に設置された柵の辺りまでいくと、視界が一気に開けた。眼下には住み慣れてしまった町並みが一望でき、夕日に照らされたそれは全く違う世界のようにも見えた。

 ふと横を見ると、紅の瞳と目が合った。夢の中で出会った彼女である。地面に触れそうなほどに長い黒髪は風にそよぐこともなく、少女の周りだけは静かに凪いでいるようだ。

「多分、くるんじゃないかと思ってた」

 言いながら、悠は少女に向き直る。今度はすぐに姿が消えてしまうということはない。少女も悠の方を向き、夢で見た通りに視線を合わせる。正直、酷く滑稽なことをしているという思いがないわけではないが、試しにやってみたいとも思っていた。

「ここは夢? それとも外?」

 その言葉に少女は答えず、夕日に照らされた街並みに視線を投じた。自動車や人々がめまぐるしく動き回り、街という巨大な仕組みを動かしている。やがて、少女の視線が街ではなく、人々に注がれているということに悠は気がついた。

「不安?」

 彼には確かにその問いが聞こえた。そして、それは自分に投げかけられたものではないこともわかっていた。

「君にはそう見えるの?」

 同じ場所を見下ろしながら、彼も問いをかける。吹き付ける風は少し肌寒いほどで、高所から見下ろす景色と合わせて軽く身震いする。

「貴方が、そう見てるの」

 相変わらず外を向いているが、今度は答えが返ってきた。

「こっちが?」

 少女の方を向きながら、思わず問い返した。自分は色々な人々が不安の中にあると思っている、そういうことなのだろうか。彼にはその意味が測りかねた。

「私は、内側にしかいないから」

 彼女がいるということは、今見ているこれは夢なのだろうか。再びその疑念が悠の心に去来した。少女は柵に沿って歩きながら、街を眺め続けている。

「だから、貴方が見たようにしか見えない」

 街に向かって、少女が手を差し出す。その姿に、悠は妙な既視感を感じた。

「皆、貴方みたいに外を見てた。だけど、貴方は内側でも外を見てた。なんで?」

 これは一つ前の夢で彼女に出会った時と同じ問いだと、彼は気がついた。

 しかし、答える言葉は持ち合わせていない。こちらを向こうともしない少女から目を離すこともできず、悠は押し黙るしかなかった。

 どれ程の時間、そうしていただろう。気がつけば、少女は悠の前から忽然と姿を消していた。

 

 

 七階から順番に階段を下りていく。

 我ながらいい運動をしているなと悠は自嘲した。少女に対する無意味な恐れは、御影や少女自身との会話によってある程度薄れていた。しかし今度は、答えのないまま彼女に出会うことが躊躇われた。エレベーターの中で一度出会ったことがあるために、そちらでは出会ってしまう可能性があると考えたが故の行動である。

「間抜けだよなぁ」

 存在するのかもわからない少女の言葉に踊らされて徒労を強いられている自分を笑ってみるが、彼自身、特に嫌な気はしなかった。元々ぼんやりと何かを考えながら歩いている、ということが好きなのかもしれない。

 三階の階段に差し掛かったところで、張り紙が貼ってあることに気がついた。見ると、それは有名出版社が主催する小説大賞の宣伝だった。隣に、御影に渡されたものと同じチラシも貼られている。出版社が主催するものはより長く締切までの期間が用意されているようで、学部主催のチラシには本番に臨む前の下準備として利用する手もある、とも書かれていた。そんな扱いでいいのかと、彼は少し呆れながら目を通した。

 良くも悪くもソツのない作品を作ることに定評のあるらしい自分なら、一次選考で落とされるということはないかもしれない。だが、その次はどうか。少しでも内容に目を通すなら、通ることはないだろう。思わず苦笑が漏れた。思い入れのなさが、その評価を生んでいるのだということは、彼自身わかっているのだ。

『夢を創る』と題されたチラシを後に、悠は階段を下っていった。

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