六ノ巻 殺人
広い。とてつもなく広い。ここは都立学園。
高校と大学がくっついたようなもんだ。まあ、俺は学校に行ったことがないので、とにかく慣れない。迷う。何でこんなにややこしいんだよ畜生。
ここには、迷いに来たわけではなく、ある専門家に会いに来た。万年助教授のうだつのあがらない奴だ。……そう言ったら全国の助教授殿に滅殺されそうだ。
『神前さん、神前さん、本田助教授が御呼びです。至急、食堂までいらして下さい』
……。名指しで呼び出された。何か、周りの視線が痛い。
ええい!視線なんか気にしてる場合か!急いで食堂に行くぞ!
食堂。学生たちが学食をむさぼっている。その中に、髪の毛はぐしゃぐしゃ、顎には無精髭。白衣もよれよれだ。本日の俺はちゃんとした格好をしてるので、俺みたいとは言わせない。
「遅い」
「うるせー。俺は学校が苦手なんだ」
「問答無用」
語彙が少ないこいつが本田助教授。かなり無口で、話しかけない限り、喋らない。つまり自分から話しかけることは滅多にない。さっきの呼び出しだって、いつまでもここにいるから、心配した生徒が話しかけて放送したに違いない。
「本題に入る」
本題、というのは、ある詩を元にした脅迫状の解読だ。
「どうなんだ?」
「わからん。元の詩こそわかったが」
元の詩?
あの不気味な詩に元があったのか?
「トミノの地獄」
どっかで聞いたことある名前だな。
途端、耳をつんざくような悲鳴が聞こえてきた。何かが起こったようだ。
「何処からだ!?」
「恐らくトイレ」
だろう、と聞こえる前に俺は駆け出していた。
講堂脇の女子トイレ。そこに、人だかりが出来ている。ここか。
生徒や教師たちがざわめいている。その声を聞き付けて、キャンパスをふらついていた閃太が走って来た。
「なんか悲鳴が聞こえてきたんですが」
「入ってみるぞ!」
恐怖を隠せない生徒や、驚きのあまり口が閉まらなくなった教師の間をすり抜けて、女子トイレに入りこんだ。
何故、悲鳴が上がったのか?何故、生徒が戦慄しているのか?何故、この場が騒然としているのか?
その理由がやっと分かった気がする。
白いタイルが、黒く汚れている。血ではない。煤だ。若干、煙の匂いすらする。
それが一番集中しているのが、二番目の個室。ドアの色はほとんど黒。開けようとすると取っ手は焼けつくような熱さだ。湿らせたハンカチを使って取っ手を掴み、ドアを開ける。
開けた個室は、外の比ではない程の煙と煤。まるで火事でもあったような……。
その中心。便器の上に真っ黒く染まった何かが座っている。人間が。
驚愕のあまり、握っていたハンカチを落としてしまう。閃太が後退りする足音が響く。目が、見ないでも分かる程、目が見開かれる。
どんな現場よりも凄惨だ。この前の現場以上凄惨で、目も当てられない。
「えー、まず第一発見者は?」
さっき、本田助教授と会っていた食堂に、関係者が集められている。もちろん、俺や閃太もだ。
「俺です」
「君と、そっちの彼だね」
背広を着た刑事が、さっきからいやにおとなしい閃太をペンで指す。
閃太はうつむいたまま。さっきの光景が余程衝撃的だったようだ。
俺にもこんな時期があった。死体やら幽霊やら見ていちいちビビッてた時期が。だが、もう慣れた。さすがにここまで凄惨なのには慣れてないが。
「ところで君達、煙草は吸うかね?」
煙草?何を聞くんだこの刑事は。
「吸いません。つーか吸えません。煙草は苦手です」
「そっちの彼は……どうみても未成年だから無理か」
俺は立ち上がって刑事を問い詰めた。
「何で、煙草なんですか?被害者は煙草で殺されたんですか?」
刑事が口籠もる。まあ仕方ない。秘密だからな。
と、刑事が口を開いた。
「実はね……被害者は、ライターを使って殺されたんだよ」
「見りゃ分かります」
あの煤、あの煙。
どう見たって焼死か一酸化炭素中毒だ。
「いやいや違う違う」
何が違うってんだこの天然ボケ刑事。
と、この天然ボケ刑事が俺を呼び寄せた。
「君だから言うんだけどね、被害者、奇妙な殺され方をしたんだ」
「奇妙?」
トイレで真っ黒焦げ、の時点で奇妙も何もないんだが。
「被害者はね、口に燃えた新聞紙を突っ込まれて殺されたんだ」
……なんだと?