単純バカの行動 ~お題小説 繊細な乙女~
僕には付き合って二年目に入った彼女がいる。普段は少し気が強いだけの、可愛らしい人なのだが、少し……いや、かなり変わった趣味を持っていた。
『プロレスの稽古に行くので会えないです』
今日会える? と聞いたメールの返事をみて、僕はため息をついた。彼女がプロレスを習い始めて二か月。全然会えない。
彼女はプロレスという競技にどハマりし、僕と会う時間さえも練習に費やしてしまっていた。
あの彼女が。あの僕の後ろばかりついてきていた僕大好きな彼女が、僕をほったらかしにするほど競技に夢中になってしまうなんて。
信じられなかった。信じたくなかった。だが、会えないという知らせが携帯に届く度に信じるしかなくなっていた。
了解。というメールをすると、すぐに返事がきた。
『ところで、今日は何処かに出かけたりする?』
彼女は僕のことをすぐになんでも知りたがる。
『別に予定はないよ』
『そうか。最近会えなくてごめん。じゃあ、行ってきます』
『行ってらっしゃい。怪我だけはしないように気をつけなよ』
そのくせ自分のことはあまり話さない。
「……まぁ、そこが可愛いんだよなぁ」
一人でそう呟くと、家に遊びに来ていた友達が冷たく言った。
「お前の彼女、いつも思うけど可愛いか?」
僕は即答する。
「可愛いよ! 顔も性格もめちゃくちゃ可愛いじゃないかっ」
「いや、顔はわかるぜ? でも、あの性格が可愛いとは思えねぇ」
「可愛いじゃん! あのつんつんしてるところがさぁ」
「そこが可愛くねぇんだよ」
そう返されて一瞬言い淀んだ。だがそれでも言い返す。
「……僕は、ああいう子が好きなんだよ。可愛いと思うんだ!」
僕が彼女の良いところを語り始めようとすると、彼は嫌そうに首を振った。
「お前ののろけ話はもうたくさんだ。あ、俺そろそろ待ち合わせだから帰るわ。じゃあな」
「君だって僕に散々彼女さんの自慢話を聞かせたじゃないか!」
そんな僕の声は届かず、彼はさっさと出て行ってしまった。一人残され、またため息をつく。
「会いたいなぁ……」
目を閉じると、彼女の笑顔が頭に浮かんだ。
時間が過ぎれば過ぎるほど、僕は彼女のことばかりを考えるようになっていた。会いたくてたまらない。
時刻は午後五時をまわっている。友達がデートに行ってしまってからもう七時間も経っていた。
「……ていうかなんだよ。二か月も会ってくれないなんて酷すぎるじゃないか」
段々腹が立ってくる。いくら僕でも何かやってやらないと気が済まない。少しぐらい彼女にも辛い思いをしてもらわないと。
……とりあえず嘘を言って突き放してみよう。
僕は携帯の新規メール作成のページを開いた。ありえない物事をでっちあげた文を作り、送信する。
『予定ができたから一応伝えておくね。今日の夜、まぁ場所は家だけど女友達が遊びに来ることになったんだ。君は忙しいんだよね? 頑張ってね~』
我ながらかなり良い出来だと思った。これで彼女がどういう行動にでるか楽しみだ。
「でも、あの子のことだからそんなに反応はなさそうだな」
そう予想しながらメールが返ってくることを期待する。がしかし。
そのまま待つこと約一時間。そんなにないどころか反応は全く無かった。予想外の結果に一人でうろたえる。かなりショックだった。怒りというよりも悲しみのほうが大きくて、僕はソファに寝転がってふてくされた。そうしているうちに眠くなってくる。
今日はもう寝てしまおう。
そう思い、僕は意識を手放した。
僕はインターホンの音で目覚めることとなる。ピンポンという明るい音に目を擦りながら仏頂面でドアを開けると、そこには思いもしていなかった人物が立っていた。
「女友達と遊んでいるところに来ちゃって悪いな」
会えないと言っていたはずの彼女がそこにいたのである。しかも来て早々無表情の早口でそう言ったことから、かなり怒っているらしいことがわかった。
「女友達なんていないからさ。とりあえず入りなよ」
僕は慌てて彼女を中に招き入れた。さっきまで自分が寝ていたソファに座らせる。僕はなにか飲み物を取りに行こうと思い動こうとしたが、彼女がそれを許してくれなかった。
後ろからいきなり腰に腕を回され、僕は動きを止めた。振り払わずにそっと問いかける。
「おーい? どうした、いきなり連絡もしないで会いにくるなんて。なにかあったの?」
すると、彼女はなにも言わずに腕に力を込め僕を締め上げ始めた。思わず悲鳴をあげてしまう。
……プロレスを習っているだけあり、かなり痛かった。
「一体どうしたっていうんだよ!」
苦し紛れにそう叫ぶと、彼女は力を込めたまま言った。
「それはこっちの台詞だ。なんで嘘なんかついたんだよ!」
回答に困り黙っていると体を解放される。振り向く前に、いつも強気な子のものとは思えないほどの弱々しい声が聞こえた。
「心配しただろ……。私のこと、嫌いになっちゃったのかと思ったじゃないか」
後ろを向くと、彼女は今にも泣きそうになっていた。必死で涙をこぼすまいとしている。それをみて頬を引っ叩かれたような感覚を味わった。
僕は、なんてことをしてしまったのだろう。
「嫌いになんかなってないよ! 単なる嫉妬心から勢いでやってしまっただけだ。……君が、もうずっと会ってくれなかったから」
そう言うと彼女ははっとしたように目を見開いた。それと同時に目から一筋の滴が流れ落ちる。
それは、まるで純粋な氷が溶けてできた水のようでとても美しかった。思わず見惚れていると彼女は次々とその綺麗な涙をこぼし始めた。
「ごめん、私、ただプロレスで負った怪我をみられたくなかったんだ。あんたが傷をみたら絶対心配すると思って、それで……」
「僕は君が会ってくれないほうがよっぽど心配だよ!」
そう言うと、彼女は何度もごめん。を繰り返した。もういいよと言っても謝ることをやめない。だから、僕もごめんを一緒に言うことにした。……言わなければいけないと思った。
二人の同時に謝る声が部屋に響く。それはいつの間にか笑い声へと変わっていった。
「ずっと会ってくれなかったから、不安でおかしくなるところだったんだぞ」
「私だって、あのメールが来たときは混乱して変になるところだった」
お互い様だな。と言って笑い合う。
「それにしても、君にこんな一面があったなんて思わなかったな。めちゃくちゃ乙女じゃないか」
「う、うるさい! そんなこと言ったら不安でおかしくなるあんたのほうが乙女だろ。しかもすごく単純だし、まさしく繊細な乙女!」
「僕は乙女じゃない。第一男だ!」
しょうもない会話を続けたあと、彼女はあるものを取り出した。
「これ、やるよ。……今日は特別な日だからな」
彼女はそう言ってラッピングされた小さな箱を僕に差し出した。受け取り開けてみると、そこには僕が好きなホワイトチョコレートが入っていて。
僕は今日が二月十四日だということに今更気がついた。
「手作りだから。ちゃんと味わって食べろよな」
ありがとう。
そう素直に返すと、彼女は照れたように頬を赤くして、花のように微笑んだ。