12.優等生くんと友達大作戦【後編】
「何……やってるの?」
いつもの真央兄より、低い声。
その声に、はっと今の状況を確認する。
服をはだけさせた怜司と、そのズボンに手をかける俺。
……これ、俺が怜司を襲ってるみたいだな。
冷静になると凄い状況だ。
「い、いやこれはですね、相川会長!」
怜司は動揺のあまり、真央兄に対する呼び方が元に戻っていた。
「はる、ちょっとこっちおいで」
「でも怜司の服が」
「おいで?」
普段よりも数倍甘い真央兄の声。
にこっと笑った真央兄には、妙な迫力があって。
「……はい」
逆らっちゃいけないと、本能的にそう思った。
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「いきなり人の服を脱がせたら駄目だよ、はる」
怜司の服にココアがかかって、慌てて脱がせようとしたのだと説明したら、真央兄が溜息をついて俺の頭を軽く小突いた。
「いやでも火傷……」
「駄目なものは、駄目」
「はい」
優しい声色だったけれど、そこには有無を言わさない響きがあった。
怒っている真央兄を見たのは久々だ。
火傷したらとか、早くあの染みに油を馴染ませて中性洗剤で落とさなきゃという主婦染みた思考に囚われて、一般常識がポンと頭から抜けていた。
別に男同士なんだし、あれくらいでピリピリしなくてもいいのにと思うのだけれど、礼儀とかを重んじる真央兄にとっては許せなかったんだろう。
その日の勉強会が終わって後、テストの日まで真央兄が俺たちの勉強を見ると言い出した。
ありがたい申し出に怜司が飛びつき、それから毎日放課後は勉強を教えてもらう約束をする。
「ありがとな真央兄」
「ううん。気にしないでよ……二人っきりにするのも少し心配だしね?」
お礼を言えば、すっと真央兄の目が細まる。
「ユメじゃあるまいし、俺はヘマしないよ」
本当に真央兄は心配症だ。
笑ってそう請け負い、もう夜も遅かったので今日はこれまでにする事にして、二人を玄関まで見送る。
「真央兄、怜司、また明日な」
そう言って手を振れば、いきなりぎゅっと真央兄が俺に抱き着いてきた。
「えっと……真央兄?」
怜司が見てるんだけど。
子供の頃からの延長で、真央兄は俺に対するスキンシップが激しかった。
「なんか帰りたくないなぁ。大学の講義午後からだし、やっぱり泊まってもいいよね、はる?」
「えっ? あぁ……いいけど」
耳元で囁かれ頷けば、真央兄は俺から体を離した。
「ありがとう、はる」
微笑んだ真央兄は、いつもと代わらないのに――何故か背筋がゾクゾクとした。
ちなみにユメはというと。
真央兄の家から帰ってきて後、自分の家に引きこもってしまっていた。
心配して様子を見に行けば、やつれた顔でゲームに熱中しているユメの姿。
真央兄の話によると、迷子になった先で犬に追いかけられ、逃げ込んで乗ったバスが隣の県までの直行便だったらしい。
お金を持ってなくて謝り倒し、下ろしてもらった田舎町で肥溜めにはまっているところを保護されたそうだ。
さすがに可哀想になって、そっとユメの部屋にお菓子を置いて、ドアを閉じた。
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そしてテストが始まり、最終日の金曜日。
今日は授業が終わったら、怜司と一緒にパスポート申請に行こうという話になっていた。
実はこのエステリア学院、三年の六月に修学旅行がある。
こんな受験を控えた三年生で修学旅行かよ。しかも海外。
そう思うけれど、参加は自由だし、ほとんどの子が付属の大学にそのまま進学するためこうなっているらしかった。
ちなみに、同学年攻略対象の三人は、主人公への好感度が好き以上ないと修学旅行に参加してくれない。
好感度は5段階。
嫌い、普通、友好、好き、大好きの5つだ。
つまり、怜司のユメに対する好感度は、現在5段階の4番目と推測する事ができる。
なかなかだと言っていいだろう。
それにしては、ユメに対する態度が微妙な気もするけどな。
あまり表情が顔にでないタイプだから、分かり辛いだけなんだろうか。
最近の怜司はクラスの子たちとも話して馴染んできていたし、友達をつくるという条件はクリアしている。
ユメとの接触がそこまで多くなかったけれど、逆にそのお陰で好感度が保てたのかもしれないななんて、ちょっと酷いことを思った。
放課後、電車に怜司と乗り込む。
ちなみに、乙女ゲームの主人公であるユメの父親は海外転勤中であり、時折その転勤先に行くことがあるためパスポートはすでに持っていた。
そのため、ユメは着いてきていない。
「必要な書類は持ってきたか?」
「あぁ。親に集めてもらったが、ちゃんとそろえてきた」
俺が尋ねると、怜司が書類の確認を始める。
この時間は電車にあまり人もいなかった。
目的地につくまで少し時間がある。
俺も怜司にならって、持ってきた書類を確認しようかな。
「っ!」
そんな事を考えていたら、隣に座っていた怜司が息を飲む音がした。
横を見れば、封筒から取り出した一枚の紙を見て、怜司が目を見開いていた。
「どうしたんだ?」
ついその書類を覗き込む。
戸籍抄本。そこには『養子』という文字があった。
怜司はその事実を知らなかったようで、呆然としていて。
駅について後も立とうとしなかったから、手を引いてカラオケ店へと連れ込んだ。
「落ち着いたか?」
「……あぁ。ありがとう」
なんとなく察していたと怜司は呟く。
両親の自分に対する冷たい態度。
病院の跡継ぎが必要だったんだということ。
「幼い頃から医者になれない自分には意味がないと思って、必死だったんだ。きっと無意識に、それをわかっていたんだと思う。でもそれを否定したくて。二人の子供だから当たり前に一位は取れるんだって、あがいてたんだ」
苦しそうな表情が痛々しくて、何と声をかけていいかわからなかった。
膝の上でぐっと食いしばるように握られた拳。
それを頑張ったなというように、ポンポンと叩くことくらいしか俺にはできなかった。
「うっ……」
もしかしたら、怜司は泣いていたかもしれない。
けれど、俺はそれをできるだけ見ないようにして、しばらくカラオケ店の壁をじっと眺めていた。
どれくらいそうしていただろうか。
しばらくして、怜司が立ち上がる。
その顔は少しすっきりした様子で、目元はほんのり赤かった。
「相川、ありがとう」
「俺は何もしてないけどな」
「……お前がいてくれてよかった」
ふわりと怜司が微笑む。
あぁこいつこんな優しい顔もできるんだと、思わず目を見開く。
「本当、相川はぼくが張っていた壁を、簡単に壊してしまうな。誰かの前で弱みをさらすことなんて決してないと思っていたのに。この様だ」
妙に晴れやかに、怜司はそう口にした。
「もう平気なのか?」
「ぼくが気づこうとしなかっただけで、最初からそこにあった真実だ。今更変わりようがない」
吹っ切れたというように息をついて、怜司が俺を見つめてくる。
「それよりも、今からパスポートの申請をしにいく方が重要だ。これがないと、相川と修学旅行へ行けなくなってしまうからな」
ふっと怜司が笑ってそんな事をいう。
彼にしては珍しい、茶目っ気のある表情だった。
「ほら行くぞ――はる」
こほんと咳払いして、怜司は伝票を持って部屋を出た。
背中を向けられてしまったから顔は見えなかったけれど、耳は真っ赤で。
「わかったよ、怜司」
俺の愛称を呼ぶ声がここちよく胸まで響いた気がして、笑いながら俺もその名を呼んだ。
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そして迎えたテストの結果発表の日。
「なぁはる。このテストで一位が取れなかったら、ぼくのお願いを一つ聞いて欲しいんだ」
「なんだよ改まって。それに、一位が取れたらじゃなくて、取れなかったらって変じゃないか?」
「駄目か?」
真っ直ぐと見つめてくる怜司の瞳には、真摯な色があった。
「……わかった。俺にできることなら、だけどな」
「ありがとう」
頷いた俺の言葉に礼を言う怜司は、重荷がとれたかのように穏やかな顔つきをしていた。
もう一位に拘ることはやめた。
そんな怜司の気持ちの表れなのかもしれなかった。
いつもの切羽詰ったような雰囲気が、怜司にはなかった。
好ましい変化に、思わず俺の顔も緩む。
友達が自分で自分を追い詰めるところを見たいやつなんて、いないのだから。
張り出された席次表に目をやる。
一位には、怜司の名前――ではなく俺の名前があった。
「えっ?」
二位には怜司の名前。
どうやら、俺は怜司を抜いてしまったらしい。
「一位おめでとう」
予想はしていたというように、怜司が俺を労う。
「ぼくが抜かれるとしたら、月島じゃなくてはるだと思っていた」
「いやでもコレ……本当に?」
何度見直しても、一位のところには俺の名前があった。
「早速だけど、ぼくの願いごとを聞いてもらってもいいか?」
そわそわとした様子で、怜司がそんな事を聞いてくる。
「今ここでか?」
「うん、早く言いたいんだ。先を越されないうちに」
周りには張り出された席次表を見に来た、同学年の生徒たち。
人だかりから少し離れた場所に移動すると、怜司は正面から俺に視線をぶつけてきた。
「はる、ぼくは君と友達以上の関係になりたい」
「へっ?」
思わず変な声が出た。
ぎょっとして、すぐ近くにいた生徒がこちらを見た。
その中には、同じクラスで攻略対象でもあるメインヒーローの天ヶ崎王子の姿もある。
落ち着け、落ち着け俺。
友達以上ってどういうことだ。
突然のことに混乱する。
『恋人』という単語が頭に思い浮かんだが、それはないと思いたかった。
眼鏡越しの怜司の瞳は熱っぽくて、しっかりと握られた手は離してもらえそうにない。
「こんなぼくに話しかけて、優しくしてくれて。人と関わることを怖がっていたぼくに手を差し伸べてくれた。辛いときに何も言わず、側にいてくれたことが嬉しかったんだ」
一歩怜司が距離を詰めてくる。
怜司の声は、良く通るいい声をしている。
以前ユメが人気の若手声優さんなんだよと、自慢げに語っていたことを思い出した。
「一緒にいるだけでこんなに安らげる相手は初めてなんだ。誰かに嫌われることが怖いから、近づかなければいいと思っていたのに、はる相手だとそれができない。もっと近づきたくなるんだ」
至近距離で見れば、怜司の顔はかなり整っていた。
氷のプリンスなんて、影で女の子たちが呼んでいることを知っていたけれど、それにふさわしいすっとした目元。
ただその瞳に宿る情熱は、俺を捕らえて焼き尽くすほどに激しい色をしている。
「服を脱がされたときだって、ありえない事だと思ったのに……はるだから本当は嫌じゃなかった」
脈絡なく、怜司がそんな事をいって紅くなる。
なんて誤解を産む言い方をしてくれるんだ。
俺が怜司を襲ったみたいじゃないか。
抗議したかったけれど、混乱のあまり言葉にならなかった。
周りは知らないフリを決め込んでいたけれど、耳を澄ましている雰囲気は伝わってきて、それが余計に俺を焦らせる。
「お前と同じ部屋で眠りたい。誰かに譲りたくないと思ったのは初めてなんだ。だから……」
「怜司、落ち着け。色々と冷静になろう。な?」
一歩俺が引けば、怜司が一歩迫ってくる。
「ぼくは物凄く冷静だ。それに、これはたくさん考えて出した結論なんだ」
「俺とお前は男同士なんだぞ? こういうのは女の子に言うべきだと思う」
「なぜ女子にそんなお願いをしなくてはならないんだ。ぼくは男だからこそ、お前にこうしてお願いしているんだ」
思いつめた顔をしている怜司にそう進言すれば、何をわけのわからないことを言った様子で眉をひそめられた。
いやいやちょっと待とうか。
この流れは、色々とおかしい。怜司って最初からそっちの人だったのか。
告白以上にやばいところへ話が進んでいる気がした。
「俺はお前とはつきあ」
「――ぼくと親友になって、修学旅行同じ部屋になってくれ!」
とうとう、壁際に追い詰められてしまった俺の言葉を遮って、勢いよく怜司はそんな事を言った。
「へっ?」
「駄目か? ぼくははると同じ部屋がいい。まだ友達になって日が浅いのに、いきなり親友になりたいとか、同室がいいなんてずうずうしいとわかってはいるんだ。でもやっぱり、一緒に修学旅行を楽しみたい」
潤む瞳で見つめてくる怜司に、思わず体の力が抜ける。
「なんだそんなことか」
「そんなこととは何だ。こっちはいつ言い出そうかと考えて、夜も眠れなかったというのに」
ほっと息をついた俺に、むっとした様子で怜司が呟く。
「それで、答えは?」
不安と期待が入り混じる目。
その真剣さに、さっきまでの緊張が解けて思わず噴出してしまう。
「何故そこで笑う!」
「いや、面白くてつい。なんか俺、勘違いしてアホみたいだ」
無愛想な優等生様。
そう思っていたはずなのに、知れば知るほど別の面が出てくる。
まるで告白まがいの事をしたというのに、本人にその気は全くなかったらしい。本当にまぎらわしいけれど、そこが怜司らしいと思った。
「同じ部屋か。楽しくなりそうだな」
にっと笑いかければ、ぱあっと怜司の周りに花が飛ぶような空気が生まれる。
あまり表情自体は変わらないけれど、その変化は俺には手に取るようにわかった。
不器用で真っ直ぐで世間知らず。
やっぱりその好意は、主人公であるユメに対しては全く向いてない気もしたけれど。
――まぁ、いいか。
その日俺に、愉快な親友が一人増えた。
たまには普通?に友情エンドにしてみました。




