二、鏡を見る
【前回までのあらすじ】
魔法学校の教師である魔法使い:獅子路陽介(ししろ・ようすけ)は、ある日、見知らぬ部屋で目覚めた。とにかく体調が悪い。とある姉妹(姉のトー、妹のカリン)から介抱を受けているようだ。
※この世界における「魔法」とは、体内エネルギーである「シン」をコントロールすることです。
次に目を開けたとき、すっかり元気というわけにはいかなかった。ベッドから降りようとし、何となく床が遠い気がして目測をあやまり、転んで肩をぶつけた。まだふらふらしている。ずっと横になっていたので体のあちこちが痛んだ。
カリンの足音が近づいてくる。
「あっ、起きてる」
「おう、おはよう」
俺はキャビネットにつかまって立った。おかしな感じだ。ベッドから部屋を見渡したときには、この家具がこれほどにも背が高いようには見えなかったのだが。
「おねえちゃ~ん!」
飛びきりの大音量は起き抜けにはきつい。俺は思わず手で耳を覆った。大声世界選手権というものがあれば、優勝者はカリンで決まりだった。しばらくあってからトーが入ってきた。彼女は右手に水の入ったグラスを持っている。
「おはようございます」
おはよう、と俺もあいさつをした。トーからグラスを受け取り、水を飲んだ。
トーは十三、四歳くらいの娘だった。黒髪は、耳があらわになるほどのショートカットだ。鮮やかな色合いの黄色いワンピースを身につけているので、外見的にはおてんばに見える。実際は、足元がおぼつかない俺に肩を貸してくれるなど、気づかいの行き届いた子だ。背丈は俺と同じくらい。俺の身長は175センチだから、女の子にしては驚くほど背が高い。
「朝ごはん、食べる?」
カリンが俺の腰にまとわりついてきた。こちらは五、六歳ほど。明るい茶色の髪の毛を耳の上で二つ結びにしている。真っ赤なワンピースを着ていて、さっきから元気いっぱいに動き回っている。
「うん。腹がぺこぺこだ。その前に顔を洗ってきてもいい?」
「案内してあげる」
カリンが俺の右手を引っ張った。洗面所はすぐそこだと言う。
トーが目に見えてうろたえはじめた。
「鏡を見る前に、お話ししておきたいんです」
「なに?」
「あなたは自分のことを、魔法学校の獅子路先生だと言いました」
「うん」
「でも、その、わたしにはそう見えないんです」
「いやあ、本物だよ」
俺はにやりとした。確かに、世界に名高い魔法使いが目の前にいるなんて、すぐには信じられないだろう。俺にもう少し体力が戻れば、彼女たちにシンを見せることができるのに。しかしテレビや雑誌で俺の姿を知っているはずだ。
カリンがぴょんぴょんと飛びはねながら口を開いた。
「わたし、知ってる。テレビで観た。『百人の魔法使い』っていう番組。シシロヨースケって、手を使わずにカレーライスが作れちゃうぜって自慢してた、えっらそ~なおじさんでしょ」
「あの百人の中で最年少だぞ、最年少。三十歳で。すげえだろ」
「ジャガイモとかニンジンとか玉ねぎとかがたくさん空中に浮かんでて、包丁も使ってないのに皮がむけたり小さく切られていくところとか、面白かった」
「ふふん」
「でも、お兄ちゃんはあのおじさんじゃないよ」
まじまじとカリンを見下ろした。カリンも俺を見ていた。いじわるを言われている気はしなかった。よく「テレビで観るよりも、実物の方がカッコイイですね」と言われるから、俺はテレビ映りが悪いのかもしれない。
トーが申しわけなさそうに言った。
「あなたはどう見ても三十歳じゃありません。わたしと同じくらいの年齢に見えます。それに……、獅子路先生とは顔が全然違います」
俺は無意識にトーをにらみつけていたのかもしれない。トーの声は一言話すごとに小さくなっていった。自分の存在を否定されたからって、俺はちっとも彼女に腹を立ててはいなかった。わけが分からなかっただけだ。俺がトーと同年代だって? 顔が違うだって? なにを言っているのだろう。
急にトーが恐ろしくなってきた。さきほどは彼女をとても背の高い女の子だと思った。しかし手足の長さなどを見ると決してそんなことはない。周囲を見渡す。部屋の中にある家具の大きさと比較してみても、彼女は普通だった。つまりおかしいのは俺の方だ。俺の背が低くなっているのだった。
そう思い直すと、今日、目が覚めてから感じ続けている違和感に納得ができた。ベッドから降りようとして転んだのは、元の体よりも足が短くなっているから。体が小さくなったせいでキャビネットを大きく感じたのだ。
カリンの案内で寝室を出た。ドアノブの位置がやけに高い。壁にある電気のスイッチが目の前にある。廊下の上の方にある戸棚には、背伸びをしても手は届きそうにない。この体に慣れておらず、何度も足がもつれた。洗面台にたどり着き、鏡を見た。俺は異様な叫び声を上げて後ずさった。知らない人物がそこに映っていた。
まず目に入ったのは赤い髪の毛だ。俺の両親はそろって美しいブロンドで俺自身もその血を受け継いでいた。瞳の色は透き通るような青だったはずだ。こんな風に、絵の具の配分に失敗したような暗い緑色ではない。自慢の口ひげは消えている。なにより気味が悪いのは、俺の面影が微塵もないその顔立ちだった。幼くなっているだけならまだいい。しかしこれでは全くの別人だ。トーは正しかった。俺の容貌は十三、四歳くらいの少年だ。カリンの言った通り俺は獅子路陽介ではなかった。
「これは俺じゃない」
鏡に向かってつぶやくと、そこに映っている少年も俺に話しかけてきた。お前は誰だ。俺は獅子路陽介だ。いや違う。お前は俺じゃない。
トーとカリンが洗面所の入り口にいる。俺は鏡越しに彼女たちを見た。
「これは俺の顔じゃない」
トーが慎重な様子でうなずいた。きっと俺を頭のおかしい男だと思っていて、なにをしでかすかわからないと警戒しているのだろう。カリンはきょとんとしている。俺は振り返り、鏡に背を向けた。目の前にトーの顔がある。こんな子どもと目線の高さが一緒だなんて。
「俺は獅子路陽介だ」
自分が一番よく分かっている。でも言葉にすると、なんて心もとなく聞こえるのだろうか。トーにもそれが伝わったに違いない。
「だいじょうぶ、落ち着いて」
全然だいじょうぶじゃなかった。俺は「うるせえ」と叫ぶと、その場で頭を抱え込んでうずくまった。これのどこがだいじょうぶだって言うんだ、ばっかやろう。
「なんで、なんで……。俺じゃない。俺の顔じゃないんだ。ちくしょう……」
(2014/4/29)