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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第12章 世界をつなぐ、開いた輪

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第86話 閉ざされた聖都


 黒い亀裂は、俺の腕を抜いた後も消えなかった。


 白い障壁の表面に髪の毛ほどの細さで残り、上へ、左右へとゆっくり枝分かれしていく。割れているように見えるが、光が漏れているわけではない。亀裂の内側だけ、祈祷文も登録印も帝国符号も流れを避けていた。


 世界規模の命令網に、何も書かれていない細い空白が生まれている。


【第三警告 準備状態】


【原因 大域基準の過剰固定】


【猶予 算出不能】


 アークの表示を見て、リオネルが眉を寄せた。


「第三警告とは何だ。第二の次、では説明にならないぞ」


「分からない。少なくとも、良い知らせとして番号を増やしてはいない」


「なら、今の亀裂を使って入るべきでは?」


 セリナが聖都の門と俺を交互に見た。


「あなた一人なら、障壁は認識できないのでしょう。内側から通行条件を書き換えられる可能性があります」


「可能性はある。でも、内側に停止手段がない」


 俺は障壁から距離を取った。


 亀裂が細くなる。完全には閉じない。


「俺が入って戻れなくなった場合、外から切れるのはアークとの低帯域通信だけだ。障壁の中で何を上書きされるかも分からない」


「非連結なのに、上書きされるの?」


 ナタリアが訊く。


「血統層は上書きできなくても、聖都の空気、地脈、建物、食べ物、扉は全部つながっている。俺の身体まで非物質になるわけじゃない」


 非連結は無敵ではない。


 低魔力であることも変わらない。


 世界の命令が俺を見つけられなくても、槍は刺さる。毒は回る。閉じた石室では息がなくなる。


 エリシアが腕を組んだ。


「説明が終わったなら、別の入口を探しましょう」


「そうする」


「素直ね」


「君が物理遮断器に手を置く前に学習した」


「良い傾向だわ」


 ダリオが街道から外れ、丘の斜面を見ていた。


「巡礼者が門へ入る前、水を汲んでいる」


 指の先に、小さな石造りの水場がある。聖都の障壁から五十歩ほど外。巡礼者はそこで手と顔を洗い、空になった革袋を満たしてから門へ進んでいた。


 水は障壁の内側から流れてくる。


「給水路か」


 ミーナが立ち上がる。


「大きな町は、壁より先に水を作る。聖都が今の障壁を築いたのは古代じゃない。昔の水路まで全部、血統認証に作り直してるとは思えないわね」


 俺たちは日が落ちるまで丘の陰で待った。


 待つ間にも、聖都の鐘は同じ間隔で鳴った。音が空気を通るより先に、エリシアたちの血統印へ届く。耳で聞く鐘と、骨の内側に響く鐘が半拍ずれ、そのたびに彼女の肩が硬くなった。


「痛む?」


「痛みではないわ。次に何をすればいいか、身体が先に知っている感じ」


「何を命じられている」


「膝をつく。両手を組む。呼吸を四拍へそろえる」


「拒めるか」


 エリシアは一度、目を閉じた。


 鐘が鳴る。


 右膝がわずかに落ちた。だが、彼女は焔紋の杖を地面へ突き、身体を支える。


「拒める。今は」


 リオネルも風刃剣の柄を強く握っている。セリナは紫の光を抑えるようにこめかみへ指を当てていた。


 接続者三人が、同じ命令を別々の感覚で受け取っている。


 その違いが残っているうちに入らなければならない。


     ◇


 夜になり、巡礼者が途切れた。


 ミーナとダリオが先に水場へ降りる。俺たちは五十歩離れて待ち、異常があれば戻る手順を決めた。


 半刻後、斜面の下で覆い布が二度揺れた。


 経路あり。


 俺たちは荷車を窪地へ隠し、必要な荷物だけを背負った。食料一日分。水。低出力探針。黒鉛負荷。切離し爪。記録板。治療具。持てるものには限界がある。


 何を持つかは、何を捨てるかを決めることだった。


 水場の石槽は、底板の一部が外れていた。


 下には人ひとりが肩をすぼめて通れる空洞がある。水は別の陶管を流れ、空洞そのものは保守用の歩廊になっていた。


「聖都創建期の巡礼者用給水路」


 ミーナが壁の刻印をなぞる。


「病人や子どもへ水を運ぶため、外からも弁を開けられるようにしてある。教会が今の認証網を作るより古い」


「封鎖は?」


「内側に鉄格子が二枚。一本目は錆。二本目には新しい聖印線。そこまでは行ってみないと分からない」


 ダリオを先頭に、一列で入る。


 水の匂い。


 湿った石。


 天井は低く、ナタリアの記録箱が何度も擦れた。足元には浅い流れがあり、冷たい水が靴へ入る。


 障壁の下を通過した瞬間は、音で分かった。


 外で鳴っていた虫の声が消えたのだ。


 代わりに、聖都の鐘が水路の石を通じて響く。


 一打。


 音が骨まで染み込み、エリシアの呼吸を一定の四拍へ引き込もうとする。彼女の胸が途中で止まり、次の息を鐘の合図まで待ちかけた。


「鐘の四拍を数えるな。俺の足音を基準にしろ」


 俺が言うと、エリシアが苦しそうに息を吐いた。


「足音を?」


「鐘は四拍周期で血統印へ補正を送ってる。呼吸や歩調まで同じ周期にそろえば、身体が次の命令を受け入れやすくなる。俺は非連結だから、その補正に引かれない。別の周期を作る」


 俺は靴底で、新しい歩調を刻んだ。


 三歩進み、二拍止まる。


 四歩進み、二拍止まる。


「全部で十一拍。鐘の四拍とは、重なる位置が一巡ごとにずれる。この歩調を追って」


 先頭のダリオが速度を合わせる。


 エリシアは俺の足音へ意識を集中し、鐘に止められかけていた呼吸を自分の意思で吐き出した。リオネルとセリナも、十一拍の歩調へ続く。


 三歩。


 二拍の停止。


 四歩。


 もう一度、二拍だけ止まる。


 教皇の鐘に比べれば、靴音などあまりに小さい。


 それでも、誰の拍を基準にして進むのかは、まだ自分たちで選ぶことができた。


     ◇


 一枚目の鉄格子は、音を立てずに外せた。


 蝶番の錆をリオネルの風で払い、エリシアが石壁側だけを温める。膨張差で隙間を作り、ダリオが格子を持ち上げた。


 二枚目は新しかった。


 銀線が格子の交点を走り、中央の聖印へ集まっている。


【保守通路封鎖】


【解除権限 聖都水務司祭】


 壊せば警報が出る。


 解除を待てば、ここで終わる。


 俺が線を追っていると、格子の向こうで小さな灯りが点いた。


 人影が一つ。


 白い下衣に灰色の前掛け。腰には弁回しと短い工具束。武器はない。


 中年の男がこちらを見ていた。


「外部観測者か」


 声は水音に紛れるほど低かった。


 ダリオが刀の柄へ手を置く。


「名を」


「聖都第三水務院、保守司祭ヨハン。名簿上は、今も勤務中だ」


「なぜ待っていた」


「障壁に黒い線が入った。古い水路の圧力が一度だけ変わった。根の命令を受けていない経路は、ここしかない」


 ヨハンは聖印へ手を当てた。


「開ければ私の名が残る」


「残さず開ける手段はある」


 ミーナが言う。


 ヨハンは首を振った。


「残す。後で、誰があなたたちを入れたか分からなくなれば、別の者が罪を着せられる」


 クラリス先生が一歩前へ出た。


「開ける理由を聞いても?」


「今朝、治療院の温水槽が止まらなくなった。患者が熱いと訴えた。根は、治癒に必要な温度だと答えた」


 男の声がわずかに震える。


「温度を決めたのは患者ではない。治療師でもない。だから弁を閉じた。私は今も教皇猊下へ祈っている。だが、患者を煮る命令に祈るつもりはない」


 ヨハンが解除句を唱える。


 聖印線が彼の血統署名を読み、白から青へ変わった。


【解除理由を入力】


「患者および市民の退避経路確保」


【上位承認を要求】


 表示が止まる。


 ヨハンは待たなかった。


 腰の工具束から鉄の鍵を抜き、格子脇の小穴へ差し込む。


「認証ができる前から、この格子はあった」


 機械式の錠が外れる。


 彼は自分の名を記録板へ刻み、その下に時刻と理由を書いた。


 格子が開く。


「ようこそ、聖都ハルモニアへ」


 歓迎の言葉なのに、ヨハンの顔には笑みがなかった。


     ◇


 地上へ出ると、治療院裏の洗濯室だった。


 窓の外に聖都の夜がある。


 白い。


 街灯も、家々の窓も、尖塔の頂も、すべて同じ色で光っている。明るいのに影が薄く、奥行きがない。人々は大通りを静かに歩き、鐘が鳴るたび同じ方向へ顔を向けた。


 市場の露店は閉じられていない。パンも布も薬草も並んでいる。だが、売る者と買う者の会話がない。価格表示は根権限が決め、支払いも登録印が自動で処理する。間違いも値切りも起きない代わりに、誰も何も決めていなかった。


「これが、争いのない町?」


 ナタリアが囁く。


「記者としては最悪ね。誰も嘘をつかないんじゃない。自分の言葉を使ってない」


 ヨハンから大聖堂までの経路を聞く。


 大通りは避ける。鐘楼の監視像が接続者の歩調を照合している。裏通りも三本に一本は封鎖。安全なのは、治療院から古い施療修道院、そこから鐘楼下を通る保守路だった。


「根の部屋は大聖堂地下です」


 ヨハンが地図へ印をつける。


「三日前から、王国の冠片と帝国の黒い心臓が運び込まれた。枢機卿ヴァレンが輸送を監督し、帝国の男が調整していた」


「エドガーか」


「名は知りません。右腕が黒い金属だった」


 間違いない。


「教皇は?」


「昨日から礼拝堂へ姿を見せていません。ただ、声は前より近い」


 ヨハンは胸を押さえた。


「耳ではなく、ここから聞こえる」


 血統印。


 身体の内側を礼拝堂にされている。


 その時、洗濯室の外で足音が止まった。


 同時に十人。


 速さも、靴底の鳴り方も同じ。


 ヨハンの顔が強張る。


「監視聖兵です。水路の解除記録が上へ届いた」


 ダリオが扉脇へ立つ。


「出口は」


「奥の乾燥室から屋根へ。ただし負傷者棟の上を通る」


「火は使えない」


 エリシアが即答する。


 扉が白く光った。


【保守司祭ヨハン】


【規定外解除を確認】


【扉を開け、両手を見える位置へ】


 ヨハンが震える手を上げかけた。


 俺は止めない。


「どうしたいですか」


 訊く。


「私が出れば、患者は」


「尋問される。戻れない可能性もある」


「逃げれば、家族に疑いが向く」


 クラリス先生が地図を見た。


「ここに残り、通常の保守点検だったと説明する選択もあります。私たちの経路は別に作れます」


 ヨハンは扉を見た。


 外から二度目の命令が来る。


【開扉まで五拍】


 五。


 男は工具束を握った。


 四。


「私は残ります」


 三。


「ただし、従うためではありません。患者を逃がす時間を作ります」


 二。


 ヨハンは乾燥室の扉を開き、俺たちを押し込んだ。


「鐘楼下の赤い弁を探してください。そこだけは、まだ手で回せます」


 一。


 洗濯室の扉が開いた。


 俺たちは乾燥布の間を走る。


 背後でヨハンが、堂々と名乗る声が聞こえた。


「第三水務院保守司祭、ヨハン。患者の過熱を止めるため、私の判断で格子を開きました」


 聖兵の命令が重なる。


 それでも彼は、同じ言葉を繰り返した。


 自分の判断で。


 その言葉だけは、鐘の拍へそろわなかった。


     ◇


 屋根へ出る。


 白い聖都が眼下に広がった。


 大聖堂までは七百歩ほど。だが、その間に三つの鐘楼と二本の大通りがある。


 乾燥室の警報を受け、周囲の聖兵が一斉にこちらへ顔を向けた。


 杖が上がる。


 白い光弾が、別々の場所から同時に放たれた。


「伏せろ!」


 リオネルの風が屋根瓦の上を走る。光弾を正面から止めず、その外皮だけを横へ押す。最初の三発が逸れ、煙突を削った。


 残る四発は、逸らされた三発の軌道を見て自動補正した。


「学習してる!」


 エリシアが焔紋の杖を振る。


 火球ではない。屋根と光弾の間に、薄い熱の層を三枚置く。空気の密度差で光の位相が屈折し、四発が上下へ割れた。


 一発が足元へ落ちる。


 俺は束縛膜を斜めに張った。


 受け止めない。


 膜の表面を滑らせ、空へ返す。


 反力が腕へ来る。


 肩の古い傷が熱を持った。


「ユウマ!」


「問題ない。続けてくれ!」


 ダリオが先頭で隣の屋根へ跳ぶ。セリナが幻惑を広げ、俺たちの影を五方向へ分けた。


 だが、聖兵の杖は影を追わなかった。


 血統署名のある三人――エリシア、リオネル、セリナだけを正確に狙う。


「私の幻惑を見ていない」


 セリナの声に、初めて焦りが混じる。


「視覚じゃない。登録層で追ってる!」


 俺とミーナ、ダリオ、ナタリア、クラリス先生は照合上存在しないか、非戦闘対象に分類されている。接続者だけが、逃れられない標的になっている。


「ユウマ! 俺たちの血統署名を、一時的に消せるか?」


 飛来した二本の光弾を風で上空へ逸らしながら、リオネルが俺に叫んだ。


「一時的にならできる! だが、署名層を落とせば、そこから受けている血統補正も失う。今ここで風術が不安定になれば、屋根から落ちるぞ!」


 俺が答えると、リオネルは即座に判断を変えた。


「なら、消す必要はない。逆に俺の署名だけを強くする!」


「何をするつもりだ!」


「こいつらは血統署名を追っている。だったら、俺が全部引きつける。お前たちは鐘楼へ走れ!」


 リオネルは屋根の端へ踏み出した。


 風刃剣を高く掲げ、柄を握る右手の血統印へ意図的に魔力を集中させる。青白い紋様が腕から肩まで走り、夜の屋根の上で燃え上がるように輝いた。


 それまでエリシア、リオネル、セリナの三人へ分散していた光弾の照準が外れる。


 次の瞬間、すべての光弾が、囮となったリオネルへ一斉に集中した。


「待ちなさい、リオネル!」


 セリナが叫ぶ。


「大丈夫だ。切るための風じゃない!」


 彼は剣を振り下ろした。


 屋根と屋根の間に、太い上昇気流が生まれる。飛び込んだ光弾は風の筒を上へ走り、夜空で互いに衝突した。


 白い閃光。


 衝撃が聖都へ広がる。


 リオネルの膝が落ちた。


 出力では負けていない。だが、彼の風は根権限から補正を受けるたび、聖兵の基準拍へ近づいていく。使えば使うほど、敵と同じ命令へ接続される。


「短く使え! 維持するな!」


「分かっている!」


 エリシアがリオネルの腕を取り、屋根の陰へ引く。


 俺たちは鐘楼の根元へ飛び降りた。


 赤い弁がある。


 ヨハンの言った、手動保守弁。


 ミーナとダリオが同時に飛びつき、左右の留め具を外す。俺が中央の圧力表示を見る。


「一気に回すな。鐘楼の反力がどこへ行くか――」


 言い終える前に、鐘が鳴った。


 至近距離の一打が、身体を貫く。


 エリシアとリオネル、セリナがその場で膝をついた。


 街中の人々も同時に膝をつく。


 聖兵の杖が再び上がる。


 俺は赤い弁の先を見た。


 鐘を鳴らす駆動線ではない。


 地下へ伸びる太い黒鉛管。


「反力逃がしだ。開けろ!」


 ダリオが弁を回す。


 固い。


 ミーナが工具を噛ませる。


 二人で押す。


 弁が開いた瞬間、鐘楼の白い光が地下へ落ちた。


 次の鐘が鳴らない。


 聖兵の杖先が一斉に揺れた。


 基準拍を一つ失い、自動補正が照合先を探している。


「今だ!」


 立ち上がったエリシアが、屋根の上ではなく石畳へ火を走らせた。薄い熱の線が聖兵と俺たちの間を横切り、空気だけを膨張させる。


 轟音。


 誰も焼かない衝撃が聖兵を押し戻す。


 リオネルの風がその衝撃を横へ広げ、退避路を作る。


 俺たちは大聖堂側の細道へ飛び込んだ。


 鐘楼の陰を抜ける。


 その先に、白い法衣の人影が立っていた。


 細い身体。


 祈り数珠。


 袖口から覗く刃。


 シスター・レーネ。


 彼女は俺たちではなく、大聖堂の尖塔を見上げていた。


 横顔は裁きの塔で別れた時と同じ無表情だった。


 だが、口元だけが微かに動いている。


「停止を、要求します」


 一度。


「停止を、要求します」


 二度。


 そのたびに祈り数珠が白く光り、彼女の言葉を拒絶する。


 レーネがこちらを向いた。


 瞳の奥で、白い命令光と、弱い青い光が激しく衝突している。


「ユウマ」


 初めて、彼女は俺を対象ではなく、名前で呼んだ。


「次の命令が届く前に、私を止めてください」


 その袖口で、二本の刃が音もなく開いた。


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