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魔力最下位の理系転生者は、魔法を誰でも使える技術に変えたい ~詠唱はコード、魔法陣は回路。才能がないなら、法則を探せ~  作者: Ita
第8章 知識は檻を越える

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第42話 学院の沈黙


 裁きの塔での予備審査から、二日が過ぎた。


 ユウマはまだ、聖教会王都支部の拘置区に留め置かれている。

 正式な判決は出ていない。

 だが、学院にはすでに結果だけが先に届いていた。


 その朝、学院掲示板に三枚の告示が貼られた。


 一枚目。


 天城ユウマの研究資格を一時停止する。

 旧東棟、地下実験室、第六実験室、封印資料関連区域への立ち入りを禁ずる。

 未承認術式、短詠唱手順、退避札、停止札、外部媒体利用記録の配布を禁ずる。


 二枚目。


 疑似スキル互換層、外部演算、Ω、大域同期、非連結者補助核に関する研究会、討論、写本、口頭伝達を禁ずる。

 違反者は学院内規および聖教会審査規定に基づき処分する。


 三枚目。


 学院は秩序維持と学生保護のため、聖教会王都支部の異端審査に協力する。


 学生たちは、それを遠巻きに見ていた。


 誰も大声を出さない。

 怒る者も、笑う者もいない。

 ただ、目だけが動く。


 掲示板。

 周囲の顔。

 教師の位置。

 廊下の角に立つ監査官。


 人は恐れると、まず出口を探す。

 カイはそう言っていた。

 今の学院全体が、その状態だった。


 マレクは掲示板の前で立ち尽くしていた。


 低魔力学生。

 初等火花SELの再現試験で、自分の停止語によって火を消した少年。

 あの時、彼は泣きそうな顔で笑っていた。

 自分の手で火を灯し、自分の言葉で止められたことを、信じられないように見ていた。


 そのマレクが、今は唇を噛んでいる。


「……もう、やっちゃいけないんですか」


 彼の声は小さかった。


 誰に向けたものでもない。

 けれど、近くにいたミリーナ先生が聞き取った。


 ミリーナ=セイルズ。

 学院の魔法史講師であり、記録管理補佐でもある女性教員だ。

 裁きの塔での予備審査にも学院側の記録係として立ち会い、その夜遅くに学院へ戻っていた。


 今日も胸元には、白金の栞を模した徽章が留められている。

 彼女は告示を確認するために掲示板のそばにいたのだろう。

 手には、裁きの塔で書き取ったものとは別の、学院内記録用の薄い帳面を持っていた。


「今は、学院内での実施は禁止されています」


「今は?」


「ええ。今は、です」


「でも、天城さんは……」


 マレクは言葉を続けられなかった。


 ミリーナ先生は、白金の栞にそっと指を触れた。


「覚えていることまで、誰かに消す権利はありません」


 マレクが顔を上げる。


「でも、言ったら……」


「言う場所と、言い方を選びなさい。それは臆病ではなく、記録を残すための技術です」


 ミリーナ先生は掲示板を見た。


「歴史は、大声だけで残るわけではありません。小さく正確な記録が、後から世界を動かすこともあります」


 その言葉は、近くにいた数人の学生にも届いた。

 彼らは何も言わなかったが、目を逸らさなかった。


     ◇


 その日の放課後。


 クラリスの私室には、ユウマを除く研究班の面々が集まっていた。


 その空白が、部屋の中央に座っているようだった。


 机の上には、押収を免れた資料が並ぶ。

 正式な実験記録ではない。

 授業用の写し。

 フィンが図記号に直した安全手順の断片。

 リナが個人メモとして持っていた治癒危険基準。

 カイが退避経路の練習用に描いた簡易地図。

 リオネルが風術の外皮制御について自分用にまとめた走り書き。

 エリシアが火核の感覚語を翻訳するために書いた注釈。


 どれも、単独では術式にならない。

 だが、合わせれば思想になる。


 クラリスは、それらを一枚ずつ確認していた。


「これらは正式研究記録ではありません。だから、今朝の告示で即時押収される対象からは外れています」


 フィンが鼻で笑う。


「俺の落書きが役に立つ日が来るとはな」


「図記号は落書きではありません。専門知識を持たない人間に手順を伝える重要な形式です」


「先生、そういう褒め方されると照れる」


「照れている場合ではありません」


「はい」


 リナが小さく手を上げた。


「治癒SELの危険基準ですが、実行手順に見えないよう、禁忌条件だけを抽出しました。痛覚消失、拒絶反応の平滑化、代謝過剰、局所発熱、細胞信号強度の上限……」


「十分です」


 クラリスが頷く。


「それは研究成果ではなく、危険防止の教育資料として扱えます」


「でも、それも禁止されるかもしれません」


「されるでしょう」


「じゃあ……」


「だから、複数の形で残します」


 クラリスは棚から古い授業記録を取り出した。


「魔法史の中には、過去の失敗例として同じ内容を紛れ込ませられます。ミリーナ先生にも協力を頼みます。彼女は裁きの塔での記録を学院側へ持ち帰っていますから、今なら教会側の言い換えと学院記録の差分も確認できます」


 カイが地図を広げる。


「俺は、学院内の巡回が変わった場所を調べた。教会の黒衣が増えたのは北門、旧東棟、治療棟前、あと女子寮と貴族寮の間。逆に、南側の資材搬入口は王国兵だけだ」


 フィンが眉を上げた。


「お前、いつ調べたんだよ」


「朝飯前」


「文字通りかよ」


「文字通り」


 カイは少し笑った。

 だが、すぐ真顔に戻る。


「ただ、ユウマをここへ戻すルートじゃない。外へ出るルートだ」


 部屋の空気が変わった。


 エリシアが静かに問う。


「逃がす前提なのね」


「まだ決め打ちはしない。でも、聖教会王都支部から聖教国本院へ移送されるなら、王都内で動ける最後の機会は限られる。裁きの塔から北門へ向かう途中か、王国監査官の引き継ぎ地点。そのどちらかだ」


「移送日程は?」


「まだ分からない」


 リオネルが口を開いた。


「分かる可能性はある」


 全員の視線が彼へ向く。


「貴族評議の一部に、教会からの協力要請が回っている。王国としても、学院内の火種を長引かせたくない。早期移送を支持する派閥がある」


「あなたの家は?」


 エリシアが問う。


「グレイ家は慎重派だ。ユウマを嫌う者は多いが、教会に学院内の研究者を持っていかれることには反発もある」


「貴族の誇り?」


「領分の問題だ」


 リオネルは皮肉げに笑った。


「自分たちで踏むのはよいが、他人に踏まれるのは嫌だということだ」


「最低ね」


「否定はしない」


 フィンが腕を組む。


「で、その最低な領分争いは使えるのか?」


「使える。少なくとも、移送日時の情報は流れる可能性がある」


 クラリスが言った。


「リオネル君。危険です」


「承知しています」


「あなたは貴族側に残る必要があります。動きすぎれば、グレイ家もあなたを切るかもしれません」


「なら、切られない程度に動きます」


 その声には、以前の尊大さとは違う固さがあった。


「僕は、ユウマを全面的に理解したとは言いません。今でも腹立たしいことは多い。だが、彼を異端として教会へ売ることが、貴族の誇りだとは思わない」


 エリシアはリオネルを見た。


「少し、見直したわ」


「少しだけか」


「ええ。かなり見直すには、まだ早いわね」


「厳しいな」


 わずかな笑いが部屋に戻った。


 だが、すぐに扉が叩かれる。


 全員が息を止めた。


 クラリスが資料を重ね、布をかける。


「どなたですか」


「ゼノスだ」


 学院長の声だった。


 クラリスは少し迷ってから扉を開けた。


 ゼノス学院長が、一人で立っていた。

 護衛も監査官もいない。


「入っても?」


「どうぞ」


 彼は部屋に入ると、全員を見回した。


「研究会は禁止したはずだが」


「私的な学生相談です」


 クラリスが答える。


「そうか。ならば私も、私的な忠告をしに来た」


 ゼノスは机上の布を見たが、めくらなかった。


「天城ユウマの処分について、学院評議は研究資格停止で一致した。退学処分については保留。聖教会王都支部は、彼を本院審査へ回すよう求めている」


 エリシアが問い詰める。


「学院長は、それを認めるのですか」


「王国の許可なく、学院生を国外へ移すことはできない」


「では拒否を」


「簡単に言うな、エリシア嬢」


 ゼノスの声は重かった。


「教会は、封印書庫第三層の危険語検知を盾にしている。王国監査部も動いている。学院が全面的に彼を庇えば、学院全体が異端研究機関として扱われる」


「だから切り捨てると?」


「学院を守ることも、私の責務だ」


「学院とは、建物のことですか」


 エリシアの声が鋭くなる。


「それとも、学ぶ者のことですか」


 ゼノスは答えなかった。


 代わりに、クラリスが静かに言った。


「学院長。私も審査対象に含めるよう、教会へ申し出ます」


「クラリス君」


「封印書庫閲覧の監督者は私です。危険語検知時の報告者も私です。天城君一人を中心署名として扱うのは不正確です」


「それをすれば、君も拘束される」


「承知しています」


 ゼノスの顔に、初めて苦さが浮かんだ。


「君は昔から、危ういところで正論を言う」


「学院で教わりましたから」


「皮肉かね」


「少し」


 ゼノスは深く息を吐いた。


「私は、天城ユウマの才を惜しんでいる」


「ならば」


 エリシアが言いかける。


 ゼノスは首を横に振った。


「惜しむことと、守り切れることは違う。私は王ではない。教皇でもない。学院長だ」


「つまり、政治を選ぶのですね」


「秩序を選ぶ」


「同じことです」


「違う」


 その応酬は、ユウマと審問官の会話を思わせた。


 ゼノスはエリシアを見た。


「君にも、家から通達が来ているはずだ」


 エリシアの表情が固まる。


 クラリスが問う。


「エリシアさん?」


「……今朝、使者が来ました」


 エリシアは紅のリボンに触れた。


「ユウマとの共同研究署名を撤回しろ。今後一切接触するな。従わなければ、ヴァーミリオン家として学院であなたを後見しない。王宮行事への同行も、家名による推薦も、すべて停止する、と」


 フィンが低く呟いた。


「それ、ほとんど家から切るってことじゃねぇか」


「貴族の後見は、愛情ではなく契約です」


 リオネルが答えた。


「家名を使えるかどうかで、学院で開く扉も、閉じる扉も変わる。ヴァーミリオンの後見を失えば、主席であっても孤立する」


 フィンが低く呟いた。


「家族って、そんな簡単に保護とか外すのかよ」


「貴族の保護は、愛情ではなく契約です」


 リオネルが答えた。


 エリシアは笑わなかった。


「私は、まだ返事をしていません」


 ゼノスは言った。


「賢明な判断をしなさい。君は主席であり、ヴァーミリオンの火だ。君がここで燃えれば、多くの者が巻き込まれる」


「燃える前に、置き方を決めます」


「……それは彼の言葉か」


「私の言葉です」


 エリシアの声は、はっきりしていた。


 ゼノスはしばらく彼女を見ていた。

 やがて、扉へ向かう。


「近く、正式な移送命令が出るだろう」


 全員が息を止める。


「学院長」


 クラリスが呼ぶ。


「なぜ、それを私たちに?」


 ゼノスは振り返らなかった。


「私は学院長だ。学生が無謀な衝突で、取り返しのつかない傷を負うことは望まない」


「逃げろという意味ですか」


「私は何も言っていない」


 それだけ言って、ゼノスは部屋を出た。


 扉が閉まる。


 しばらく、誰も話さなかった。


 最初に動いたのはフィンだった。

 彼は工具ベルトから、小さな黒鉛板と銀線の束を取り出す。


「止める箱、作るぞ」


 リナが頷く。


「危険基準、写します」


 カイが地図を広げ直す。


「南側の資材搬入口から外縁路まで、もう一度確認する」


 リオネルが言った。


「移送日時を探る。貴族寮へ戻る」


 エリシアは紅のリボンを見下ろしていた。


 ヴァーミリオンの家紋。

 生まれた時から当然のように身につけてきたもの。

 誇りであり、枷でもあるもの。


 彼女はそれを外さなかった。

 まだ。


 だが、結び目に指をかけた。


「私は、父に返事を書きます」


 クラリスが問う。


「内容は?」


 エリシアは少しだけ笑った。


「見てしまったものを、見なかったことにはできません」


 それは、かつて彼女がユウマに告げた言葉だった。


 同じ言葉が、今は家を背く準備になっている。


 学院は沈黙している。


 だが、その沈黙の下で、手順は動き始めていた。


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