峠を越したら……
手慰み第数弾であります。
お楽しみいただければ、幸いであります。
ある伯爵家に嫁いだ幼馴染が、出戻って来た。
どうやら病にかかり、療養のため王都の男爵家に戻されたようだ。
小さい頃から恋慕っていた、年上の男爵令嬢の不憫な事情に子爵令息は心を痛めていた。
だが、年頃の令息にも婚約者がおり、中々見舞いに行く事が出来なかった。
三男坊の自分だが、格上の侯爵家への婿入りが決まっているから、尚更婚約者を無下には出来なかったのだ。
我慢に我慢を重ねたある日、辛抱出来ない事態になった。
実家の子爵家と侯爵家に、男爵令嬢の危篤の報があったのだ。
丁度婚約者との茶会の最中で、子爵令息は衝撃で青ざめた顔を、侯爵令嬢に向けた。
その目を受けた婚約者も、目を見開いて呟く。
「とうとう……。そうですか。すぐに向かうと、お伝え下さい」
そう男爵家の伝達に告げると、意外な反応に驚いている婚約者に頷き、侯爵令嬢は言った。
「その時が来たら、一番に駆けつけて欲しいと、友人である彼女から、頼まれていましたの」
そうだ、婚約者と男爵令嬢は、学生の時は同級生で、身分を超えたライバルであり、友人だった。
子爵令息が彼女の幼馴染であるのも知っており、一緒に行きたいと頼むと、婚約者は少し躊躇ってから、同じ馬車に乗る許可をくれた。
走り出した馬車の中で、気持ちだけが急く令息の前で、令嬢も落ち着きなく外を眺めて、何か呟いていた。
男爵家の前で止まった馬車から、子爵令息は急く気持ちを抑えきれずに外に飛び出し、出迎え全てをすり抜けると、勝手知ったる男爵家に入った。
侯爵家より遥かに小さな屋敷内を、使用人と医師たちが駆け回っており、緊迫した状態は未だ続いてるいるようだ。
その中心の部屋の外の廊下で、見知った顔の男爵が、見知らぬ男とうろうろと歩き回っているのが見えた。
侯爵令嬢が使用人の一人を捕まえて、現状を尋ねて婚約者にも伝える。
「今夜が、山だそうです」
「その山を越えれば、一先ず大丈夫なんですね?」
「……はい。後は、本人の体力次第だと」
頷いた侯爵令嬢の声に、部屋からの悲鳴に似た声が重なった。
苦痛に満ちたその声に、子爵令息が思わず部屋の扉に張り付いた。
そのまま扉を破る勢いで、ドアノブを掴んだ時、新たな叫びが響いたのだった。
「ホギャー! ホギャー!」
元気な産声が響き、固まった子爵令息の背後で、婚約者が歓喜の声を上げた。
「まあっ。もう生まれましたわっ」
「ははっ。妻の時より、安産だ」
気の抜けた、男爵の声。
その傍で立ち尽くした男が、子爵令息を扉から引き剥がし、ドアノブを引き剥がす勢いで扉を開く。
「よく頑張ったっっ。我が愛しい妻よっっ」
「っ。伯爵様っ。まだ、入ってはいけませんっ」
「元気な男の子ですよっ。跡継ぎさまはお任せいたしますから、奥様から離れて下さいませっ」
産婆たちの剣幕におされ、男が何かを腕に押し付けられて、女たちの指示通り、ワタワタと湯浴みさせる様を、子爵令息は呆然と見ていた。
伯爵が、子爵令息の不在に気づいたのは、それからかなり後だった。
生まれたばかりの息子を相手にしている間に、帰ってしまったらしい。
「矢張りまだ、あなたの事を好いているのかもしれません」
これは、一人残った侯爵令嬢の言葉だ。
それを聞いた妻は、何とも言いがたい顔になった。
言葉を発した侯爵令嬢も、同じような顔になっていたが。
仕方ない。
伯爵夫人の幼馴染で、侯爵令嬢の婚約者の子爵令息は、素直になれずに初恋を逃した男、だった。
今でこそ、分別をわきまえているが、侯爵家と縁が出来るまでは、我が強く異性は格下と決めつけ、男爵家の幼馴染の少女には、特に当たりが強かった。
好意との裏返しにしては、度がすぎる愚行は、学園に入学する頃には更にエスカレートし、男爵令嬢は子爵令息と顔を合わせないよう、学園内を逃げ回る日々を過ごしている内に侯爵令嬢と知り合い、伯爵令息だった自分と縁が出来た。
政略結婚と言うには、伯爵家に旨みはない結婚だが、田舎の領地を持つ伯爵家は、騎士団を指揮する侯爵家と懇意にしていた方が、野盗討伐の加勢を頼みやすい所を、前伯爵は魅力に感じたらしかった。
娶る事になった小伯爵は、そう言う思惑とは裏腹に、夫人と相思相愛となり、無事跡継ぎに恵まれたのだったが……。
伯爵には、同じ人生を一度終えた記憶がある。
出産に伴い、男爵家の領地に戻った夫人を、鬱で早死させてしまった記憶も。
原因は、出産後に国中を震撼させた、侯爵一家殺傷事件だった。
犯人は、令嬢の婚約者で夫人の幼馴染である、子爵令息。
侯爵家で暴れ回り、令嬢他女使用人に剣で斬りかかり、拘束に動いた護衛を含む数名に怪我を負わせた騒動で、初めに斬りかかられた令嬢と、彼女を庇った使用人数名は、命を落としてしまった。
伯爵家の跡継ぎ誕生の報を伝えたタイミングでの、子爵令息の愚行でもしやと思っていたのだが、あのクソガキ、夫人が里に戻った理由を、勘違いしていたらしい。
それを知ったのは、夫人の忘れ形見となった息子が嫁を取ったのを見届け、早逝した後だった。
一人で領地管理と王都での仕事に明け暮れ、過労で倒れた伯爵は、息を引き取ってすぐ、学生の時に巻き戻っていた。
丁度、男爵令嬢との縁談が進み、男爵夫妻との顔合わせをした頃で、その時父である伯爵と、舅である男爵が、夫人たちと男爵令嬢に席を外させ、男三人で真剣に顔を突き合わせたのだ。
「あのガキ、娘が故郷に出戻ったと、勘違いしていました」
「は?」
寝耳に水の理由に、伯爵家の二人は思わず間抜けに返した。
そんな二人に、男爵は子爵令息の言い分を伝えた。
病を理由に領地に出戻った男爵令嬢を見舞いたかったが、婚約者が承知してくれなかった。
その日は早馬で、子爵家に令嬢の危篤の報が届いて、すぐに男爵領に向かうつもりだったのに、婚約者に止められてしまい、カッとなって剣を振り回した。
「無事だった侯爵家の使用人が、証言しました。玄関先での会話で、侯爵令嬢は婚約者に冷静さを促し、男爵家よりの報を伝えようとしていたそうですが、あやつは突然剣を抜いて、暴れたようです」
あの武闘派の侯爵家の面々が、後手に回ったのも頷ける経緯だが、伯爵は別な事に違和感を持った。
「頭が、おかしくなったのか?」
小伯爵も、うろ覚えの子爵令息の顔を思い浮かべ、唸ってしまう。
そこまで思い詰める程、自分の婚約者に執心していたのだろうか?
頭が可笑しい令息の心境は傍に置き、記憶を共有した三人は、前の人生と同じように、縁を結んだ。
結婚式で、再び初々しい花嫁姿を拝んだ新たな伯爵は、己の中で強く誓った。
夫人の心身全てを、生涯守って見せる。
そのために、持てる全てを使って根回しをした。
夫人の出産を、領地ではなく王都の屋敷にしたのも、その一つだ。
侯爵令嬢を出産時に呼ぶ手配をするに当たって、同じように前世の記憶があった侯爵の協力も得られた。
幸せそうに笑い合う女たちと、夫人に抱かれて眠る赤子を見守りつつ、伯爵は男爵家を去った子爵令息の行方を、侯爵家の者から伝え聞いた。
ふらふらと屋敷を出た令息はすぐに保護され、密かに処理する手筈が整ったらしい。
前の人生では、世間に散々醜聞を撒き散らして、平民として処刑されたが、今回はそんな終わり方はさせない。
子爵家とも話をつけた侯爵は、娘も伯爵夫人も煩わせない存在にすると、請け負ってくれた。
侯爵家はこれからまた、婿探しが大変だろうが、そこは伯爵家も協力しようと思う。
今は、一つの峠を越えた二人を、感慨深く見守ろう。
スマホでの文字打ち、まだまだ慣れません。




