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Lythraen ― 逆なる条理 ―  作者: 白想玲夢
第2章 分岐

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6/12

Phase1

28年1月1日


通知は、午前零時ちょうどに届いた。


【Lythraen/実験区限定】

本日より、Phase1を開始します。

本地域では、政策評価が一定条件下で制度に反映されます。

あなたの選択は、記録されます。


湊は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。


“記録されます。”


それは監視の響きではなかった。

むしろ逆だった。


――消えない、ということだ。


カーテンの隙間から朝の光が差し込む。

街はいつも通りだ。

通勤電車は混み、ニュースは芸能人の話題を流している。


国家は、静かな顔をしている。


だが、何かが始まっている。



霞ヶ関。


まだ人の少ない廊下を、低い声が滑っていく。


「本当にやるのか。」


「限定地域です。法的にも問題はない。」


「問題は法ではない。前例だ。」


会議室のモニターには、実験区の地図が映し出されている。

小さな色付きの点が、参加世帯数を示している。


増えている。


「参加率、初動で二八%。」


「想定より高いな。」


「珍しいものは、触る。」


誰かが言う。


「……慣れたらどうなる。」


沈黙。


Phase1は革命ではない。

中央の権限は変わらない。

予算総額も動かない。


ただ、配分の一部が可視化され、

一定範囲で住民の評価が次期調整に影響する。


仕組みは地味だ。


だからこそ、扱いづらい。



実験区――北国の地方都市。


除雪費の再配分案がアプリに表示されている。


A案:高齢者世帯優先除雪強化

B案:通学路の重点除雪

C案:商店街周辺の迅速対応


数字は明確だ。

予算の移動が、視覚化されている。


市役所の若手職員が画面を見つめる。


「これ、本当に反映されるんですよね。」


上司は答える。


「一定の閾値を超えればな。」


「怖くないですか。」


「怖いよ。」


だが、その声はどこか柔らかい。


これまで“内部調整”で決まっていたものが、

初めて外に開かれる。


決める側と、決められる側の境界が、

少しだけ曖昧になる。



東京。


証券会社のフロア。


「Phase1って何だ?」


「限定自治の実験らしい。」


「市場に影響あるか?」


「直接はない。ただ……」


「ただ?」


「政策決定の予測モデルが少し変わる。」


アルゴリズム担当が眉を寄せる。


「不確実性が増える?」


「短期的には。」


「長期は?」


「……参加率次第だな。」


市場は予測可能性を好む。


だが、完全に読める政治は、

時に急激な反動を生む。


少しの揺らぎは、

むしろ緩衝材になるのかもしれない。



湊はアプリを開いた。


表示されているのは、

自分の暮らす地域の教育予算配分案だった。


A案:ICT設備更新を優先

B案:少人数学級の拡充

C案:地域講師の増員


それぞれに、効果予測とリスクが記されている。


彼はB案を選び、指を止めた。


「……これでいいのか。」


父の声が脳裏に浮かぶ。


――国家は制御系だ。


だが今、制御は単線ではない。


送信。


画面がわずかに明滅する。


ありがとうございました。

あなたの選択は、次回調整に反映される可能性があります。


“可能性”。


確定ではない。

だが、無視でもない。


湊は小さく息を吐いた。


国家が、遠くない。


それは温かさではない。

だが冷たさもない。


関与という感触。



夜。


家庭の食卓。


母親がスマートフォンを見せる。


「これ、やった?」


高校生の娘がのぞき込む。


「うちの地域も対象なんだ。」


「どう思う?」


娘は少し考える。


「……選べるの、ちょっと怖いね。」


「なんで?」


「今までは“誰か”が決めてたから。」


母は笑う。


「その“誰か”の一部になるってことね。」


娘は画面に触れる。


その指は、少しだけ震えている。



深夜。


霞ヶ関。


モニターの数字がまた増える。


参加率三六%。


誰かが呟く。


「止めるなら、今だ。」


別の声。


「止めたら、どう説明する。」


沈黙。


ログは静かに積み上がる。


選択の痕跡が、数値になる。


数値が、次の制度をわずかに動かす。


揺れているのは国家か、

それとも人の意識か。


まだ、誰にもわからない。


Phase1は、始まったばかりだ。

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