静かなさだめ
27年9月18日
夜の研究室は、静まり返っていた。
窓の向こうに広がる京都の灯りは、どこか遠い。
湊は、父の背中を見つめていた。
壁一面の数式。
均衡方程式。
安定条件。
父は振り向かずに言う。
「国家は巨大な制御系だ」
その声は穏やかだが、揺らがない。
「入力があり、出力がある。
誤差は検知し、補正すればいい」
湊は静かに問う。
「でも、誤差は悪いものなの?」
父の手が止まる。
「誤差は不安定要素だ」
「でも」
湊は言葉を選ぶ。
「揺らぎがあるから、変化が生まれる」
沈黙。
チョークが再び動く。
二本の曲線が描かれる。
一点で交わる。
「ここが分岐点だ」
父は言う。
「均衡を保つか。
揺らぎを許すか」
「どちらが正しいの?」
父は初めて振り向く。
「正しさではない。
持続可能かどうかだ」
その言葉が、湊の胸に残る。
持続。
それは安定なのか。
それとも進歩なのか。
研究室の時計が、静かに時を刻む。
外では、何も起きていない。
だが湊は感じていた。
何かが、すでに動いている。
端末に通知が入る。
【未知の分散ノード増加】
ニュースでは扱われない小さな動き。
だが確実な変化。
父が低く言う。
「均衡は壊れやすい」
湊は、ゆっくり首を振る。
「壊れるんじゃない。
動くんだ」
父は答えない。
ただ、黒板の交点を見つめる。
その点は、静かだ。
だが湊にはわかる。
もう戻れない。
選ばなければならない。
それは誰かに決められるものではない。
自分で、選ぶしかない。
研究室を出ると、夜風が冷たい。
空を見上げる。
都市の上空を、小さな配送ドローンが横切った。
未来は、もう始まっている。
それは革命ではない。
音のない、さだめのような分岐だった。




