第8話
茉央の回想は煌びやかな灯りから始まりを告げる。
「確か友達が言っていた呪術師はここら辺だった気がするけど……」
周りを不安そうに見渡しながら、台北霞海城隍廟の通りにあるお店を茉央は探していた。
何故ならば今回の旅の目的は、台湾でも凄腕の呪術師に縁結びをしてもらう為だから。
始まりは友人からの何気ない親切からだった。
茉央の旅は、決して観光雑誌のルートをなぞらない。
裏路地で食べた屋台の匂い、異国の人の笑顔、知らない文化——そういう“偶然の縁“を拾う旅を好んでいた。
何度も台湾にも旅行をして、地元の友人はそれなりにいた。
恋は世界共通なようで、お互いの恋人について通話で盛り上がっていると楽しくて時間を忘れる。
最近仕事で忙しく、声を聞けない日が続く陸と結婚をしたい。だけど中々話が出来なくて寂しいと茉央は口にする。
すると台湾の友人から、今度来るなら縁結びに強い呪術師がいるから、紹介しようか?と聞かれた。
呪術師と聞いて茉央は怖さが勝ってしまい最初は断ってしまう。
友人は台湾の呪術師は日本でいう占い師だったり、巫女さんとかで日常を助けてくれる人だと説明をする。
陸と茉央が末長く幸せでいられますようにって願掛けみたいなものだから、怖がる必要もないし、勿論嫌なら断っていいと伝えてくれた。
茉央はそれを聞き、神社でのお願い事みたいなものだと納得する。
本来呪術師は海外の人を受け付けないけど、友人は常連さんらしく特別に枠を入れてくれた。
それが今日なのだが、お店の看板が見つからなくって茉央は焦る。
時間が時間だしもう諦めようかなと、引き返そうとした時にチラリと視界に映った看板の名前。
「あっ、あった!」
慌ててスマホで名前と写真を確認して、一致したのが分かると、曇天模様の心が一気に晴天となり、自然と笑顔となる。
古びた外観は風格を漂わせながら、どこか余所者を拒む気配を孕んでいた。茉央の背筋に、静かな緊張が走る。
「こ、こんにちはー……。予約していた者ですが」
控えめにお店の扉を開けると、ミルラの香りが外の空気を塗り替えた。周りは暗く、お札が貼られている。
風もないのに揺れめロウソクの火は、日本の神社ではない重厚さと異様さを演出しており、茉央は無意識に心の中で身構えてしまう。
「いらっしゃい茉央さん」
呪術師と思われる存在は、黒い布面をつけている。男性とも女性とも似つかない声は、人の世離れてしているように感じた。
しかし、何故か茉央が無意識にしていた緊張を攫ってしまう。
「どうぞ座ってください」
茉央は誘われるように、体が勝手に椅子へと座っていた。
「日本人はこういうの慣れてないと思うけど、大丈夫ですか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
縁結びをする為の準備をしていると思われる呪術師は心配そうに確認を取ったから、茉央は咄嗟に返事をする。
「そう、ならよかったです。この紙に名前を書いてほしいです」
それを聞いて嬉しそうにした呪術師は、茉央の前に墨と筆、そして白い人型の紙を渡す。
「あっ、はい。分かりました」
茉央は言われるまま書いた後、呪術師に返した。その人型の紙を赤い糸で結んだならば、聞き慣れない現地の言葉で唱えながら、水の上に落とす。
だんだんと溶ける紙は水と一体化していく。茉央はその様子を見て、何故か別れの寂しさがある事を感じた。
「こちらの酒は特別なものだから味わって飲んでください。そうすれば茉央さんの願いは叶うでしょう」
艶やかな漆の塗られた器は内側が赤く塗られており、そこに粘度のある白い液体が注がれていく。
アルコールの匂いが鼻を刺激する。初めて見たが、どぶろくの一種なのは茉央でも分かった。
躊躇いはあるが、日本でいう清め酒の役割があるのかもしれないと言い聞かせて茉央はゆっくりと口に含んだ。
舌に残る粒々とした酸味と、米の甘味はどぶろくを思わせる。……なのに微かに鉄の味がした。
──喉を通る瞬間、胸の奥がじんわり熱を帯びる。
不思議な味わいに自分の身体が侵されていく感覚に茉央は陥るが、なんとか飲み切った。
その直後、鈴のような不思議な耳鳴りがして茉央はその音に意識を持っていかれる。
「お疲れ様です。これで近いうちに貴方の願いを聞き入れてくれるでしょう」
「ありがとうございました」
縁結びの儀式は終わったようで、呪術師は深々と頭を下げるので、茉央も慌てて器を机に置き、お礼を言う。
茉央がお店から出ていく前、呪術師は声をかけてくる。
「茉央さんは幸運な方みたいですね」
「どういうことですか?」
思わず振り返る茉央に呪術師は穏やかな声で語る。
「神が貴方を気に召されたのです。恩寵はやがて訪れるでしょう。大事にしてください」
「ありがとうございます?」
呪術師は布面をしていても分かるほどに、笑顔が滲み出ていた。
呪術師の声の余韻が、先ほど感じた耳鳴りみたいに記憶に残った。
茉央は呪術師の言葉の意味が分からなかったが、きっといい事があるよって意味で言ってくれたのだと思うと、嬉しい気持ちになる。
「多謝你」
茉央にその言葉が届くことはなかった。
「眩しいっ!」
お店を出ると視界がいつも以上に明るく見えて、目を細める。街の明かりでは説明できないほどの透明感に心が奪われた。
「これが神様の恩寵なのかしら?」
なんて少しだけ笑って、茉央は賑やかな人混みへと紛れていく。
背後についている神様は、必ずしも人の為に動いてくれる事ではないことに、この時の茉央は気づけなかった。