第7話
「どういう意味ですか。神と契りを交わしたって」
あまりの衝撃に頭が真っ白になっている茉央の代わりに、レオンが切羽詰まったように尋ねる。
呪いのせいで様々な不幸に見舞われただけで、全て今日で終わると茉央は思っていた。
それが全てひっくり返されたことにより、理解が追いつかない。
「そこの方が先に契りを交わしている。だから、神から印をもらってしまった。貴方には左腕に纏わりつく青い刺青が見えてますよね」
「わ、私が……?」
追い討ちをされるように、自分からしたなんて言われ、視界が暗くなり意識を失いかける。
左腕を見つめる。蠢く紋様が生き物みたいに這うような感覚に陥り、吐き気が襲った茉央は手で口を塞いだ。
痣のような刺青が今まで痛みを感じなかったのに、針で刺された痛みがじんわりと体に広がっていった。
自分のせいで陸は悲惨な最後を告げたと言われた感覚に陥った茉央は、耳鳴りが止まず手足が痺れていく。
「先輩!」
ショックで倒れかける茉央を見て、焦ったレオンが額に汗を滲ませながら咄嗟に支えた。
冷えた身体にレオンの体温がじんわりと伝わった。乱れる呼吸の奥で、かろうじて意識を保つ。
「ありがとう……」
優しい温もりが、壊れかけた心をつなぎ止めてくれる。茉央はレオンに小さく礼を言った。
「横になっていいですか。ちょっとしんどくて……」
「勿論構いませんよ。色々と混乱されているでしょう」
今の状態ではどんな言葉を投げかけられても、言葉が遠く霞んでいく。
申し訳なさで消えそうな声で茉央が尋ねると、お坊さんは痛くないようにと座布団を敷いてくれる。
レオンは何も言わず、茉央のそばに膝をついて祈るように見守っていた。
横になり目を閉じると、思い浮かべるのは陸の笑顔。闇の底で沈む茉央に、記憶の中の恋人が手を差し伸べてくれた気がした。
「すみません。取り乱してしまいました」
「いえ、レオンからは聞いていましたが、まさかここまでとは……。最近何かしませんでしたか?」
僅かに軽くなった身体を起こし、茉央は軽く頭を下げた。その姿を見て陽だまりみたいな優しい声で、お坊さんが静かに尋ねる。
言葉を失ったまま、茉央はゆっくりと視線を落とした。
浮かんだのは、一人で台湾旅行をした時にかけてもらった特別なお呪い。
自分がした事に対して少し言葉にするのを躊躇って、空気だけが口の隙間から漏れでる。
「呪術師に縁結びをしてもらいました」
茉央の瞳には涙で潤んでおり、震える声で本当に叶えてほしかったお願い事を明かす。
「大事なことなので、詳しく教えてくださいますか?」
その言葉を聞いてお坊さんは少し俯き考える。そして、その縁結びに思い当たる節があるようで真っ直ぐ茉央を見つめた。
今では忌まわしい記憶を思い出すのは辛い。だけど、この負の連鎖を断ち切る事が出来るならばと茉央は、ぎゅっと拳を強く握る。
「あれは台北霞海城隍廟でお守りを買った後のことです」
あの日の台北の空は、夕立のあとの金色だった。
五香粉の甘くて不思議な香りが過去を鮮やかに呼び覚ます。線香の煙が風に揺れ、人混みのざわめきを聴かせてくる。
記憶の中のその街は、人々は明るいのに古の影が顔を覗かせ、歴史からぽつんと取り残されたようだった。
赤い灯籠が風に揺れるたび、微かな影と鈴のような音が胸に響く。すべてが始まったあの場所が静かに茉央を見つめている。