第3話
その日茉央は待ちきれない様子で、ソワソワと玄関付近を彷徨いている。
今日は陸が病院から帰ってくる日だからだ。電話では話していたけど、茉央にも仕事があり、中々会えずに寂しい気持ちが募っていた。
──ピンポーン。
「はーい!」
鳴り響くチャイム音に、茉央は確認もせずに扉を開ける。そこに立っていたのは、陸であった。
「ただいま」
「おかえり!」
陸の優しい声に茉央は玄関先だというのに、溢れ出す気持ちに抑えきれず、抱きついた。
陸にも茉央の会いたかった気持ちが伝わって強く抱きしめ返す。
ただお互いの体温を確かめ合うように、暫く無言の時間が続いた。
陸のよくつけるシトラスの残香は消え、薬品の香りに変わっていたけど、久しぶりの温もりに茉央はようやく生きた心地を取り戻す。
落ち着いた後、リビングのソファーに座り紅茶を飲みながら、恋人の会話に自然と笑みが溢れる。
「痕も残らないみたいでよかった」
「茉央がすぐに連絡してくれたから、助かったよ。……本当は怖かったけど、今は帰れて嬉しい」
あれだけの怪我を負ったのに、陸の手は思っていたより温かい。
茉央はそれだけで胸の奥がじんと熱くなった。
あの光景を思い出すたび、胸の奥が痛む。けれど今はそれを忘れたくなるほどに穏やかで、茉央は甘えるように陸の肩にもたれかかる。
「落ち着いたらまたデートしようね」
「勿論。前行きたいと言ってたお店に食事しよう」
二人だけの幸せを閉じ込めるように、誓いのキスをする。
そんな二人を見た秋風が、外で泣き声を立てて窓を叩く。
それが“警告”だったと知るのは、もう少し先のことだった。
あの事故を皮切りに陸の周りで、不幸が続く。出勤中に植木鉢が落ちてきたり、陸のお母さんが転けて骨折した。
それに比例するように茉央の見えない痣はより濃く、指から手へと静かに広がっているのに痛みはないからこそ不気味だ。
けれど心配させない為に辛いとか言わずにいつも通りに微笑む陸の姿を見て、茉央は痣を相談出来ずにいた。
茉央が夕ご飯を作っていると、陸から電話がかかってきたので、出てみると陸からの報告に驚きの声をあげる。
「えっ、昇級の話が出た? すごいじゃない!」
「うん、働きを認められてチーフにさせてくれそうなんだ」
仕事が終わった後も資料集めをしたり、遅刻だってした事がない。コツコツと真面目にしてきた結果なことは茉央も分かっている。
不幸続きだった中での昇級話に、安堵をしたのは茉央だけではない。
電話越しとはいえ、喜んでる声で陸が笑顔なことは想像しなくても分かる。
「今日はご馳走にしなくっちゃ! 陸の好きなハンバーグ作るわ」
「やった。今日は早めに帰るよ」
「ご飯が冷める前に気をつけて帰ってね」
二人の和やかな空気のまま茉央が呼びかけ、嬉しい気持ちのまま通話を切りかけたその時。
──刹那の静寂を遮り、不意に鳴り響くクラクション。
「陸? ねぇ、陸。大丈夫?」
だんだんと音が近づいてきて、何かがぶつかった。最近の出来事から不安が頭によぎって、呼びかけるけど周りの悲鳴のせいで届かない。
「ねぇ、返事して陸!」
優しい恋人の声はなく、代わりに冷たいコンクリートへ落ちた乾いた音だけが返事をした。