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神の花嫁  作者: 多田羅 和成


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最終回

 レオンは茉央が崖から落ちたと考え、警察に連絡をした。しかし茉央の遺体はなく、崖の下にあったのは、一輪のアブラギリのみ。


 警察の懸命な捜査も虚しく、茉央は行方不明のまま処理される事となった。


 この事件を人々は『神の花嫁事件』と名づけ、一躍有名となったが十年も経った怪奇事件よりも、今起きている娯楽へと流れるのが世の常。


 そんな事件に目を向けた人がいるとすれば、それはきっと──。


 杉の木だらけの林は、人里から離れて神秘的な空気を纏っている。決して楽ではない道を登りきった男は、ある寺の前へと立っていた。


「ここがあの有名な香園寺か」


 息を切らしながら、寺の外観をカメラに収める。男がきちんと撮れているかを確認していると、人影が近づいてきた。


「今日お話をされる小林さんですよね。私が香園寺の住職です。今日はよろしくお願いします」


「あっ、はい! 今日はよろしくお願いします!」


 若すぎる住職が話しかけると、深々と小林は頭を下げる。


 その姿を見て住職は穏やか表情を浮かべると、寺の歴史などを話しながら案内していく。


 小林は興味深そうに住職の話をメモをしながら質問をする。住職はその姿を好ましそうにしながらも、何処か悲しみの影が見える笑みを見せる。


 小林は住職の背中を見て、まるで世界を漂う亡霊のように感じてしまった。


「どうぞ冷めないうちに」


「ありがとうございます」


 お客を出迎える部屋まで案内すると、住職は小林にお茶を置く。


 茶柱が立っている緑茶を見て嬉しい事なのに、これから聞くことを考えると億劫に思ってしまう。


 そんな小林を分かっているからこそ、住職は自ら切り出した。


「小林さんが尋ねたいのは、“神の花嫁事件“についてでしたよね」


 住職から言われるとは思わず、小林は肩をビクッとした後に、湯呑みを置いて姿勢を正す。


「……はい。あの事件を追いかけ続けていました。貴方が最後の生きた証人ですから」


 小林は拳を強く握りしめ、真っ直ぐ住職を見つめる。


「レオンさん。姉ちゃんに、何が起きたのですか」


 あの事件が起きる前の事。姉の茉央が恋人だった陸を亡くし、精神的に参っていたのが分かっていたから、一緒に帰っていた。


 すると、通り魔が姉を狙おうとしているのが分かり、庇ったことで大怪我をした事を思い出す。


 今でも刺された後があり、思い出しただけで古傷が傷み、小林はその部分に手を当てる。


「俺、あの後両親から姉ちゃんは呪われてるから会うなと言われて……。今じゃ名前を出すだけで、怒鳴られるです。でも、そんなのあんまりじゃないですか。あんな優しかった姉ちゃんを忘れるなんて出来ません。お願いです。教えてください」


 悲痛な訴えにレオンは目を伏せようとした。しかし、小林も有耶無耶にされたくはない一心で土下座をし、頼み込む。


「そこまでしなくても大丈夫です。むしろ話させてください。……ただ、これから話す事は貴方の常識からかけ離れた事だと思います。それでもよろしいでしょうか」


「勿論。その為に来ました」


 レオンの忠告に小林は即答した。そしてレオンは静かに語り出した。人の範疇を超えた神の(のろい)が起こした悲劇。


 全てを聞き終えた時、事実が小林の肩に重くのしかかってくる。


 常識からは理解し難いことだ。レオンがずっと言わなかった理由も分かった。ただ一つ、小林には確認しなくてはならない事が出来た。


「レオンさんは、どうして姉ちゃんを行かせたのですか」


 ジッと見つめる小林の瞳にレオンは逃げなかった。


「……本当は引き留めたかったですよ。だけど、先輩は“行く“と決めてしまった。僕がどれだけ言おうと無理だと目を見て分かりました」


 震えるレオンの拳には、爪が食い込み血が垂れていく。彼は止めなかったのではない。止められなかったのだと小林は悟った。


「……姉ちゃんは頑固なとこがありますから」


 この十年間、レオンは何度自分を責めたのだろうか。当時は心がない人から、レオンが崖から突き落としたんじゃないかという憶測も飛び交っていた。


 そんな状態で会社にも社会にも孤立した彼を誰が責める権利があるだろうか。


 少なくとも今にも消えそうな人間を責め立てる事は、小林には無理だった。


「むしろ忘れないでいてくれたことが嬉しかったです。レオンさんにとって、あの事件は忘れたいものでしょうから」


「……僕が先輩のことを忘れたくなかっただけですよ」


 忘れていいよなんて無責任な事を小林は言えなかった。彼にとってこの寺で静かに茉央との思い出を思い返す事が、レオンの心を救っていると分かったからだ。


 それから茉央についての話を語り合うと、少しだけ人らしい表情を見せたレオンに、小林は安心した。


 夕暮れになった辺りで帰らなくてはいけない時間になった。小林は名残惜しさを感じながら、最後尋ねたかったことを口にする。


「最後にレオンさんは、姉ちゃんの事が好きでしたか?」


 その問いに対して、レオンは唇の端をキュッと噛み締めた後に、困ったように目尻を下げた。


「好きじゃなかったら、神様に刃向かうなんてしませんよ。今でも神様は大嫌いですけどね」


 小林が深々と頭を下げた後、見えなくなるまでレオンは後ろ姿を見送っていた。


 レオンが胸元から取り出したのは黒ずんで汚れてしまったピンクのお守り。


「……先輩にまた会いたいな」


 ──チリン。


 寂しげなレオンの側で鈴の音が鳴っている。だけど、レオンは聞こえていないのか寺へと戻っていく。


 今にも消えそうな淡く甘い香りを運ぶ優しい風が、木々を揺らしていた。

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