第19話
縁切り神社の中はとても静かで、人間である二人の存在が浮いているように感じられた。
レオンの実家のお寺と違って、生き物自体を拒絶している気がする。
なのに、茉央は何処かでこの先に行かなくてはならないという使命感に駆られていた。
「お待ちしておりました」
二人が空気に圧倒されているといつの間にか神主が話しかけ、深々とお辞儀をしている。
「こ、こんにちは」
縁切り神社の神主だからか、都会の人とは何かが違うと本能的に気づく。
畏怖に近い感情を抱いた茉央が戸惑いながらも挨拶をすると、神主は綺麗な笑みを浮かべてくれた。
それだけなのに、茉央の心の壁は呆気なく崩れていく。
ただ誰に対しても礼儀正しいレオンが、疑わしそうに神主を見つめていることが、少しだけ気がかりであった。
「縁切りの予約をしていたのですが、ここで合っていますか?」
「はい、合っていますよ」
レオンの神主に向ける視線は鋭く、警戒をしている事が分かる。
神主は嫌な顔一つせず淡々とした態度で答えた後、レオンに興味はないのか茉央の方だけを見ていた。
「茉央さん、ですよね。お話は聞いております。縁切りの儀式は準備は出来ておりますので、本殿に向かいましょう」
「あっ、はい……」
神主に呼びかけられて、離れようとする茉央の右手を咄嗟にレオンは掴んだ。茉央は驚いた表情で、レオンを見つめる。
「ど、どうしたの?」
「その儀式、ぼくも参加出来ますか?」
レオンの申し出に茉央は、目を見開いた。誰が見てもレオンは神主に不信感を抱いている。
もう神社だから大丈夫な筈だが、先ほどの神との鬼ごっこで、全てに疑心暗鬼になっているのかもしれない。
レオンが心配してくれる事が嬉しい気持ちと、ほんの少しだけの不安が顔を覗かせる。
「なりません。貴方は予約に含まれていませんし、本来ならば入る事すら許されませんから」
神主の威厳に満ちた声に、言われていない茉央の背筋が思わず伸びた。
神主はレオンの態度が気に入らないのか、眉間に皺を寄せているのに茉央は気づいた。
このままだとレオンが悪者になってしまう。彼の優しさを知っているからこそ、そんな風に見られたくない。
胸ポケットから取り出したのは、お寺で貰ったピンクのお守り。茉央は大事なお守りをレオンの手に持たせる。
「レオンくん。大丈夫だよ」
「でも……」
「このお守りがある限り、私はちゃんとレオンくんの元に帰るから。だから、安心して預かってほしいの」
優しげな笑みを浮かべる茉央を見て、レオンは開きかけた口を閉ざして、お守りを握りしめた。
「……分かりました」
「ありがとう。行ってくるね」
レオンの手から離れると、人よりも温かい体温が薄れていき、茉央は名残惜しさで戻りたくなる。
「では、行きましょうか」
神主の近くまで来た茉央は、歩み出す前にレオンの方をもう一度振り返った。
「いってくるね!」
それだけを告げて彼女は歩み出す。その背中を見て、レオンが手を伸ばした事を茉央は知らない。
あれから一時間以上が過ぎても、茉央は帰ってこない。あまりにも長すぎると、レオンが本殿へと近づこうとする。
『来ちゃダメだよ』
「先輩?」
いない筈の茉央の声がして、レオンは足を止めた。
──ピシリ。
お守りに入っていた人型が破れたと同時に、何かが壊れる音がする。
「……えっ」
目の前に広がっている光景をレオンは理解する事を拒絶した。
瞬きをしたほんの一瞬で、先ほどまであった鳥居も本殿も音もなく消えている。
茉央が進んだ先には、飛び降りれば助からない崖があるだけ。
アブラギリの淡く忘れそうな香りを含んだ風がレオンを押し返す時、茉央の最後に告げた言葉の意味を知る。
「先輩……? 先輩!」
レオンの呼びかけに誰も応えない。ただ虚しく山の中で響き渡る。
手の中にあるお守りは、滲んだ血のように赤く黒ずんでいた。




