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第12話

 気絶をした後、茉央が意識を取り戻したのは薄暗い早朝であった。部屋は何事もなかったかのように、明かりがついたままになっている。


 あの声は一体なんだったのか。夢に思うにはお守りが入ったピンク色の袋が、少しだけ黒ずんでいる。


 本当は休みたいが、一人でいるのは怖い。レオンにも昨日あったことを話したいから出勤をした。


 仕事に集中出来ない午前中を過ごし、昼休みになる。周りの社員たちは笑い声を上げながら、ランチへと行く。扉が開いた際に光が差し、眩しくなって目を細めた。


 茉央は隣の席にいるレオンに申し訳なさそうに眉を下げ、上擦った声をかける。


「仕事終わりに話がしたいから、ご飯行かない?」


「いいですよ。自分も話がありますから」


 断られなかったことに安堵をする茉央であったが、一つ疑問が浮かぶ。


 何故レオンからも話があると言ったのか。まるで何かがあったかのようにも感じられた。


 脳裏に浮かんでくるのは、契りのせいで犠牲になった人達。一体何があったの?と聞くには、人が多過ぎて言いづらい。


「ありがとう。じゃあ、仕事終わったら一緒に行こう。オススメのお店があるの」


 結局聞き出せずに、笑顔の仮面を被る茉央はコンビニで買ってきた鮭のおむすびを食べる。


 塩味が強いはずの鮭も、甘味がある米も、何もかも味がしなくて、粘土を食べている気持ちになった。


 一ヶ月、自分は耐えられるのか。不安が螺旋のように積み重なっていく。茉央はゴクリとおにぎりだったものを喉を通すと、また刺青が首筋を締め付けるように侵食をした。


 仕事が終わり、茉央が仕事をし始めてから、通い続けるイタリアンのお店にたどり着く。


 都会の喧騒の中にぽつんと浮かび、真っ白な壁が街のざわめきを拒むように立っている。


 二人は隅っこの席に通され、頼みたいものを頼んだ。聞き慣れたオシャレなジャズの曲すらも、今の茉央を慰めることは出来なかった。


「そういえば、昼休みに話があるってなに?」


 あの時言えなかった疑問を口にする茉央。不安を紛らわせるようにテーブルの下で親指をぐるぐと回す。


「あぁ、自分のところに赤い目が特徴な黒い影が来ました」


「えっ」


 レオンの言葉に、茉央の空気が凍りつく。寺に行く前に見た存在も目が赤かった。罪悪感で叫びたい気持ちを水を飲んで抑え込んだ。


「……やめる?」


 つい出てきた言葉に、茉央は胸を抉られる。もしここでレオンがやめてしまったら、独りぼっちで自分は耐えなくちゃいけない。


 そんなの無理だ。自分は優しさを知らずに生きていけるほど、強い人じゃないと茉央は誰よりも分かっていた。


「いえ、やめるつもりはないです。もしアレが先輩を追いかけている存在だとすれば、よく今まで耐えられたなって。自分なら気が狂いそうなところを、仕事もちゃんとして、やっぱりすごいカッコいいなって」


 レオンは内なる気持ちを言葉にするのが恥ずかしいのか、少し目を伏せている。茉央はその姿もだが、本当は怖いだろうに見放ずにいてくれる優しさに、鼻の奥がツンと沁みる。


「ううん、私はレオンくんやお坊さんがいてくれるからまともにいられるだけ。一人だったら無理だったよ」


 茉央は自分が強い訳じゃない事を分かっていたからこそ、素直に気持ちを伝えれた。一人ならばこんな生き地獄耐えられる訳がない。


「だから、ありがとう」


 頬を赤めかせ、唇の端を噛んだ笑みは我ながらブサイクだった。


 心の底から告げた感謝の言葉は、茉央の人生で初めてだった気がする。


 窮地に陥らないと、本当に大切なものを見落とすなんて馬鹿みたいだ。


「……あの、先輩。もし良かったら今日家に行ってもいいですか?」


「いいけど、どうして?」


「もしかしたら自分と先輩が見ているのが同じか一致させたいのと、いざって時に守れる人がいた方が安心でしょう? 父みたいな凄い力はないけど、護るぐらいの力はありますから」


 茉央を安心させる為にか、軽く腕を曲げたレオンの仕草に、思わず茉央は笑ってしまった。


「じゃあ、お願いしちゃおうかな」


「勿論、任せてください」


 レオンに最初話した時よりも心の距離が近く感じる。一人ならば一ヶ月耐えられる気はしない。


 だけど、レオンとならばきっと耐えきって終わらせられるのだと茉央は確信をする。


 忙しなく動くウェイターの影からギョロリと真っ赤な目が、仲良さげな二人を恨めしそうに半目に見ている。


 鞄の中で二人のお守りが黒く穢されていくのを、誰も教えることはなかった。

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