七
「比向晴姫さん。瑞城祥雲さん。生体認証が完了しました。試験はホログラフとAI技術を活用した模擬戦闘形式を一人ずつ行いますが、順序は公表されておりません。名前が呼び出されると2分以内に試験場へ進まなければ失格となりますので、お気をつけください。では控室へお進みください」
自身もホログラフで構成された人工生成補助事務員が機械的に説明を終えると、ふたりを塞いでいた光のゲートが崩れるように消えた。短い廊下を進むと、いかにも重そうな色と質感のドアが自動で彼らを迎え入れる。瞬間、先ほどまでは広場にあった雑踏がふたりを包んで、その防音性にも驚かざるをえない。
控室は受験者全員を飲み込めるほどに広く、控室というよりはラウンジという言葉が似合いそうな趣があった。革張りのソファや、ガラステーブルの上の軽食に緊張の糸を解く者もいれば、かえって表情を固くする者もいる。
部屋の正面は半円形の大きな一枚ガラスで、その向こうにある試験会場を見ることが出来た。試験場は天井が開かれており、ここにも夏の光が強く照り付けている。が、その開放感とは裏腹に、審査をする人物が何者なのか、そして彼らがどこから受験生を見ているのかすら、うかがい知ることもできない。
祥雲と晴姫はお互いの存在を気にしつつ、ゆっくりと控室に入る。そしてソファの一角に空きを見つけると、どちらともなく並んで座った。
「なんで祥雲がここにいるんだよ」
小学生ぶりの再会である。しかし晴姫のその魅力的な声色はひとつも変わらず。むしろ変わったのは。
「晴姫その髪どうしたんだよ!?」
「俺が先に質問したんだよ。まずは俺の質問に答えろ」
クロヒョウのような眼光が祥雲を射抜く。可愛らしい玉のような男子は、十年で荒く削られて刺々しくなったようである。
「なんでって、試験受けに来たんだよ、おれもアルテミスに入りたいから」
「あほか?」
一蹴。
「おまえ一般高校出身だろ。無謀にもほどがある。悪いこと言わねえから帰った方がいいぞ。この人数の前で醜態晒す気か?」
「別に醜態晒す気はないよ。おれだって受けるからには訓練して……」
「あほなのか?」
二発目の蹴り。
「専門高校では朝から晩まで訓練漬けなんだぞ。座学もやって知識もある。模擬戦闘も毎日のようにやるんだよ。お前なんてどうせ、お前のことだから水を強く出す練習くらいしかしてないだろ。どうやって敵と戦うのかわかってんのか?」
クリーンヒット。祥雲のヒットポイントバーが大きく削られる。
祥雲が持つ五二三遺伝子配列は水の五原柱に属するAm型で、両指の皮膚を触れ合わすことによって力を発動するSタイプ能力である。そのポテンシャルは祥雲自身にも不明だが、現在は最大顔面ほどのサイズのシャボン玉のような水の塊や、水の壁を作り出すことが出来る。
「水を大きくする練習だよ……」
が、戦闘でどのように使うかはビジョンが無い。野球ボールのように投げる練習はしてみたが、敵の身体で小さな水がばしゃりと弾けたところでなんの攻撃になるというのだろう。
晴姫のため息が祥雲の身体を通り抜ける。
「お前昔から五二三のことそんなによく思ってなかっただろ。なんで急にアルテミス受ける気になったんだ? 本当のこと言ってみろ」
幼馴染の勘はその紅い眼光と同じく鋭い。こうして問い詰められている以上、晴姫に隠す理由もなければ、隠し通すことも不可能だと覚る。
「実はその……お母さん探しに来たんだよ。大怪災以降、会ってなくて、連絡もなくて。お母さん五二三の研究員だし、アルテミスに来ればなんかわかるかもって思ってさ」
「……ミナモさん、アルテミスにいんの?」
「わかんない。でも五二三に関する場所でおれが入れる可能性あるの、アルテミスだけだし」
「お前に可能性はねえよ」
「厳しすぎる……」
「でも俺はある。俺は入れる。俺が入ったら必ずミナモさん探してやる。だからお前は大阪で普通に大学でもなんでも進んどけ」
口調と裏腹に、晴姫の発言は優しさに満ちていることが祥雲にも当然わかった。父親もおらず、母親も滅多に顔を見せない祥雲を気遣っていつも晴姫が呼び入れてくれていたあの暖かな部屋と、ミルクティーの味を思い出す。
その優しさを無下することはもちろんしたくない。祥雲も生来そういう少年である。
が、今回ばかりは晴姫に甘えるわけにはいかなかった。
「ありがとう晴姫。でも、おれ自分で探したいんだ。会ってどうしても伝えなきゃいけないことがある。一般高校出身のおれじゃ確かに合格する可能性はゼロに近いかも。でも出来ることは全部やってみたいんだ」
「……」
祥雲の口元が、切ない微笑みを作り出した。
「今まで何もしてこなかったから」
晴姫は納得のいかない顔で祥雲に向けていた視線を逸らした。彼にも、祥雲の気持ちは理解できる。理解できるが、じゃあがんばれよ、と応援できないのもまた、彼にとっての友情だった。楊貴妃をも思わせる美しい造形の貌を俯かせて、晴姫はしばし祥雲にかける言葉を探した。
僅かに時が流れて、再び口を開こうとした時である。
「おふたり。ちょっとよろしいですか」
突如舞い落ちる木の葉のようにふたりの間を流れ落ちた第三者の声。
知らぬ間に目線を落としていた少年たちが、同時に顔を上げる。
「勝手ながら今のお話聞かせていただきました」
四つのまるく開かれた瞳に映るのは、二つに結ばれた赤い髪。白い肌に、感情の読めない表情が張り付いている。
「お母様のお話、いたく感動いたしました。おふたりの友情にも。実は私、アルテミスの者でして、瑞城様のように事情のある受験生を別枠で合格させることができるのです」
まだ少女と呼んでもよさそうな風貌の彼女は、声を潜めてそう言った。
怪しい。怪しすぎる。
晴姫は脳内で考えを巡らせた。
ここにいるということは彼女は受験生の一人なのだろうが、一体なんのためにこんなことをするのだろう。こちらの気を揺さぶってライバルを蹴落とそうという魂胆である可能性が一番高いと推測するが、そういう常套手段は不安を煽ったり怪我を誘発させたりというもので、合格させるなどと言い出すのが理解できない。
次の可能性はこの女性が本当にアルテミスの団員で、何か目的があって自分たちを誘い出そうとしているというものだが、しかし本当にそんなことがあり得るのだろうか。一体どこまでが本当でどこからが嘘か全く見当もつかない。団服こそ身に付けていないが、落ち着き払ったこの態度は受験生とも思えない。
どうするべきか。自分たちはここでどう返事をすべきなのか。まさか試験はもう始まっているのか?
慎重に言葉を選ばなければ。人生を左右する瞬間が今なのかもしれない。