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 アルテミス本部、あるいは旧東京都庁。新宿区西新宿改めS±0地区。天気は快晴。

 一人の女が、何かの気配に突き動かされるように振り返った。平素の彼女より少々見開かれた瞳の中に、青い空がくっきりと映る。

「霧南、どうした?」

 耳の下で二つに結ばれたナンテンの実のように赤い髪の、勢いよく動いたのに気が付き、隣の女が覗き込むようにして声をかけた。

「いえ……なんでもありません」

「そうか? 暑いから、気分悪くなったら言えよ。お前、こんな日にも長袖着てる変なヤツだから」

「どうも」

 髪の赤が太陽にまぶしい霧南の返答は、言葉、表情、細やかなニュアンスに至るまですべて無愛想そのものであったが、隣の女は気にもかけていないようである。そこに二人の信頼がうかがえた。

 彼女たちの立つ本部前広場は、一年で最も騒がしい日を迎えている。

 学生たちの乗る大型バスがひっきりなしにやって来て、緊張や自信を各々携えた受験者たちを吐き出し、案内を行うアルテミス事務局員の声が拡声器越しに鳴り響く中、あちらこちらに思惑を持った大人、駆り出されたものの平和なひと時にぼんやり汗をかく構成員たち。

「うちらも運が悪いなぁクソ……。獅龍なんかは今頃宿舎で快適に過ごしてやがると思ったら、イライラしておかしくなりそうだ」

「仕方ありませんよ、警護担当師団はくじ引きで決まりますから。それにしても獅龍さんは一生経験しなさそうなことですが」

「あの野郎、絶対イカサマしてやがる……」

 隣の穏やかでない恨み言を聞きながら、霧南は警護という業務の下にあたりを見回した。わずかに落ち着きのない様子が彼女にはあるが、隣の女にはわからない程度である。

「カゲロウさん」

「あ?」

「なんだかどう見ても受験生に思えない人たちがいますね」

 霧南が目を向けた先に見つけたのは、中国民族衣装を模した服に身を包んだ二人組。淡い翠のさわやかさが制服の群衆の中でかえって目立ってしまっている。

「なんだぁ? 誰かデリバリーでも頼んだか?」

 怪訝そうな表情に八重歯を覗かせたカゲロウという名の女の問いに、霧南は小さく首を傾げた。

旧都も今はアルテミスを中心にひとつの街を形成しており、特別住民として飲食店やその他各種店舗の従業員たちも多く住んでいるが、今日という日にデリバリーを頼む人間はこのアルテミスにはいないだろう。仮に存在していたとして、彼ら配達員がこの広場に留まる理由はない。

「ま、あいつらは知らんが、ここには毎年スカウトが来るんだよ。試験に落ちた学生を合格塾やら予備校やらに勧誘するやつが」

 そういった類の人物が集まるということは、誘いに乗る受験生も少なくないのだろう。そこまでして入りたいのか、と霧南は純粋に疑問を持った。

 彼女より頭一つ高い場所にあるカゲロウの顔を見て素直に尋ねると、

「はぁあ? あたりまえだろそんなの。あいつら今日のために専門の高校で三年間訓練漬けだぜ」

「専門高校……そういえばそんなのがありましたね」

「けどほとんどの高校はまだ文科省の認可が下りてねえしな。ここで落ちれば学歴は中卒、高校行かずに塾通いってことになっちまうんだよ」

 アルテミスの受験を目的とした専門高校は、第一回の入団試験後全国的に急増した。高校教育の内容に加えアルテミスの受験対策、5―2―3遺伝子による能力の発達カリキュラムを独自に編成した学校で、志願者も年々増加傾向を見せ、一年目と比較して学生が四~五倍に達するところもあるという。しかし、防衛軍学校の五二三特進コースと二、三の学校を除いては正式な教育機関として認められておらず、文科省の認定基準も未だ審議の最中にあった。

 未熟なシステムを逆手に取れば、ビジネスはさぞ盛り上がっていることだろう、と霧南は額縁の中の絵を見つめるようにそう思った。

 とはいえ、あの中華料理店の店員は一体何なのかわからずじまいである。自身の知らないことがまだここにはあるものだとまだ少女の殻を脱したばかりの彼女は、鮮やかな翠から視線をふいと外すと、カゲロウとふたり広場を歩き始めた。

 一方、霧南の興味から外れたその翠の者たち。結論から言うと、彼らもスカウトの類となんら変わりない。群衆に紛れる努力という一点を除いては。

「おお~、今年もまた増えたねえ」

 周囲の受験生たちの表情のひとつひとつを盗み見ながら、そうつぶやくのは紛れもない少女。あどけない顔立ちに艶やかな長い髪が、翠色のチャイナシャツに引き立って愛らしい様相である。

「ここからどのくらい落ちるんだっけ?」

 尋ねるのは彼女の連れ合い、こちらは眼鏡をかけた小柄な少年で、黒いフレームの上を長めに伸ばした前髪が流れている。

「翔榎さんによると今年の志願者数は千人を超えてるらしいから……アルテミスが多めに採用すると見込んでも、倍率は五倍以上になるだろうね」

「そっからうちに何人来てくれるかな?」

「一人でもいればいいね」

 にこやかなレンズの奥の眼に、明らかに肩を落とす少女が映った。スカウトマンとしての彼らの成績は、どうやら芳しくないようだ。

「はぁ~、お店の方も人手が足りてないから、なんとかゲットしたいところだね」

 少女が華奢な手を双眼鏡のように丸めながらあたりの受験者をうかがう。

「あっ、優鵺さん」

 が、その丸い指の中には、目的と違うものが映りこんだ。途端に彼女が被写体へ向けて駆け出すと、眼鏡の少年は動揺もせず、だまって後を追う。

「ゆうやさーん!」

 青々とした若い声が名を呼ぶと、一人の男が振り返った。男は警察官の制服に身を包んで、わずかに猫背になっていた姿勢を正しつつ、帽子の下の整った顔立ちで声の主を探す。

 そして自身へ向かう少年少女の姿をとらえると、

「時雨ちゃん、風雅くん! 今年も来とったんかあ。懲りんなあ」

 独特なイントネーションでまぶしく笑った。

「優鵺さん今年も警備ですか?」

 少女の方も、輝かしい微笑み。親しみと、尊敬が表れつつもあどけないそれを、少年はレンズ越しに見た。

「うん。アルテミスに対抗してね……あほらしいて毎年言うとるんじゃけど」

「警察も大変ですね」

 風雅少年がわずかに眉尻を下げて言う。優鵺の青いシャツが日光を反射しながらもどこかくたびれて見えるのは気のせいか。

「終わったらうちでごはん食べませんか?」

「ええお誘いやけど、今日はいかんのよ。知り合いの子がここの試験受けに来るけん、うちに泊まることになっとってのう」

 そっかあ、と時雨の残念がる表情は、先ほどの風雅の労わりとほんの少しばかり似ていて、彼らの絆を覗わせる。

「合格するといいですね」

「専門高校ではだいぶ優秀って聞いとるし、昔からなんでも上手にやる子やけん、大丈夫じゃ」

「じゃあうちらのところには来ないかあ」

「と、僕も思いたい」

 雑踏の中に、春の桜の木の下のような和やかな雰囲気。が、少年少女の服の翠は夏の太陽に照らされてまぶしく光っており、それは彼らの若さを象徴するようでもあった。

 その時、随所のスピーカーから鐘の音が鳴り始めた。受験者らのざわめきが鳴りを潜め、足を止めてその音を耳で捉えようと音の出所をを見上げる人間の習性は、新人類でも未だ健在らしい。

旧都全エリアに同じ音で響き渡る電子的なそれが告げるのは、追悼式典の開会、そして、第七回旧都防衛特別編成軍「アルテミス」新団員選抜試験の開始である。


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