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二十二

 短く降る雨の中で、祥雲はすべてを思い出した。

 自分がここに来た目的も。母親という存在も。あの時自分を助けてくれた青い瞳の持ち主が誰であったか。いつまでも求め続けてきた面影が誰であったか。

 なかった記憶が取り戻されるのはとても妙な感覚で、祥雲は目の前で起こった不思議のことも忘れてただぼんやりとしていた。

 喜びや、悲しみではなく。ただ、どうしようもない事実に直面している。それだけのことであった。

 その後、翠翠飯店に戻った一同を前に、祥雲は見たものをすべてを話した。その場には、霧南も同席していた。

 目の前で水面が地幻獣に変わったこと。それに関する研究が地下では行われていたこと。五十嵐アンナという人物。瑞城水面という人物。

 それから、翔榎の目のことまで。

「それについては詳しく説明する必要がありそうだ」

 翔榎はおずおずと話した祥雲の背にそっと手を添えて彼を安心させた。

「俺の左目は五二三が宿っているんだが、それは他人の死を操るものだ。そんなに長時間使えるものではないから一撃必殺型で、目を合わせた者はみんな死んでしまう。俺が作動しようとしなければ作動するものではないから普段は安心してくれて構わないが、まあそういうものだと覚えておいてくれ。だがくれぐれもあまりこれに期待しないように」

 死を操る五二三遺伝子。そんなものが存在したのかと晴姫は驚いた。ほかの者は既に知っているようで、祥雲はその重大さよりももっと大きなものに直面しているから自分ほど気にはしていないだろう。その衝撃の大きさが他に知れ渡らないように、晴姫は小さく驚嘆の声を上げた。

「しかし人間が地幻獣に変わるというのは驚きだね。ただ地幻獣の発生が目的ではないはずだから、何かの副作用で地幻獣が発生するのを知っていて、水面はわざとその方法をとったのかも。これは調査が必要だけど、しばらくは地下研究所には近づけなさそうだね」

 ライトの言葉に、一同が同意する。地下研究所はその後すぐにアルテミスの団員が駆け付け、半ば逃げるように一同は現場を後にしていたのである。

「それに、その五十嵐って女の存在も気になりますね。研究で重要なポジションについていたのなら、当然何か知っているでしょうし」

 風雅が手元の投影型モニターにメモを残しながらそう言う。

「とにかく地下研究室で水面や五十嵐がどんな研究を行っていたのか、これについてはまた俺の方でも詳しく調べてみよう。それが今できる精一杯のことだろう。俺たちにとっても、水面にとっても」

 翔榎がそうまとめると、一同が頷く。子供達には若干小難しい話ではあったが、もちろん理解はできる。

「さて、次は君の番だね。霧南」

 暗い表情で座っていた霧南は、ライトにそう促されて、ぽつりぽつりと話し始めた。水面の祥雲を思うが故の行動がまさかこんなことになるとは、と添えて。

 部屋は静寂に包まれて、誰もが水面の死を悼んでいるようだった。むろん、ライトや翔榎にもトリガーが発動して共に過ごした思い出が甦っている。

「水面……母親であることを捨てられなかったのか」

「母親ってそんなものなのかな」

 翔榎とライトが互いの傷を癒すようにそうつぶやく。

 母親とは何か。子供とは何か。ここにいる者には、誰も水面に寄りそうことはできない。

「そうだ」

 重い空気をわざと破るように、ライトが突如明るい声を出す。

「霧南はもともと翠翠飯店で、水面に頼まれてアルテミスに入ってただけなんだから、こっちに戻ってくるよね?」

 霧南が怪訝な顔をする。

「なんですかそれ。それはあなたが決めることじゃないんですが」

「僕が決めたっていいでしょ。霧南は戻ってくるんだもん」

 いたずらな子供のようなライトの笑みは、時雨や風雅も見たことのないものであって、元の二人の関係の深さをうかがわせる。

「これだからライトは……」

 霧南が呆れたようにため息をつくが、その実どこか嬉しそうなのは周りの目からも見て取れた。

 こうして、翠翠飯店は出戻りメンバーを獲得したのである。

「じゃあせっかくだから、写真でも撮るか」

 翔榎の提案が、一枚の紙に収まる。

 七人の家族は笑顔だ。


 屋上で風に吹かれて、祥雲は端末の待ち受け画面に設定したその写真を見ていた。感傷に浸っているのは、少なからずショックを受けているからか。

 ショックを受けている、と自身で感じているわけではない。だが、あれから何日経っても、水面のことが頭から離れない、今まで見たこともなかった母親との生活を夢に見る。気が付けば水面が地幻獣に変わる瞬間のことを思い返している。

「大丈夫か」

 声がした方向を見ると、晴姫が立っていた。

 緩やかな風に、黒に時折白糸のように美しい白い髪が束で混じっている髪が靡いている。

「そういえば、聞くの忘れてた」

「なんだよ」

「その髪、どうしたんだよ?」

 ふと、二人の間にアルテミスの控室での光景が戻ってきた。あの時も、祥雲は黒一色だったはずの晴姫のこの白いメッシュの入った髪が気になっていたのだった。

「これは……」

 晴姫は自身の髪をつまんで上目遣いに見やる。

「わかんねえ」

 そしてその手を離してはらはら滝の流れのように髪が滑り落ちるのと共に答えを吐き出した。

「わかんねえって、朝起きたら急にそうなってたわけでもあるまいし」

「まあそうだけど。原因はわかんねえ」

「ふうん」

 祥雲はそれ以上問うのをやめた。二色がまじりあう晴姫の髪は、美しい。

「それより大丈夫かって聞きに来てやったんだけど」

 晴姫が欄干にもたれかかりながらそう言う。晴姫も、この街に来てから受けた衝撃はとても大きい。力の暴走の件すら、未だ誰にも話せずにいる。が、今最も気がかりなのは、幼馴染の精神状態なのだった。

「そこ老朽化してるからあんまりもたれない方がいいってライトさんが言ってた」

「あっぶねえ」

 慌てて離れた晴姫の姿に、祥雲から笑みがこぼれる。

「心配してくれてありがとう」

「別に」

 晴姫が今度は欄干にもたれかからずに照れ隠しをするのを見ながら、祥雲はふとその奥に目を向けた。

 屋上から見える翠翠飯店の前の道路を、ひとりの女性が歩いている。何気ない光景ではあるが、そこには祥雲が疑問を覚えざるを得ない要素があった。

「なあ、あれ」

 祥雲がその女性を指さすと、ズボンのポケットに手を入れていた晴姫もそちらを何だと言わんばかりに見る。

「なんだあれ。なんでレインコート着てんの?」

 晴姫の発言の通り、その女性は雨も降っていないこの状況で白いレインコートを翻して歩いていたのだ。

 よくよく目を凝らすと、レインブーツも装着しているらしい。

「どういう趣味なんだ?」

 晴姫が欄干に手をかけて決して体重はかけずにその様子を見守っていると、彼女は屋上からは死角になっている場所に入り、出て来なくなってしまった。

 その場所にあるのはもちろん、我らが翠翠飯店の入口である。

 彼女の姿が見えなくなったその時。

 突如空が曇り、雨粒が二人の肌に触れ始めた。瞬く間に勢いは強くなる。

 雨など降りそうにもなかった空の突然の変化と謎のレインコートの女性の関係に戸惑いながらも、ふたりは急いで屋内へ続く扉へと走ったのだった。


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