一
まどの向こうは青いいろ。青いいろは、空のいろ。わたしのすきな、空のいろ。
はい。みなさん。大きな声で、よく読めました。青い色は、お空のほかにもありますね。なにがあるでしょうか。
はい。海。
海。そうですね。ここから少し空鉄に乗れば、みなさんも海を見ることができますね。そうです。東京湾です。よく知っていますね。ほかにもあるでしょうか。考えてみましょう。
さくも、先生がこっち見てる。
ではさくもさん。なにか思いつきましたか。さくもさん。
さくも。おい。さくも、さくも。
「祥雲さん? どうしましたか? 体調が優れませんか?」
「わっ、わっ!?」
がたがたと椅子が乱雑に床と触れ合う音がして、教室は水を打ったように静まり返った。先生の左の眼のなかの解析レンズと、背景の電板に反射した午後の光が、祥雲の丸い瞳に飛び込んだかと思うと、瞬きよりもはやく無数の眼光が彼を貫いた。
「あっ……」
完璧に空調の管理された部屋の中で、顔面がみるみる熱を帯び始める。対集団情報解析レンズで生徒の健康情報を管理する先生でなくとも、彼の焦りと恥は一目に理解することができるだろう。
「えっと、ごめんなさい」
からからに干上がった喉から、幼い祥雲が持ちうる唯一の状況打開策を絞り出す。掌がびっしょりと濡れている。背中やみぞおちのあたりのシャツから汗が染みだすような錯覚をする。
「構いませんよ。まだ一年生ですから。さあ、今から授業に戻りましょうね。なにか青いものは思いつきましたか?」
「あ、えっと、えーっと、青いもの……」
祥雲が視線をあちらこちらに飛ばすと、先生は顔いっぱいに微笑をたたえた。子どもを安心させるための笑顔、という名のついた表情だ。
「焦らなくて大丈夫。思いついたら、また聞かせてください」
先生がわずかにかがめていた腰を伸ばして、祥雲の席から離れていくにつれ、彼の小さな心臓に刺さった矢もひとつひとつ抜かれていくようだった。矢じりの返しが、恥ずかしさを冷めないものにする。
「さあ。では、今日も最後に発表をして終わりましょう」
しかし、祥雲から関心の的という看板が外れてもなお、ふたつの瞳がそのくせ毛のようにぼんやりとした少年を見つめていた。祥雲もやがてそれに気がついて、右手の席を気まずそうに見やる。
成長途中にも関わらず、はっきりと美しい容貌の少年。肌は粉雪のように滑らかで、笑顔のない唇には生来の桜色が明るく灯り、ぴんと立った鼻筋はまるで梧桐の立ち姿のごとく。
「……」
そしてそのひとつひとつの美しさから視線を奪ってしまうほどに麗しいのは、艶やかな紅葉よりも紅く透きとおった眸子。そんな奇跡の幼顔が、友に対する熱さと涼やかさの両を孕みながら祥雲に向けられていた。
「なんだよう……」
紅にまろやかな陽光と祥雲の姿が映っている。完成された造形が玉器のごとき口唇の、緩やかに動くさまがどこか水墨画の流れにも似て、何度も聞いた者であっても、じきにそこから紡がれる声に胸を膨らませざるを得ない。
が、しかし。
「はい。それではのぞみさんの発表を始めますよ」
笛子の音色がふるえるよりも少しだけ早く、わずかに張り上げられた先生の声が教室を埋めた。合わせてひとりの女子生徒が立ち上がり、艶やかな髪をさらりと揺らす。窓のしまった四角い部屋にながれる、学校色の風。
「わたしのゆめは、けんきゅうしゃになることです。」
なぜなら、このまえ、い大なけんきゅうしゃの、あまは先生と、いがらし先生の本をよんで、とてもすごいとおもったからです。
あまは先生と、いがらし先生は、いでん子をけんきゅうしていた人です。どんなけんきゅうをしていたかは、むずかしくてよくわからなかったけど、おとうさんとおかあさんが、じんるいがどんなふうにしんかをするのかをかんがえてはっぴょうした人で、そして四十ねんごに、本とうにそのとおりにしんかしたことが、しょうめいされたんだよといっていました。
わたしは、けんきゅうは、いろいろなふしぎなことのせいかいが見つかるので、とてもおもしろそうだとおもいました。わたしも、いろいろなことをけんきゅうして、あまは先生やいがらし先生のように、すごいはっ見をしてみたいです。
そして、わたしがおばあちゃんになって、しんじゃったあとも、いろいろな人がわたしのけんきゅうしたことをしってくれたらうれしいです。
でもけんきゅうしゃになるには、たくさんべんきょうをしないとだめだと、おとうさんとおかあさんがいっていました。べんきょうはちょっとにが手だけど、がんばってやりたいとおもいました。