十六
旧都・東京はアルテミス本部のあるS―0地区を中心として、格子状にエリア区分が定められている。
地幻獣が現れた際は、該当地区をシステムにより完全封鎖し、閉鎖区域入区許可を発行された者だけが内部での討伐その他業務に従事する。
システムによる閉鎖はアルテミスではなく警視庁が管轄するところであり、それに伴って入区許可の発行業務も警察が行っている。基本的にはアルテミス職員の中でも戦闘員にのみ許可が下りるもので、一般市民はもってのほか、後処理等を行う一般職員も安全確保のため許可を持つ者は限られている。
許可を持たない者が閉鎖区域内にいる場合、その区域を担当するアルテミス内の師団長および補助職員に通知が送られ、区域内の許可保持者がただちに安全確保し避難させることが旧都防衛特別編成軍に係る条例により定められている。
許可証発行業務にアルテミス所属は絶対条件でないとはいえ、翠翠飯店のようなアルテミス以外の討伐組織の人員は個人番号に登録されている情報の上では一般市民に属するため、ただ正当に許可証登録許可を願っても当然発行されることはない。
彼らが閉鎖区域内での討伐活動を可能にするためには。
「旧都では旧都のやり方でいかなくちゃね」
ライトはそう言った。
「でもこれって犯罪なんじゃ……」
C+2地区。旧警視庁本部庁舎の周辺にある関連施設のひとつ。今の名前は、入区管理事務所。主に入区管理に関する事務的な業務を行う場所で、その最も重要な仕事は区域閉鎖時の入区許可登録だ。
まだ東京であった頃の建物をそのまま使っている名残で、人が通れるほどの排気ダクトが残っている。
そこに、祥雲の小さい声が響いた。
天井の換気口から下を除くと、数列にわたって並ぶパソコンも、中央の壁のモニターもすべて画面は暗く消えている。それもそのはず、時刻は深夜一時を少し回ったところで、役所仕事でなくてもとうに終わっている時間だ。
「集中しろよ。道間違えるぞ」
道というにはあまりに狭すぎるそこを這うように進みながら、晴姫も声を潜める。
旧都に来て三日。彼らの上司となったライトによって課された最初の仕事は、深夜の入区管理事務所への侵入行為ならびに違法入区許可登録だった。
ライトの話によれば、建物の最も奥の部屋に、入区許可登録のできる部屋がある。警察施設のため普通に侵入すればもちろんセキュリティシステムが作動するが、排気ダクトを通れば問題はないとのことだ。セキュリティシステムを作動させることなく自ら道を見つけ部屋に到達し、ライトから教わった通りに入区許可登録を済ませればミッションは完了、と言った爽やかな笑顔が思い出される。
ふたりは昼のうちに現地を訪れ、不審者として声をかけられない程度に外観を観察し、大まかな予想を立てて今このあまりにも黒い任務に挑んでいる。ひとつ、またひとつと部屋をパソコンの並ぶ部屋を通り過ぎるたびに鼓動の大きさがダクトを震わせるほど体中へ響いていた。
遠隔警備ロボットがきょろきょろと首を動かすようにあたりを見回しながら通り過ぎるのを息を潜めて見送った後、ふたりはまたそろそろと動き始めた。赤外線センサーが単一方向検知型で助かった、と晴姫は思わず唾を飲み込む。
そのうちに、ダクトは行き止まった。前を行く晴姫が換気口に指を絡めて持ち上げると、それは簡単に外れて、人が通れるほどの穴が生まれる。
どうやら下はトイレらしく、そのために換気口が広いらしい。
「ラッキーだったな。降りるぞ」
枠に手をかけて晴姫が軽い身のこなしで着地する。古いタイル張りの床についた手がひんやりと冷たい。
「祥雲。行けるか?」
上を見上げると、換気口からこちらを覗く祥雲が見えた。下を向いて垂れ下がった前髪の下の額が幼く見える。が、本人は頷いて晴姫と同じように足をひらりとぶら下げてひと思いに飛び降りた。
そして、両膝と顔面との三点で着地。
「うぐっ……」
痛みと声を上げられない状況の狭間から出た声を晴姫のため息が覆う。
「行くぞ」
トイレの出入り口から道を確認する晴姫の後ろに、鼻を赤くした祥雲が続く。ふたりはそのまま慎重に階段を駆け上がり、警備ロボットと出会わないよう今度は二本の足で床を蹴って進んだ。
がらんとした廊下は少し、ふたりが通っていた小学校に似た雰囲気がある。古い建物だからだろうか。制服のカンフーシューズの音が上履きの音にも錯覚されようかという瞬間、最奥の部屋はふたりの前に現れた。
古風なフォントで「入区登録はこちらへお進みください」と書かれた看板の矢印の先に、今ではもう珍しいドアノブ式の扉があった。この様子では、扉に触れてもセキュリティの問題はなさそうだ。
ふたりは目を合わせる。軽く頷いて、晴姫の白い指がドアノブを握り扉を開いた。
翠翠飯店のホールほどの部屋に、パソコンが数台と、正面の壁に大きなモニターがある。足元にはまた古典的に手続きの際の立ち場所を示す白いビニールテープが貼られているが、もはや現代人の祥雲や晴姫には理解できないものだろう。
晴姫が登録のために個人番号チップをかざす機械を見つけると、ゆっくりとそれに近づいた。
その時。
警報。
ファン、ファン、と非情な非常の音を立てて侵入者の存在を示す。
ふたりは呆気に取られて、声も出ない。
そういえば、このような事態が起こった際のことをライトに聞いていなかった。
「どうする、これ! 逃げる!?」
ようやく祥雲の焦った声が出たころには、冷静な判断をする間もなく、巡回していた警備ロボットが数台、開きっぱなしの扉から入ってくる。
「どうしよう……」
晴姫もその場に立ちすくんでしまった。
なんでこんなことになったんだっけ。旧都に来て、成り行き任せにしていたら逮捕される羽目になるなんて。
後悔の念が晴姫を襲う。
「侵入者の個人番号を識別します」
遠隔警備ロボットのスピーカーから人の声が聞こえてくる。
「終わった……」
祥雲の絶望は、とっくに晴姫にも伝染していた。
バチリ。そんな音がしたことにも、ふたりは気が付かない。
ただ、不思議なのは、突如警備ロボットたちがセンサーもライトも消えて沈黙したことだ。
「なんだ?」
警報機の音は未だ鳴りやまないが、目の前の数台、そして扉の向こうに見えていた数台のロボットたちはみな気絶したように項垂れてしまっている。
そしてその奥に、人影が見えた。
ふたりは動きを止めて、そちらを見つめる。
どくりどくりと心臓から大量の血液が送られ始める。手先が緊張にしびれて、睫毛が震えた。
静かに、ゆっくりと歩いてきたその人物が部屋の敷居をまたぎ、月明かりが正体を明らかにする。
「やあ。お疲れ。うるさいから、静かにさせておいたよ。もうすぐ警察の人もやってくるし、そしたら警報も止まるからね」
ライトだ。
人生最大の安堵。いつのまにか止まっていた呼吸が再開されて、ふたりの口元から大きく息が吐かれる。
「早く逃げましょう、ライトさん」
「なんで? 登録しなきゃ帰れないよ」
晴姫と祥雲の顔面に、はてなマークが大きく浮かび上がる。ミッションは失敗したというのに、なぜこの人はこんなに涼しい顔で立っているのだろうか。警報の音とライトの平常心のコントラストが目に痛い。
そうしている間に、警報の音も止んだ。ライトの先ほどの言葉に従えば、警察がやってくるはずだ。二度目の絶望。このライトという人間にもしや、騙されている?
沈黙が少し続いた、その後。
「おいおいおい……」
第四者の声。祥雲の肩がびくりと跳ねた。
「この年になると夜勤もきついってのに……おじさんをいじめるのは楽しいか?」
古い扉を最大まで開いて、また人が現れる。
紛れもなく、警察だ。警察官の制服を身にまとって、帽子の下の骨ばった顔に無精ひげが生えている。丸まった猫背は侵入者を逮捕しに来たようには到底見えなかったが、それでも警察には違いなかった。
「悪いね。また用事があるから呼び出しちゃったよ」
「なんで俺なんだかなあ……。やっと楽な事務仕事に就けたと思ったら子鼠に目をつけられておじさんは迷惑だよ、ほんっとに……」
「普通に話してる……」
祥雲が驚きに口も目も丸く開いてそう言った。
「さ、紹介するよ。こっちがうちの新しい人員。ふたりとも、この人が許可登録をしてくれる警察官の七星さんだよ」
「ああそう。とんでもないやつの下に付いちゃったね君らも。めんどくさいからさっさと終わらせよう」
「え、どういうことですか?」
眉根を寄せながら晴姫が尋ねる。状況を理解するには、あまりに説明が疎かだった。
「七星さんは僕の知り合いでね。僕らは普通にやっても許可は下りないから、こうして夜中にちょっとお邪魔して特別にやってもらうんだよ」
「犯罪だからね、普通に……。旧都勤務はつらいな……」
目の下に深いクマを作っている七星の疲れ切った表情を見ながら、祥雲と晴姫はなんとか自分を取り巻くこの状況を飲み込んだ。どうやら逮捕は免れ、許可登録もしてもらえるらしく、警報が鳴って警察が来ることまで初めからライトの計算のうちだったらしい。
「旧都って……」
祥雲が呟く。あまりにも黒いやり方に驚きを隠せない学生たちを尻目に、七星はパソコンを起動させていた。
「はい、ここにかざして」
七星の指示に従っていると、許可登録はあっという間に済んで、彼らは閉鎖区域での活動権を手に入れた。胸に残るわだかまりは、これからの生活で消えていくものなのだろうか。
「ありがとうおじさん。またよろしくね」
「君のせいで夜勤の時は気が気じゃないんだよね……。毎回言うけどもう二度と会いたくないよ」
その言葉は本心だろう。つい、優鵺のエネルギッシュな姿と比べてしまう。
「あの、ありがとうございました」
「君たちも一年後にはライトみたくなってるのかな……。おじさん悲しいよ」
その表情はぴくりとも動かず、喜怒哀楽はどうにも感じられない。
重い足を引きずるようにして戻っていく七星の姿を見送ると、子鼠とその部下たちは帰路に着いた。
「そういえば、さっきどうやってロボット倒したんですか?」
祥雲がどこかヒーローを見るような眼差しでライトに尋ねる。沈黙した警備ロボの間から現れたライトは確かに、ドラマの演出のようであったことを晴姫も思い出す。
満月に照らされた道を歩きながらライトは自身の能力について話した。
ライトの能力は光の五原柱に属するAt型で、両手の指を触れ合わすことによって電気を生み出すことができる。その電気で回線をショートさせてロボットたちを沈黙させたのだった。
道は静かだ。地幻獣の出ない平和な夜である。
晴姫は能力について話すライトを見ながら、指先の一本に息を吹きかけてみた。たちまち炎が大きくなって、ごうごうと渦巻き始める。
「え! なにやってんの?」
祥雲が驚いて声を出すと、晴姫は慌てて手を払い炎を消した。
「晴姫くんの能力は強くなりそうだね」
ライトはそう言って笑ったが、晴姫の表情は曇ったままだ。
おかしい。あの日から、ずっとおかしい。




