十五
そして三日目の朝。
此処はU+2地区の或る中華料理店。決して広くはない店内だが清潔感と一貫性のある装飾が心地よい空間を作り出している。
時間は開店前。午前九時を少し過ぎたところである。
にも関わらず、円卓には、豪勢な料理が所狭しと並べられ、思わず喉を鳴らすような、腹の虫が鳴くような、人間の欲求に直に訴えかける芸術的な香りが充満している。
それを囲むのは、ここに集まるべくして集まった者たち。全員が揃って、六人。
今、最後の一人が卓についたところであった。
一、瑞城祥雲。二、比向晴姫。三、希野時雨。四、槌谷風雅。
五。
「これで全員だね。さあ、初めましての挨拶をしようか。瑞城祥雲くん。比向晴姫くん」
六。
「……」
円卓の空気は存外悪くない。祥雲と晴姫のちょうど正面に座る初対面のふたりは片方はにこやかに、もう片方は表情はないが敵意もない様子が受け取れる。
「まあ、料理が冷めちゃっても時雨ちゃんに申し訳ないし、食べながら話そう。じゃあ、いただきます」
翠翠飯店のユニフォームを着こなして、五番の彼がそう言った。時雨や風雅がそれに続いて食前の挨拶をする。祥雲も合わせてつぶやきはしたものの、あるひとつのことが気にかかっていた。
五番は彼というべきか、それとも彼女か?
見た目からは性別がまったく判断つかない。唐揚げを箸でつまみながらその人物の所作を盗み見るが、少し睫毛が長いくらいしか発見はなく。
エビチリをひとつ飲み下してから、また話しを始めるその人の声は山肌をさらさらと優しく撫ぜながら流れ落ちる滝のようで、男性らしくもあるが、女性としても違和感はない。
「改めて、ふたりとも初めまして。僕はライト。君たちの仲間の一人だよ。こっちは天羽翔榎。彼は僕と違って君たちのボス。つまり、ここのリーダー。僕たちは翔榎の下で僕たちのやるべきことをして、目的を果たす。そういう集まりだ」
ライトの話し方はまるで演劇のセリフのようだった。彼の用意された台本のような流暢な説明がそう思わせるのか、どこか演技じみた彼の話し口がそう思わせるのかはわからない。が、彼らの紹介は短く、それでいて必要なことはすべて知りうることのできるものだった。
「君たちを歓迎するよ。翠翠飯店に来てくれてありがとう。さて、何か質問はあるかい」
ライトの性別を直球的に質問するわけにもいかない祥雲は、興味の対象をライトから隣の人物に移した。天羽翔榎と紹介された彼は紛れもなく男性だ。
が、身なりが気になる。
頭はぼさぼさと毛量の多い黒髪で、天然パーマなのか、はたまた手入れをしないために寝癖がついているのか、ところどころ毛束が跳ねている。重たげなまぶたをした眼はダークアイだが、それも伸びた前髪に覆われて右のものしか見えていない。
翠翠飯店のユニフォームをただひとり着ておらず、夏だというのに重たげなグレーのカーディガンを羽織っているのが、目に暑い。
ここへ来てからの不可解な騒動続きで感覚が鈍っていたが、時雨や風雅も含め、正直なところ良く言ってもインパクトが強く、悪く言えば怪しい。優鵺の紹介ならば信用にたる人物たちであるのだろうが、あまりに個性的な面々を改めて前にして、祥雲は少しばかり圧倒されていた。
ライトはにこやかな顔で新顔の発問を待っている。翔榎は緩慢とした動きで食事をしており、円卓を初めて共にする少年たちには目もくれず、といった風である。
「やるべきことって具体的にはどんなことですか?」
質問しなければ会そのものが前に進まない空気を感じ取ってか、晴姫が発した質問は、どこか軽い雰囲気だ。
「いい質問だ!」
ライトが上機嫌に反応する。
「基本的には旧都に現れる地幻獣のおそうじだね。それもできるだけアルテミスより早く現場に着いて、颯爽と討伐。知名度アップで店には行列。資金もじゃんじゃらゲットでより大きな組織になるってわけ」
非常にわかりやすい説明に、首を縦に動かしていた祥雲だが、あることが引っかかった。
「地幻獣ってそんなに頻繁に出るもんじゃないんじゃ……」
新都で暮らしていた十年、地幻獣出現の速報は数えるほどしかなかった。そのたびにメディアはアルテミスの活躍を大いに賛美しながら報道していたもので、祥雲にはアルテミス以外に地幻獣と接している人物がいることも今初めて知ったほどだ。
「あ、そういやさくちゃんは新都から来たんだよね」
時雨がライトや翔榎に紹介するようにそう応えた。
「なるほど。風雅、この新都臭にまみれた少年に現実を教えてあげて」
「新都臭?」
気の悪くなる単語に祥雲が眉をしかめていると、風雅が例の最新型端末を操作して、ホログラムで宙に浮かび上がったモニターを祥雲に見えるよう反転させた。
「アルテミス成立以降旧都で確認・始末された地幻獣は二百二十余頭。そのうち新都および全国で報道されたのは七件。発生件数は一年におよそ二十頭前後。発生頻度は今のところ横ばい。今年はどうなるか、わからないけどね」
それを示すデータが映されているモニターは、祥雲に理解させるためではなく、風雅の話に確証を持たせるためのものだろう。半透明の向こうに風雅のユニフォームが透けている。
「七件?」
声が重なった。驚いたのは祥雲だけではなく、晴姫も同じらしい。
「新都の学校では倍の情報が入ってたぞ。まあそれでも実際の件数よりはかなり少ないが……」
「まあ、そういうことだよ。この旧都は日本という国から隔離された陸の孤島だ。ここだけは他と全く違う世界。情報は外に漏れないし、怪物が日常的に現れて、人が死んだり、特殊な能力を使ったりする。ここはそういう場所だし、これからそこで生きていくことの覚悟は今のうちにしておかなきゃね」
言葉とは裏腹に、ライトの表情は終始穏やかだった。
小さな宴は歓談とともに時を過ごし、絶品としか表しようのない料理たちはみるみる減って、部屋の中には祥雲にとってどこか懐かしさのある温かみが宿っていた。
不安に満ちていた少年たちの胸も今は安心を得て、すっかり組織に馴染みを持っている。彼らにはそう思わせる雰囲気があり、それが作り物でない彼らの日常であることが心安かった。
「さて、そろそろランチの時間だね。ふたりとも接客の経験はある? まあなくてもやってもらうけど」
その一言に時雨と風雅が空になった皿を片付け始めると、ライトは簡単に仕事の説明をした。
十一時が迫っている。
昼の営業が終わるころには、祥雲にも晴姫にも三日分ほどの疲れがのしかかっていた。中華料理店であるだけに客の回転が速く、店は嵐に巻き込まれた船のようにめまぐるしく稼働し、共にアルバイトの経験のないふたりには重労働といってよい働きであった。レジ端末の売り上げを確認したライトが満足そうにふたりをねぎらう。
「おつかれさま。いい働きぶりだったよ。これから大事な話をしたいところなんだけど……」
ライトの黄色い瞳に、疲労困憊の姿がふたつ。
「いったん休もうか。二時間後に部屋に行くからそれまでは自由時間ってことで」
ビルの一階に位置する翠翠飯店。その二階から上は居住スペースになっている。二階はリビングとダイニングのあるメンバーたち全員の共有空間、三階から一フロアに二部屋の個有空間があり、風呂トイレは各部屋に完備。
「贅沢だよな。こんな広い部屋にただで住めるなんて」
祥雲と晴姫のフロアは四階である。エレベーターの光る四の数字を見つめながら、晴姫が呟いた。
「広い……か?」
「新都の坊ちゃんめ。俺の寮の部屋はこの半分だったぞ」
「大変だったんだな」
疲れでぼんやりしたまま会話を交わして、ふたりは各部屋の前に立った。必要最低限の生活用品は昨日搬入済みだ。
「じゃ、二時間後に」
祥雲は右手首の個人番号チップをかざして部屋に入った。背後でオートロックがピ、と短く鳴く。優鵺の部屋は最新の人工知能が出迎えてくれたことを思い出すが、この部屋におかえりなさいの声はない。
しかしそれも、祥雲にとってはある方が不自然なことだ。
まだ使い始めの部屋に居場所が見つからず、とりあえずベッドに座り込む。そういえば、晴姫はきれい好きで着替えなければベッドに座らないタイプだったが、今も着替えているのだろうか。
ひとりの空間には慣れているはずが、ここ数日絶えず誰かと過ごしていたことで、部屋の静寂がやけにうるさく耳を撫でる。
何か、忘れている気がする。胸につかえるような何かを思い出そうとするが、脳みそに靄がかかったように思い出せない。鍵のついた引き出しを無理に引いているような心地で、どこか気分の悪くなった祥雲はそのまま横になると、疲労という怪物に襲われてすぐに眠りに落ちてしまった。
そして二時間。
二階のダイニングテーブルには、半分ほどしか目の開いてない今にも眠りに落ちそうな少年ふたりが席についていた。
「まあそうだよね」
ふたりにコーヒーを淹れながらライトが苦笑する。
「ふたりとも、砂糖とミルクは?」
「いります」
声は二つ分。そのきれいなハーモニーがまたライトを笑わせた。
一階からはディナー営業のざわめきが聞こえる。
「まあ、とりあえず飲んで」
マグカップが寝ぼけ眼の前に置かれる。それぞれ青いラインと赤いラインの入った新しいものだ。なかではなみなみと注がれた薄いブラウンのカフェオレが香ばしい香りで彼らを誘っていた。
「いただきます」
ふたりが口をつけては、同時に熱い、とコップから離すのを見ながら、ライトは気を付けてと声をかける。猫舌の祥雲はあの頃のミルクティーのように、ふうふうと息を吹いた。
「それにしても、本当にここに来るのでよかったの? 流されて暮らすには辛いところだよ」
ライトは見た目からして二十を少し超えたくらいなのだろうが、大人びて見える。紛れもなくふたりのことを気遣うその面倒見の良さがそう感じさせるのかもしれない。
「俺は後悔してません。何年も前から、アルテミスに入るのを目標に生きてたし……。でも祥雲はほんとに大丈夫なのか……」
「祥雲くんのことが心配なんだ。優しいんだね」
「いや、心配っていうか、まあその」
自身の祥雲を思いやる気持ちに間違いはなく、晴姫は押し黙る。ちらと祥雲を見遣ると、未だマグカップを両手に収めながらぼんやりとしており、会話を聞いているのか定かでない。
「祥雲くんは? 大丈夫?」
「え、おれ? おれはもちろん……」
祥雲が言いよどむ。また、頭に靄がかかったような感覚を思い出す。
「まだ寝ぼけてんのか」
「え、あ。いや」
早く目を覚ませと言わんばかりの晴姫の厳しい視線から逃れるように、祥雲はまたひとくちコーヒーを含んだ。まだ熱い。
「ふたりに僕から教えられることはいろいろあるけど、まずひとつ助言しておいてあげるよ」
ライトが頬杖に預けていた頭を起こしてふたりを交互に見つめた。ライトからすると、生まれたての雛鳥のように見える。ひとりで飛び立つこともできず、気を抜けばすぐに死んでしまいそうな弱い動物を前にしているようだった。
「一番大事なものをひとつ決めた方がいいよ。自分の命か、それとも誰か他人の命か、それとも何か他の物、例えばお金とかね。これからきっと守るものはたくさん増えていくだろうけど、全部守ろうとしても全部を傷つけてしまうことになるから、自分の一番守りたいものを決めておくんだ。そしてそのためだけに生きる。これは本当に大事なことだと思うよ」
その意味を、まだ雛たちは知ることができない。ただライトの言う通り助言として受け入れることしかできないが、受け入れようにもどこか現実味を帯びない言葉だった。
「ライトさんは何を一番大事にしてるんですか?」
ようやくはっきりと目を開いた祥雲が、興味ありげに尋ねると、ライトはやはりどこか演技のような笑顔を見せる。
「僕はね、僕の命よりもずっと大事な人がいるんだ。その人のためなら命をいくつ無駄にしてもいいって思える人がね」
ライトのその発言は、このテーブルを境にして住む世界が違っていることを感じさせた。ライトが繰り返し言うこの旧都・東京で生きていく覚悟というものが自分には無いと思わせるものであり、この世界での自分がいかに無力かを思わせるものであった。
弱弱しい自覚に黙り込んでしまったふたりを見て、ライトがまあそのうち決めればいいよ、と言うその口調の軽さがわからない。自分より数年先に生まれただけのライトの人生に一体何があって、彼という人物が作り上げられたのか、尋ねる勇気はなかった。
「じゃあ本題に入ろうか」
わざとらしく明るい口調で話題を転換したライトは、今度はもっと自然ににっこりと笑って言った。
「今日君たちにやってもらうミッションのことだよ」
ウインクでもしそうな勢いだ。




