十四
「テスラ、ぴかぴかでかっこいいね」
地下駐車場にいる。祥雲が発光するように白いボディへ指を滑らせる。
「じゃろ。昨日君らが来るけん洗車しといた」
「優鵺くんってそういうとこあるよな」
ドアスイッチに触れながら晴姫が言う。
「そういうとこってどういうとこよ」
「かっこつけなとこ」
発車。優鵺の住むC−1地区を抜けて、車はアルテミス方面へ走る。道路は新しく、揺れはほとんど感じない。
体感的には短いドライブだったが、東京を横切るように走って、U+2地区。ゴールテープのように道に伸びるエリアの境界を示すホログラフを颯爽と突っ切ると、車はすぐに止まった。
少年たちは不思議そうに窓の外を見ている。ひな鳥を扱うような気持ちで優鵺は後部座席の扉を開くボタンを押した。
「自動でも開くんじゃん」
「ははは、そういうんは言わぬが花ってこと」
交流が絶えなかった分、自身よりもずっと優鵺と親しい晴姫を祥雲は少しうらやましく思う。思い返してみても、祥雲が過ごしたこの十年の記憶は寒い。
停車した場所は数階建てのビルで、小さいが外壁の新しさから大怪災後にできたものだと知れる。一階部分は飲食店になっており、入口の『翠翠飯店』という金文字の看板がいかにも町中華らしさを醸し出す小綺麗な店構えをしていた。
祥雲は思わず腕時計型端末をチェックした。時刻は十一時になろうとするところだ。昼ご飯には早すぎることを確認してから、お店のドアに支度中のプレートを見た。
アルテミス前とは違う旧都の風俗を感じながら、優鵺に後れを取らないように彼を見上げると、その長い脚は当然のように店の前に立ち、その骨ばった手で自宅に入るように『翠翠飯店』の扉を開けた。まさかここではないだろうという祥雲と晴姫の予想を裏切って。
ふたりは声も出さないで、表情だけに驚きを浮かべながら、優鵺の後に続いた。
店内は支度中の文字通りに薄暗く、並べられた木製のテーブルと赤いベロアの椅子が出迎えるのみである。
「時雨ちゃーん、風雅くーん、おはよう~。優鵺来たよー」
ゆったりとした呼び声と、独特のイントネーションががらんとした店内に響く。
祥雲と晴姫がいよいよ戸惑いを握ったとき、
「優鵺さんいらっしゃい! 待ってたよー!」
まるで声の明るさが電灯を灯したように、店内はいっぺんに明るくなり、かわいらしい元気いっぱいな返事が空間を満たした。
そして厨房のほうから姿を見せたのは、背中までのびた金髪をまっすぐに輝かせ、ぱっちりと大きい目にきらめきを宿し、少しオレンジがかったリップを塗った唇は艶やかに潤った、まるで彼女自身が発光するように周囲を照らす、なんとも眩しい少女であった。
「おおっ! 君たちがウワサの受験生だね、アルテミス内部に侵入を試みて失格になった子がいるって、うちでも昨日話してたんだよ!」
少女は一粒の悪気もなく、ただ事実を述べてにっこりとほほ笑んだ。
ふたりの少年は事態を把握できない状況に、昨日の戸惑いを思い出すなど。
「あの、優鵺くん。これどういう……」
「その説明は今からこの人たちがしてくれるけえの。とりあえず座ろっか」
「今お茶出すね!」
優鵺が適当に椅子をひいて座るのを、ふたりがまねする間に、少女は厨房へ短く声をかけて自身も腰を下ろした。
「とりあえず……自己紹介はふうちゃんが来てからにして、私たちのことを話すね」
晴姫の向かいでそう言って笑顔を絶やさない。が、そこに怪しさのようなものはいっさい感じられず、ただ彼女の純粋さが伝わってくるばかりだった。思春期の戸惑い。
「私たちはここで中華料理店をしながら、地幻獣討伐もやってる組織なんだ。メンバーは私を入れて四人。アルテミスとは違うけど、緊急エリア封鎖時の特別入区許可証もみんな持ってるし、地幻獣発生をいち早く知るシステムも整ってる。旧都浪人するにはうってつけの我らが翠翠飯店! でも人手不足なんだ。だから君たちが一年でも仲間になってくれたらもっと対応範囲を広げられるし、お店の宣伝にもなって、お金もたくさん入ってくるようになるはず! というわけで、ぜひここで一年間を過ごしてほしいと思ってるんだ」
晴姫が口に手を当てながら、なるほど、と小さく言った。昨日と違って、この少女がふたりの状況を明確に説明してくれたために、不安はない。
「僕の前からの知り合いじゃけ、旧都浪人するならここがええと思って、昨日連絡しといたんよ」
「ありがとう優鵺くん、と、えっと……」
祥雲がお礼を言おうとして、少女の名前に口ごもったとき、中国茶のポットとカップを乗せた盆が彼らの目の前に置かれた。思わずそちらを見ると、今度は茶色い髪に眼鏡をかけたいかにも聡明そうな少年が、「お待たせ」と言って口元だけに微笑を見せる。
「ふうちゃんありがとう! 座って」
軽妙なあだ名で親しく呼ばれたその少年はうなずいて少女の隣の椅子を引いた。暗いブラウンの髪は前髪が少し重く、眼鏡の下の瞳の光を僅かに遮っている。すらりと脚の長い少女よりも背が低く、中華民族衣装を模した翡翠色のトップスと細めの黒いパンツがよく似合う彼は、小柄な身体のわりに大人びて映った。
「じゃあ、改めて自己紹介するね」
そよ風のように薄い微笑を宿した少年と、雨上がりの太陽を反射する水たまりのように晴れやかな笑顔の少女は、ふたりで並ぶことが正解のように思われるほど似合っている。
「私は希野時雨。七月二十一日生まれの十七歳。蟹座。血液型は知らない。好きな食べ物は食べられるもの全部。趣味は料理を食べることと作ること。五二三の能力は主に植物を成長させるって感じ! はい、ふうちゃんの番」
少女改め時雨は矢継ぎ早にそう言い終えると、達成感をたたえた表情で両手の指先を少年のほうへ向けた。
「うん。僕は槌谷風雅。えっと、誕生日は二月。趣味は……特にないかな。五二三は土を固くしたり、柔らかくしたりするのが得意だよ。よろしくね」
少年もとい風雅はどこか幼さの残る声色をしているが、どこか感情が不明瞭で、その穏健な優しさは心奥から地下水のように滲み出すものであると言われればそのような気もするし、校庭の一角をいたずらに掘り進めた時の驚くほど冷たい土のようであると思えばそうであった。
祥雲がふたりの雰囲気に圧倒されつつも時雨に、風雅、と口内で反芻するうちに、隣席はもう口を開く。
「比向晴姫。よろしく」
「終わり?」
祥雲が思わず尋ねると、晴姫は美麗な長い睫毛で見下ろして眼だけでその意を伝えた。祥雲が当たり前のようにそれで会話を終えるのを、時雨がにこやかに見ている。
「えっと、おれは瑞城祥雲で……誕生日は九月の二十六日。晴姫は四月の三日。おれは水のかたまりを大きくしたりとかできて、晴姫は炎をなんかすごい感じで扱える。強いよ」
「うん! はるちゃんに、さくちゃんだね! 私たちみんな同い年だから仲良くなれそう!」
異様に親し気な距離の詰め方はおろか、時雨がどこで祥雲たちの年齢を把握したのか、そんなことはもう気にならない。頭で考えているわけではなく、この旧都での一日が彼らにそういった空気を共有させているのである。
「どう? ここでやっていけそう? 急にいろいろ決まって大変やと思うけん、考える時間がいるかな?」
「いや。考えても結果は同じだと思う。俺は別にこのままここに住むことになっても問題ない用意はしてるし。でも祥雲は……」
晴姫は優鵺の気遣いを固辞した後、祥雲を見遣ってその様子をうかがった。
「おれも、問題ないよ。家のほうは別に誰もいないから。荷物とかは送ってもらったほうがいいのかな」
固辞が続く。
「じゃあ二人とも翠翠飯店のメンバーになるね? なるんだね? はい、じゃあリピートして! 僕は翠翠飯店の仲間になります!」
「は?」
今にも飲み込みそうな勢いで迫る時雨に、ふたりはたじろぐ。彼女の見るからに柔らかそうな白い肌と、ふっくらと色づく唇が、はやくはやくと急かすのを少しばかり見つめた後。
「僕は翠翠飯店の仲間になります……」
ふたりは戸惑いの色をした声でそう言った。
「ふっふっふ! これでもう私たち、切っても切れない縁で繋がった家族だよ!」
「時雨。近いよ、離れてね」
風雅が身を乗り出す時雨を椅子に優しく収めた後、左の腕をくるりと裏返して接着型薄型端末を操作する。端末から発される光により空間に画面が投影される、最新のモデルだ。彼は操作盤の映し出された腕を数回タップすると、
「僕は翠翠飯店の仲間になります……」
先ほどの頼りないセリフをもう一度空間に響かせた。
「声紋認証完了。瑞城祥雲。比向晴姫」
続いて、空間の画面上に成功の文字が表示されるとともに、音声が流れる。
「おお、ぬかりない」
感嘆したのは、優鵺。祥雲と晴姫はぽかんとした表情を数秒見せてようやく、時雨の切っても切れない縁の意味を知ったのだった。
「ていうかなんで俺たちの声紋が流出してるんだよ!」
「ネットって怖いね」
にこやかな風雅の笑みが、旧都に来てからというもの翻弄され続けているふたりの不安をまた少し大きくさせた。
「じゃあ出勤は明日からね。お店のオープンは十一時だけど、いろいろ説明とかもあるし九時には来てね。今日はとりあえずの生活に必要なものを買うといいよ! お金は、そこの公務員のお兄さんが持ってる、よね?」
時雨の大きな瞳のウインクに見送られて、三人は料理店を装った組織の扉を後ろ手に閉めた。
しばし、張り詰めていた気持ちを解く時間をとる。七月の気温は人類には危険なもので、今日も全国には不要不急の外出を禁ずる酷暑警戒令が五段階中の五段階で出されている。じりじりと灼ける暑さに、肌にまとわりつく湿度のカーテンがあまりにも。
翠翠飯店の周囲は静かだった。数十年前は夏に鳴く虫が五月蠅かったといわれているが、彼らは知らない。Uエリアはこうした飲食店や生活用品店、一般企業の支所などが多く、一般人が集まるエリアでもある。おそらく、昼飯時を迎えるともう少しにぎやかになるのだろう。
夏の陽気で下を向いた向日葵になる前に、三人は再び白い車に乗り込んだ。
「ほんとに信用して大丈夫なんだよな? 今のところ……」
不安を口にしたのは晴姫である。にわか雨のような少女の勢いに押されてある種の契約を結んだ結果が、昨日から疑心暗鬼の気配を漂わせている晴姫には喉元に引っかかるのだ。
「初めてのメンバー追加やけ、嬉しかったんやろなあ。彼女ら、ここ数年は毎年会場に来とるけど、ひとりも勧誘できとらんかったけ」
「おれは優鵺くんを信じるよ……」
少し疲れた様子の祥雲が体をシートに重く預けながらそう言うと、優鵺はもう一度爽やかな笑みで大丈夫、と繰り返した。
白い外車は時雨の言葉に従って、当分の生活必需品を買いに走りぬける。
列車で見たものとは違う東京の街が窓の外を線状に流れていく。祥雲はその景色よりも自分自身のほうが変わったような気がして、そっと目を閉じた。




