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十三

「テスラだ」

 公共交通機関の発展と財産の持ち方の変化はこの数十年で著しく、自家用車を持つ人間は減少、今では一部のマニアが収集目的で持つことが多くなった。それなりに値段のする車は災害発生率からもコスパの悪いものだと考える人間が多い中、姫川優鵺はメタリックなボディを輝かせつつ滑るような走りで現れた。

「お待たせ!」

 格好いい。この年上のお兄さんは、何年たっても少年たちの心をくすぐる魅力を持っているのだ。

「これ、いざいうときはパトカーになるけん、警視庁から費用の補助が出よるんよ。旧都で生活する分には意外と便利よ」

「へえー。警察って金あるんだな」

 涼しい車内の後部座席にはふたりのための飲み物が用意されていた。晴姫がストローを噛みながら相槌を打つ横で、どこまでもできる男の仕草に祥雲はときめきと懐かしさを覚える。

「祥雲は今日泊まるとこあるん?」

「いや、おれは滞在申請今日の分しかしてなくて」

「ああ、それなら警察の仕事やけん、僕があとでしたるから祥雲も今日はうち泊まっていきや」

 祥雲も、ということは晴姫ももとよりそのつもりで来ているらしい。ちらりと隣席を見ると晴姫は先ほどまでの焦燥はどこへやら、落ち着いた様子で端末のスクロールに勤しんでいた。

「ていうか、優鵺くん、警察になったんだね」

 バックミラー越しの優鵺はあの頃の面影を全く失っていない。祥雲の視線に気が付いて微笑むその仕草からあふれる穏やかな安心感も健在だ。

「そうよー。まさか旧都勤務になるとは思わんかったけど、まあ僕も持ってる側やけん、しゃあないのう」

「警察も五二三部隊みたいなのがあるの?」

「アルテミスに対抗してね。特別災害対策課っていうのが新しくできたんよ。まあ実質五二三部隊じゃのう。人数は多くないけど旧都勤務は大体僕みたいな特対課よ。アルテミスは地幻獣が出た時しか動かんけん、それ以外の治安維持は大体僕らがやっとるんじゃ」

「そうなんだ」

 祥雲の胸に地幻獣との邂逅の衝撃が思い起こされるが、晴姫や優鵺と一緒にいるからだろうか、不思議と落ち着いていた。

 車はいつの間にか、地下駐車場に入っている。

「さあ着いた。寿司でもとってみんなで食おう!」

 エンジン音が止んで、颯爽と降りた優鵺が後部座席のドアを開けて待ってくれる。

 これからする話は優鵺の予想しているものとはまるで違うであろうことを思うと、祥雲は少しばかり胸がひんやりとした。

 優鵺の住むマンションは新築で、豪華なつくりをしていた。東京時代ならば一部の富裕層しか住めないような誂えだが、今の旧都では住む人がいるだけでも十分だろう。

「なんか……意外と変わってないんだね、東京」

 エレベーターに乗り込むと、祥雲はぽつりとつぶやいた。祥雲にとって今日は、十年ぶりに故郷に戻った日でもある。

「まあ、大怪災は人的被害が特に大きかったってわけで、東京全体で見るとゴジラが来たってわけでもないからのう」

「ゴジラって何?」

「昔の映画の怪獣。ぶちでかくて街ごと破壊するんよ」

 到着。十七階。

 優鵺は廊下を進み、ドアの認証部分にマイナンバーチップをかざして手早くドアを開けた。と、同時に部屋の中の電気が廊下から奥へ順に点灯していく。

「おじゃまします」

「おじゃましまーす」

 祥雲に続いて晴姫も足を踏み入れる。玄関は三人でも余裕のある広さで、それが優鵺の生活を表しているようでもあった。優鵺を最後に扉が閉まると、ドアの内側モニターがぽわりと青く光を放つ。

「おかえりなさい。優鵺さん。ご友人のマイナンバー認証を行います。チップをかざしてください」

「すげー、最新」

「晴姫の家は違うの?」

「俺は中高寮だったから。もしかして最新でもないのか?」

「祥雲が新都でもいい家に住んどったちゅうことじゃ」

 青い光に四角く浮かんだ場所へ右手首を近づけると、ドア裏の住人は「はじめまして。晴姫さん。祥雲さん」と丁寧に挨拶をした。

「さあ、どうぞ。ゆっくりくつろぎんさい」

 広い廊下の奥に、リビングルームが見える。見え隠れする生活感からは祥雲が長らく感じていなかった暖かさと懐かしさが溢れていた。なぜか目頭が熱くなって、祥雲は鼻をすすってごまかす。

 優鵺はふたりをソファへ座るように促すと、冷蔵庫の扉をタッチしながら「結果発表はいつやっけ?」と呑気に尋ねる。祥雲と晴姫が顔を見合わせて黙ってしまうと、コップにサイダーを注ぐ音だけがやけに大きく三人の間に響いた。

 三つのコップを運びながら不思議な沈黙を感じ取った優鵺が再度質問を発する前に、晴姫はその桜色の花弁のようにつやつやと美しい唇を重たげに開いたのである。

 話は至極単純で、過程があり、結果があるだけだ。半日にも足らない出来事を話し終えるのに時間はかからなかったが、そのあっけなさがかえってふたりの落胆ぶりを増長させるようで、優鵺は胸が痛かった。ただ、彼らが経験した理不尽や不可思議がこの街には溢れていることを優鵺は既に知っている。その事実が慰めになるかどうかがわからず、この優しい幼馴染は代わりに明らかな励ましの言葉を贈った。

「運が悪かったんじゃのう……かわいそうに」

 部屋はどんよりと沈み込むような雰囲気に包まれたが、それを救ったのは優鵺の端末の通知音声だった。

 寿司が届いたのだ。

「さあ食べんさい! 食べてこれからのこと考えんと!」

 シンプルで丸みのある木のテーブルに、豪華な晩餐が並べられると、食べ盛りの十八歳たちは大いに盛り上がった。規則正しく並んだ魚の切り身がきらきらと輝いて彼らを誘う。とろけるような甘い脂や、噛み応えとともに舌を喜ばせる洗練された味の記憶に、胃は期待を抑えきれずに伸び縮みした。

「いただきます!」

 箸を伸ばす動作の早いこと。

 ほのかな酸味のあるシャリと中トロの甘みをぐっと飲み下したところで、晴姫が次の獲物を狙いつつ会話を切り出す。

「次って、どうしたらいいのかな」

 インスタントの赤だしをすすっていた優鵺が、うん、と答えて器を置いた。

「選択肢は二つあって、諦めて新都で仕事を探すなり進学するなりするか、諦めずに旧都浪人になるか」

「旧都浪人?」

 聞き返すのは頬に鯛の寿司を詰めた祥雲。

「アルテミスの発足によって、旧都には一般人にも特別居住許可が下りるようになったんよ。つまり、こういう飲食を提供する人とか、ほかにもいろんなお店を営む人とか、生活できる街にするために必要な人々やね。で、そのシステムを使って入団試験合格のためにお店で働いてる浪人がいてるっちゅうわけ。ここはやっぱり環境も違うし、まあうまくいけば実戦経験も積めるし。新都に戻るよりは合格率が上がりそうじゃけんの」

「実戦経験……」

 大怪災以降、旧都での地幻獣発生はあまり多くない。新都にいる祥雲が耳にするのは、年に数回程度だ。その数回に遭遇して戦うことができれば、祥雲のような一般高校出身の何も知らない受験生も一年で今の晴姫以上のものを手に入れることができるかもしれない。旧都浪人を選択する不合格者が実際にどの程度いるのかは不明だが、メリットは話を聞きながら寿司をっ咀嚼するふたりにも大いに理解できた。

「とはいえ旧都浪人になるのは結構難しくて、滞在許可を伸ばし伸ばししながら仕事を探すんじゃけど、滞在許可申請は回数を重ねると審査が下りんくなりよるけん。仕事先を見つけたとしても特別居住許可申請はもっと面倒なんよ」

 ふたりは奥歯で米を噛みながら、直面する現実を改めて恨んだ。運の悪さはすっかりふたりの自信を奪ってしまって、自分たちがここに居続けるのは到底無理だと優鵺が言っているように聞こえてしまう。

 どこか絶望感すら漂うふたりを見て優鵺は少しばかり焦ったが、うそをつくことはできない。旧都には彼らの知らない危険や秘密が途方もなく存在して、とても高校生が何も知らずに生き抜ける街ではないのだ。

 話題を変えるので精いっぱいだった。

「ところでふたりはなんでアルテミスに入りたいん?」

「持って生まれたから」

 間髪入れずに答えたのは晴姫で、優鵺は少し驚きながらもこの少年らしいと親しく思った。晴姫が寿司を流し込むように茶を飲み下して、箸を置く。

「俺は五二三を持って生まれた。それも戦闘に適してるものだ。そしたら、俺が生まれた意味はひとつしかないと思った。大怪災が起きて、そう思ったんだ」

「じゃあ、やっぱり……」

「うん。俺はここに残りたい。アルテミスじゃないとしても、俺は役に立てると思う」

 晴姫の強い意志は、化物の襲来という災いだけでなく、それに因ってもたらされた親友との離別も影響しているのだろうと、優鵺は直感的に感じた。それが正しいことも。大怪災前後の晴姫にとって祥雲という友人の存在は、祥雲が思うよりもずっと大きかったことを優鵺は当事者でないからこそ知っている。

「祥雲は?」

「おれは……」

 箸を持ったまま、それきり動きも発言も止まってしまった。

 晴姫が不思議そうに顔を覗き込む。その目の丸い紅玉に長い睫毛の影がかかって美しい。

 祥雲はそのまま瞳だけをあちらこちらへ飛ばして、唇を開いたり、ゆがめたりした。言葉を出したいのに出したい言葉が見つからないといったふうである。

「どうしたんだよ。ミナモさん探しに来たんだろ。さっきそう言ってただろ、自分で」

 晴姫がそう指摘すると、祥雲は小さくあっ、と言ってわざとらしくうなずいた。

「そ、そう。そうだ。ごめん。おれまだなんだか今日のことが信じられなくて……」

「あらら」

 優鵺は祥雲の落ち着かない様子をかわいそうに思った。祥雲の人生において、今日は二番目に感情の揺さぶられた日だったに違いない。祥雲の新都での暮らしを優鵺は知らないが、旧都にいた時と同じように、孤独な部屋に一人住んでいたのだとしたら。そこに晴姫のように暖かい部屋へ手を引いてくれる人間がいなかったのだとしたら。彼の中にある、親心に最も近い部分の胸がしくしくした。

「まあ、とにかくご飯食べて、お風呂に入って、今夜ゆっくり考えるなり、ゆっくり眠った後に考えるなり、好きにしたらええよ。カープ、風呂沸かしといて」

 カープ、というのは彼の家庭管理用人工知能の名前だ。カープのはい、という返事は備わっていないはずの優しさを帯びていた。それはおそらく、優鵺のものだ。

 祥雲は優鵺の言葉のとおり、腹いっぱいに寿司を食べた後、足を伸ばし切ってもまだ余裕のある広い浴槽に疲れを置いて、ツインベッドの客室に眠った。

 ほどよく沈む枕に重くなった頭をすべて預けて、今日のことを思った。

 記憶への違和感。今日祥雲を苦しめたもの。知らない部屋にいたこと。ドアの開け方さえわからなかったこと。あの部屋へは、晴姫とふたり、自身の足で歩いてきたはずだ。

 それだけではなかった。先ほどの優鵺との問答。思い出せなかったのだ。晴姫が口をはさむまで。自分がここに来た理由。アルテミスに入ろうとした目的。母親、瑞城水面という人のことを。

 それらは今日という日を終えようとする今、トラウマを引き起こした地幻獣との遭遇よりも恐ろしく思えた。旧都に来たタイミングで、自分に異変が表れ始めたことは、少年に莫大な不安を与えるに事足りる出来事である。晴姫の言うように、ここは自分のいる場所ではないのかもしれない。街に拒絶されているような錯覚さえした。正しさという視点で選択をするならば、それはおそらく、新都へ帰ることだ。

 祥雲の後に風呂に入った晴姫が部屋に入ってくると、彼も一日の疲れを預けるようにベッドへ勢いよく倒れこんだ。が、疲労困憊を装って祥雲の様子をうかがっている。僅かに湿気を含んでいる髪が白いベッドに筆を運んだように流れている。

「おれも残るよ。旧都に」

 晴姫が尋ねる前に、祥雲はそう言った。

「ふうん」

 晴姫はもう、帰れとは言わなかった。もしも自分が祥雲と同じ状況の中にいたとすれば、当然同じように言っただろうと、理解したからだ。

 そして祥雲も、晴姫の理解を理解した。それきり会話はなく、客室は眠りに包まれた。

 それから朝が来て、優鵺が二人の体を揺らすまで、少年たちは夢も見ずに眠った。

「ごはん派やったらごめんね!」

 寝ぶくれた顔に開かない目をこすりながら現れたふたりを待っていたのは、焼き目のついたトーストにハムエッグ、健康的な緑のまぶしいサラダであった。部屋にはコーヒーの香りが漂っている。理想的な朝。

 順番に顔を洗っていると、鏡がおはようございますと挨拶をした。時間と天気を教えてくれる。今日はサラダ記念日です、というTMIを添えて。

「優鵺くん、おれも旧都に残ることにした」

 いただきますと一口目の間にそう挟むと、優鵺は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「うん、僕は祥雲が選択したことが、正しいことやと思う。それに僕はなー、晴姫のためにも祥雲には一緒におってほしいと思うけえの」

「は? なんで祥雲が俺のためになるわけ?」

「強がらんでええよう。優鵺にいちゃんは全部わかっとるよ」

「意味わかんねえ。祥雲、またなんか変なこと言ってるから相手にすんなよ」

「いや、おれも晴姫とせっかくまた会えたから、これでお別れはいやだって思ったよ」

「なんだよお前まで。そのノリつまんねえ」

 晴姫の白磁器のような頬がうっすらと桃色に染まる。ごまかすようにトーストをかじる晴姫を横目に優鵺は祥雲と目を合わすと、誰に語るでもなくよかったよかった、とつぶやいた。

「さあ、そうと決まれば今日はいいところに連れてってやるけ、はよ出かける準備しんさいよ!」

 優鵺の張り切り声が、朝日の差し込む部屋に拡散する。冷房の効いた部屋はそれでも、あたたかい。



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