第二話 曰く付きの女狐
今から十年くらい前の事……。
その日は雨が降っていた。
両親に頼まれ町へのお使いに行った帰りの出来事だ。
家の方角から聞こえた大きな衝撃に、当時小さなガキに過ぎない俺は本能的に胸騒ぎを感じた。
町で買った物をその場に放り投げて、当時の自分は一目散に家へと急いだのだ。
先程まで存在したはずの我が家は、自分が辿り着いた時既に原型を失くした瓦礫の山と化している。
加えてそこでは、バキバキと嫌な音が聞こえた。
骨が砕け、原型を失くした人であったはずのモノが辺りに散乱し、あまりの光景に口を覆った。
足や腕の胴体がバラバラとなり、うめき声を上げるソイツが俺の両親をむさぼり食うその瞬間である。
「あぁぁぁ………」
「…………?」
両親を食らったソイツは、俺の存在に気づき近付いてくる。
黒い皮膚と毛皮に覆われた巨大な化け物。
ソイツには左腕が無く、大きく発達した巨大な右腕で俺の父親だったはずのソレを握り潰すとニヤリと微笑み今度は俺を食らう為に近付いてきたのだ。
得体の知れない化け物に俺は恐怖し、何もできない。
「ほう、まさか………こんなところで………」
しかしソイツは俺の方を見ると何故か分からないが、俺の目の前で立ち止まったのだ。
「お前……一体……何なんだよ?」
「今は見逃してやろう。
いずれお前を喰らうその時まではな………」
そう言うと、父親の死体を上に放り投げると小魚を食うように丸呑みした。
「貴様ぁぁぁ!!!」
襲いかかろうしたその瞬間、身体が瓦礫の山へと吹き飛ばされていた。
そして、右腕には鈍い痛みと激しい火傷のような苦痛が襲い掛かる。
「返せ、俺の家族を………」
「………、弱いモノに興味はない」
そう告げて、化け物は目の前から立ち去る。
残された俺は、苦痛に悶えながらソイツの姿が見えなくなっても、その姿を目に焼き付けるように睨み続けた。
必ず殺す、お前を………、
俺の家族を奪ったお前を、絶対に許さないと………
●
あの日から色々あって俺は神畏を目指した。
神畏とは人と怪異の一対にして成り立つ存在。
怪異を憎む俺であっても、神畏として生きるには怪異と手を組む必要があった。
新たな相方の紹介するとして役所の人間に案内されたのは、とある施設の地下牢である。
そこで顔を合わせる事になった新たな俺の相方を務める事になった存在というのが、妖狐の血筋を引くというミタモという半妖の女狐である。
半妖は文字通り、人と怪異の間に生まれた存在。
正直、かなり珍しい存在である。
出会った当初の印象は、浮世離れしたえらい美人というのが見た目の第一印象。
黒髪を長く真っ直ぐと伸ばし、絹のような白く美しい肌をした女。
柄にもなく思わずこの女に見惚れた程だったが、すぐさま彼女からは軽蔑にも似た冷たい視線を向けられ、そんな淡い幻想は崩れ去った。
神畏を管理する役所の人の話によれば、色々と訳アリの存在らしく長らく手を余していた存在とのこと……。
まぁ簡単に言うなら、以前に神畏として組んでいた人間を殺したのだそう。
当然、役所からは厳しい処分を言い渡されここ何年、それどころか数十年以上に渡って監禁されていた程である。
場合によっては数百年余りか?
そして、そんな奴の相方として元々いた相方を失ってしまった俺が来たわけで彼等からコイツを押し付けられたのである。
要は厄介者には厄介者を当てつけられた訳である。
俺の実力を見越して、コイツを監視しろという話なのかと一瞬ばかり自分の実力に慢心を抱いた。
しかし、目の前の存在から放たれる力の威圧感にそんな慢心は瞬く間に瓦解する。
この女はそこらの怪異とは訳が違う。
それなりに強い怪異は何度か見たことはあるが、目の前の女は今まで会ってきたどの奴等よりも強大な力を有している。
かつて、家族を殺した片腕の奴よりも恐らく上。
俺を除け者にしたいのか、あるいは彼女を殺すに足る大義名分の為に俺を生贄にでもしたいのか……。
と、向こうの狙いはどうでもいい。
とにかく、後にも先にも引けない立場にあった今の俺にとっては、この機会を逃がす訳にもいかない。
正直怖気づきそうになったが、己の目的を果たす事が最優先、苦渋の末に彼女と組む事を決断したのである。
そして向こうからの第一声はというと……。
「嫌じゃ」
そう小さく呟き、俺から視線を逸らし顔を背けた。
これが俺と彼女との出会いである。
そして、この出会いから更に3年の時が過ぎ現在へと至る。
●
「ぷはぁーー!
宴じゃ~、酒じゃー、久方ぶりの酒じゃ~!!」
楽しそうにそう叫びながら俺の右隣を陣取り右肩に寄りかかり腕と尻尾までも絡ませながら、酒と目の前の料理を堪能している女狐がそこにはいたのだった。
「おい?どうしたぁ、小童?
妾の酒が飲めんのかぁ、あ?」
まぁなんとも言えない酔い方である。
酒癖の悪さで、見た目の良さが帳消しになるくらいには酷い有り様だ。
「…………、ほんとお前そういうところがなぁ………」
「うるさい!
酒が飲めなくては、やってられんわこんなものぉ!
妾は偉いんだぞぉ!
妾の酒が飲めんのか貴様ぁ?」
「コレだからお前との宴は嫌なんだよ………」
と、宴や酒が絡んだ際の彼女の対応に俺は毎度手を焼く始末である。
異様な程近い距離感で俺に対して腕や尻尾絡ませてくるのは、せめてもの問題を起こさない為の策らしいが………。
だったらそもそも場所を選んで酒を飲めばいいだけなのである。
それでも実際、旅の道中野宿することになっても何処から持ち出したか分からない一斗の酒樽を3日程度で飲み干してしまうのだから、頭のおかしいことこの上ない。
「はぁ~、にしてもこの酒……。
どうも少しばかり味が落ちとらんか?
水が僅かだが淀んでおる……。
コレはこれで悪くはないが、どうもなぁ………。
なぁ村の衆、この酒は何処のものじゃ?」
そう言って、盃を持ちながら手を振る彼女。
とうとう出された酒に対してまで文句を垂れ始めたぞ、コイツ。
この女狐、どこまで失礼な態度を取れば気が済む。
「何処の酒と申されましても、コレは元々あの怪異に出す予定であった上等の代物。
ここから東へと進んだ酒の名産地である酒倉井の名酒ですよ?
ミカド様にも献上される程の至高の酒でしょうに」
村の者がそう口にし、この酒がかなり高価な代物だという事が分かった。
ミカド様に献上される程って………流石に俺達なんかが頂いていいのかすら怖くなってくる。
幾ら俺達が恩人でも流石に……コレは不味い……
「何、本当にこんなものが酒倉井じゃと?
ぼったくられた訳でもなくか?」
「勿論ですとも……。
まさか神畏様には、これが違うとでも?」
「違うも何も、こんなものが酒倉井の酒であるはずがなかろうに?
アレは妾でもこれまで2、3度口にした程度だがあれ程の至高の酒の味を忘れるはずがなかろう。
あの酒はそこらの代物とは訳が違うんだぞ?
だからこそ、妾は酒がおかしいと申したのじゃがなぁ………」
そう言って、盃の中を見つめる彼女。
何とも失礼な態度に、流石に俺は耐えられなくなる。
「おい、ミタモいい加減にしろよ………。
タダ酒にあり付いておいて、酒に文句まで言うのは流石にみっともないぞ?」
「みっともないだと?
ふざけるな、小童!
事の次第によってはこの村の者が安酒を掴まされたかも知れんのだぞ?」
「安酒を掴まされたことじゃなくてだな………」
「それに……これが酒倉井の酒であるはずがない!
いいか小童!、酒は水が命じゃ!!
その水が淀んでおるのだ?
それも、酒を作る土地の水が淀んでいるのだぞ!
この意味の重大さが分からないのか、貴様?」
「だから、何だっていうんだよ?」
「いいか、酒を作るには綺麗な水が必要不可欠!
その水が淀んでおる、つまり綺麗な水が失われてしまったのだぞ?
水は生きとし生ける者に必要不可欠、その水が穢れてしまえば生きとし生ける者にどのような影響が出ると思っておる?」
「それはまぁ、大変な事になるだろうよ……。
でもな、ミタモ?
俺が言いたいのはな………」
「いいから聞けい、愚か者!!
一大事なんじゃぞ!
穢れた水から生まれた命は、魂まで穢れてしまう。
魂が穢れてしまえば、今朝に倒したアヤツのようは輩が湧いてしまうんじゃぞ!」
「…………」
何だ、急にコイツ真面目な事を言い出したぞ?
酒ばかりかと思ったら、思わず見直した。
というか、ミタモの熱意に押されて彼女を抑えようとした俺に対して批難の視線が向かってる………。
どうして?
「あー、そうか………そうだよな、うん」
「そうじゃそうじゃ!
だから絶対なんとかせねばならん。
あの土地の酒を穢した愚か者を、妾がこの手で滅してくれるわ!
ハーハハッハッハ!!!」
「よ!、神畏様!!」
「是非ともやっちゃって下さい、神畏様!!」
「神畏様、万歳!!」
そんな彼女の高笑いが響き渡り、勢い任せの彼女の言動に押されて村の者達も更に盛り上がっていく始末。
というか、今の言葉で全部台無し。
ほとんど私怨だ、俺も言えたものじゃないが……。
見直した部分を返してくれ………。
「いいか小童!!
次の集落での問題を片付けたらすぐさま酒倉井に向かうからな?
あの名酒を必ずや手に入れて見せるわ!!」
とうとう目的も変わっている。
やっぱりコイツ、酒しか頭にない………。
「ぷはぁーー!
宴じゃ~、酒じゃー、久方ぶりの酒じゃ~!!
妾の酒が飲めんのかぁ、小童ぁぁ!!」
そう言って、コイツは最初の方の言動に戻ってる。
淀んでるとか言っておいて、まだ飲むのかよ。
こうして、今宵の宴はこの女狐を中心として盛り上がっていった。
そして翌朝、村の者達に惜しみながらも見送られ俺は茄子みたいな顔色をした二日酔いの女狐を背負いながらこの村を後にしたのだった。