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きみと青が散乱する  作者: 春名七虹
そして別れる春のこと
34/37

 卒業してしまうと、あとは大学の合格発表を待つばかりになる。


 合格発表の五日後に後期試験があるけれど、共通テストの点数と小論文での評価になるので、短期間で対策のしようがない。とりあえず小論文の過去問題をあるだけ解いてみたり、対策本に目を通したりして時間を使っていたけれど、それもすぐに飽きてしまった。


 だからといって家にこもったまま、テレビを見たり漫画を読んだりしてだらだらと過ごすのも気がひけて、私は海沿いの喫茶店に行った。毎年夏のあいだだけ臨時ウエイターとして働いている店。


 またアルバイトをさせてくれないかと店主のおじさんに頼んだら、快く雇ってもらえたので、合格発表を待つ落ち着かない時間のほとんどを、私はアルバイトに精を出して潰した。


 喫茶店は観光シーズンである夏ほど繁盛してはいないけれど、地元住民や観光客がぽつりぽつりと途切れることなくやってくる。


 ある昼下がり、若い男女のふたり連れが硝子扉を開いた。百合岡先生と、男性のほうは知らない顔だ。


 背が高くて、涼しげに整った顔立ちをしたひと。年齢は百合岡先生と同じくらいだろう。


「あ、優雨ちゃんだ。ここでバイトしてるの?」

「はい。いらっしゃませ、先生、もしかして彼氏さんですか?」


 興味が抑えきれず尋ねると、微妙な表情をされたので、首を傾げる。訊いてはいけなかっただろうか。


 先生の引きつったような形になった口が言葉を返す前に、隣の男性が、


「彼氏じゃなくて、元カレ」


 と言って、にやりと笑った。


「ええええ? 元カレ?」


 予想もしていなかった台詞に狼狽える私をよそに、呆れた顔の百合岡先生が男性の胸を小突く。


「十年以上前に一瞬付き合ってただけだからもう時効でしょ、初対面の相手にそう名乗るの、いい加減やめてくれない? 他にいくらでも言い方あるでしょうに」

「え、本当に元カレなんですか。元カレさんと仲良くお茶しに来たんですか……?」

「昔、気の迷いで少しの期間付き合ってただけの、幼馴染の腐れ縁だから」

「は、はあ」


 何か言おうとする元カレさんを引っ張って、空いたテーブルに腰を下ろす先生。


 恋人関係を解消した男女のあいだに流れる空気感がどんなものかなんてことは、私はよく知らない。そもそも恋愛すらしたことがないのだから。


 でもイメージ的に、紆余曲折あって別れを選択したふたりのあいだに残る感情には、なにかしらの湿度と粘度が付帯しているものではないだろうか。


 それなのに、百合岡先生と元カレを名乗る男性の空気はからりとしている。しすぎている。幼馴染、という言葉に遅れて納得した。


 オーダーをとりに行くと、男性に親しげな笑みを向けられ、不覚にもどぎまぎしてしまう。島にいる若い男性はりっきーくらいのもので、あとはおじさんかおじいさんしかいないので、若くて、しかも容貌の優れた男性への耐性など自分には皆無であることを差し引いても、えげつないをもて方をしそうなひとだな、と思う。


「きみ、菜央が勤めてる高校の子?」


 頷きながら、そういえば百合岡先生はそんな名前だったと思い出した。


「はい。元カレさんは、」

「優雨ちゃんその呼び名やめてお願いだから」

「ごめんなさい、先生の幼馴染さん? は、先生に会いに来たんですか?」

「有休消化中で暇だって聞いたから、俺も有休取って、この島に」

「へええ」


 聞けば、幼馴染さんは関西の会社に勤めているけれど、かなりの頻度で百合岡先生に会いに来ているらしい。


 今までに島内でふたりのすがたを見かけたことがなかったのは、島の住人に見つかると噂が立って面倒なことになるので、会うときには百合岡先生が長崎まで出ていたからだとか。若い男女の恋愛事情なんて、暇を持て余した島民からすれば格好の話題の種だから、正しい判断である。


「関西からそんな頻繁に会いに来てたんですか。先生のこと、大好きじゃないですか」

「そうなんだよ。何百回もプロポーズしてるのに、なかなかイエスって言ってくれないんだよね。きみ、どうしたらこの先生が首を縦に振るか、いい方法知らない?」

「プロポーズ? 何百回?」


 いきなり出てきた単語に脳がついていけなくなる私と、悪戯っぽい微笑を浮かべたままの幼馴染さんのあいだで、百合岡先生が耐えかねたように頭を抱えていた。




 喫茶店のアルバイトをはじめて数日が経ち、合格発表の日を迎えた。


 勤務開始前の午前九時、家のパソコンで大学のウェブサイトで発表された合格者の受験番号を確認する。無事に自分の番号を見つけた。あまりの安堵感に全身の力が抜ける。


 すぐに母と、黒川先生に電話で伝え、なーさん、じゅったんにはメッセージを送った。メッセージ履歴には、二日前に届いた、なーさんからの「合格した」という短い言葉が残っている。


 メッセージに既読がついた直後、じゅったんからの着信があった。


「おめでとう優雨! すげー! やったな!」

「じゅったん、ありがとう……安心したよ……」

「これで俺たち三人とも、4月から大学生か」

「うん。じゅったん、福岡だよね。私も福岡で、なーさんは千葉。みんな、島から出るんだね」

「なーさんだけが遠いな」

「なーさんは、東京になっちゃんいるから」

「そうだったわ」


 その後も少し話をして、電話を切った。スマホにメッセージ通知が表示され、確認してみると、なーさんからの〈おめでとう〉が届いていた。




 島に自生した山桜がすっかり散ってしまい、ところどころ白く色づいていた森がもとの緑を取り戻した頃、テレビではソメイヨシノの開花宣言が出されたことがニュースになっていた。満開は開花から一週間後、3月29日。


 廃校になった縹高校の先生たちは、すでにほぼ全員が新しい町へと引っ越していった。残っているのは、私たちの出立を見送ると宣言していた百合岡先生だけだ。開花宣言からの一週間、私は自転車を走らせ、島のあちこちへと出かけた。どこにいても、潮の匂いと春の匂いが混ざり合った、ぬるい空気が肌に寄り添ってくる。


 自転車で高校の前を通ると、校門の脇に植わったソメイヨシノが一足先に満開になっていた。雨のように降り注ぐ花びらが、誰も通らないコンクリートの道を染めていて、その量の多さに目を見張った。ひとや自動車がいっさい通らないので花びらは何者にも邪魔されることなく積み上がっていくだけだ。こんなにもたくさんの花びらが降る場所だったことを、きっと廃校になる前は誰も知らなかった。


 冬桜も咲いているだろうかと考えた。


 愛誦歌の石碑の傍らで咲いているはずのあの木は、校門からだと見える場所にはない。門には太い鎖が何重にも巻かれ、仰々しい南京錠がかけられている。


 白い外壁の校舎は、今のところは廃校前とまだ変わりない。でも内部にはきっとすでに埃が積もりはじめていて、もしかしたらウサギとかイタチとか、イノシシなんかが入り込んでいるかもしれない。私には確認するすべはないけれど。


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