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受験を無事に終えて島に帰ってくると、すぐに卒業式の練習が数日あり、3月1日は卒業式だ。
来賓客のほうが圧倒的に多い、三人だけの卒業式。
緑の養生シートを敷き詰めた体育館の真ん中に、三つのパイプ椅子が並んでいる。卒業生以外の在校生は存在しない学校なので、先生たちだけで会場設営したのだと考えると少し申し訳なくなる。
卒業式の朝、ホームルームで教卓に立った担任の黒川先生は、綺麗な薄桃色の着物に、燕脂色の袴を合わせていた。上級生の卒業式のときにも、袴を着ている女性の先生がいたので、教師陣の中では定番なのだろうと思うけれど、正直、主役である生徒の誰よりも卒業が似合う格好だからちょっと笑ってしまう。色合いも相俟って女学生じみて見える。
なーさんもじゅったんも、私も、三年間着古したいつも通りの、数十年間デザインの変わらない、重たい制服だ。今日を最後に誰も着なくなり、歴史の隅に捨てられる制服。
胸もとに、先生の着物の色と同じ、薄桃色のコサージュを着ける。桜の花の枝を模したそれは、偶然だろうけれど三つの花が寄り添うように咲いている。
卒業式はつつがなく進み、ステージ横の壁に貼られた式次第を、あっという間に順々に消化していく。本来は式のメインであろう卒業証書授与はすぐに終了し、校長先生からの式辞。在校生代表からの送辞はなく、いったい何に答えるのか不明な答辞は、生徒会長であるじゅったんの役目だ。
人知れず練習していたんだろうか、じゅったんの答辞はとても上手だ。彼は昔から、人前で話すのが上手い。堂々としていて、間のとり方や表情筋の使い方が巧みで、引き込まれる。元町長ゆずりの特技だ。
答辞の直後の「仰げば尊し」斉唱は、三人だけで歌うことになんの意味があるのかと、歌いたくないなーさんが抵抗していたけれど、結局はやっぱり三人だけで斉唱した。
それぞれの声が聴き分けられるから、私は、自分の声と高さのちがうふたりの声で、歌詞をなぞる。
おもえばいととし。
「とし」が「疾し」であり、「はやい」という意味であることは、高校の古文の授業で、「とし」という単語がでてきて知った。
「昔読んだ小説でさ、『仰げば尊し』の歌詞にある〈おもえばいととし〉の〈いととし〉を、『いとおし』と勘違いしてたって女の子がいたんだよね。小学生のときに読んだ、少女小説だったかな。町の図書館で借りて読んでたの。そのときの私は『仰げば尊し』って歌のことをまだ知らなかったんだけど、それを読んで、たしかに、せっかく歌うなら『思い返すととてもはやかったこの歳月』よりも、『とてもいとおしいこの歳月』のほうが素敵だなって思って、ずっと憶えてた。だから、自分が高校卒業するときは、〈おもえばいとおし〉って歌ったんだよね。小説の女の子に倣って」
卒業式と最後のホームルームを終えて、保健室に行くと、開口一番、百合岡先生がそう言った。いつもすっぴんを晒している先生は、さすがに今日はきちんと化粧をして、髪を結って、ぴしっとしたパンツスーツを身に纏っている。
「優雨ちゃんの三年間は、『いととし』だった? 『いとおし』だった?」
あたたかい微笑みとともに尋ねられ、私も微笑んだ。じゅったんの答辞を聞いているときと、ホームルームのときに、少し泣いたから、涙の痕で頬がぴりりと痛んだ。
「どっちもです」
「それは、とても良い三年間だったんだね。あらためて、卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
保健室の椅子を拝借して、百合岡先生と話をした。先生たちは、残務処理を済ませたらそれぞれに島を離れる予定らしい。次の赴任先がわかるのはまだ少し先だ。
「百合岡先生は、すぐに島を出るんですか?」
「ううん。きみたちの出立を見送るまでいようかなって思ってる。次の学校がわからないと、引っ越しもできないしね。帰りたい実家もないし。ちょうど良い機会だから、この島でのんびり過ごしつつ、溜まった有休消化するよ」
「春休みですね」
「うん、春休み」
教室にふたりを待たせているので、あまり長居するわけにもいかない。短い会話をいくつか交わして、保健室を去る前に、「先生、一緒に写真撮ってくれませんか」とお願いした。
ポケットからスマホを取り出し、インカメラに切り替える。7センチほどあろうかというヒールの高いパンプスを履いた先生は、いつものサンダルなら私とほとんど同じ背丈なのに、今日はヒール分の身長差がある。ふたりの顔がしっかり映る位置を探して腕を上に上にと伸ばす。
「先生もヒール履くことあるんですね」
「パンツスーツだと、ある程度ヒールある靴じゃないと格好悪いんだよ」
「なるほど」
「慣れてないから足痛くて仕方ない」
「帰ったらしっかり労ってあげてください」
カシャ、カシャ。シャッター音が保健室にこだまする。数枚写真を撮り、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「こちらこそ。そうだ、優雨ちゃんたちの卒業制作、他の先生たちと一緒に見たよ。よくできてて感動した」
「ほんとですか?」
「たしかに、すごく、いとおしい日々だったんだなって、あの動画を見て伝わってきた。なんだか羨ましくなったくらい。最後にいいもの残せて、よかったね」
「はい」
また涙腺がゆるみそうになるのをこらえながら、もう一度、頭を下げた。
教室に戻ると、なーさんとじゅったんがいる。三個だけの机。三人だけの教室。黒板には、きっと黒川先生が書いた、卒業を祝福する言葉。
「あ、優雨、戻ってきた」
じゅったんが、手の代わりに卒業証書入りの筒を振っている。
「お待たせ」
「じゃあ帰るかー」
ちょっと泣いた私と対照的に、じゅったんとなーさんはからりとした表情をしている。卒業の日なのに、なんだか拍子抜けするくらい、いつも通りだ。
帰り道、別れ際に「また明日」と手を振りそうなくらいに。まるで明日も同じ日々が繰り返されるみたいに。今が永遠に続くみたいに。
「じゅったん、なーさん、最後に写真撮ろうよ、三人で」
「写真ならホームルームのあと撮っただろ」となーさん。
「あれは先生たちも一緒に写ってたし。三人だけで撮ろ。卒業制作の最後に加えるから」
ふたりの腕を両手でそれぞれ掴んで、黒板の前に引きずっていく。
百合岡先生と撮ったときよりも高い位置まで手を伸ばしてスマホを構えると、見かねたなーさんが私の手からスマホを取り上げた。
私の右にじゅったん、左になーさん。おそろいの桜の花が胸もとで綻んでいる。帰宅してこの花をはずしたら、もう、制服に袖を通すことはない。そんな感傷を抱いているのは私だけなのかもしれない。
今日をもって、私たちの高校生活は終わる。縹高校の歴史は終わる。もう二度と、誰にも、この教室は使われない。
スマホの小さなカメラレンズを見詰めてめいっぱい笑いながら、心の中で、誰にも聞こえない声で、さようならとありがとうを呟いた。




