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それからの私は、放課後、りっきーのもとへ足繁く通った。観光プロモーション動画の編集と、卒業制作のために。
「あんまり優雨ちゃんとふたりきりで過ごしてると、永純に嫉妬されそうだなあ」
「あはは、まさか」
「いや、あいつ、あんな感じでわりと嫉妬深いほうだからね」
観光協会の事務所に入り浸り、りっきーの傍らで作業していると、久家さんとも親しくなった。私たちの傍らで帰り支度する久家さんが、思い出したように言う。
「年始に同窓会をやることになったんだ。十年ぶりに」
「いいですね」
「実は優雨ちゃんのおかげなんだよ。あの、きみが見つけて現像してくれたカメラの写真。あの写真のことを、島を離れた同級生たち数人に話してみたら、みんな、見てみたいって盛り上がってね。結局、連絡先のわかる同級生、ほぼ全員に連絡したんだ。同窓会の前に、みんなでお墓参りにも行く予定だよ」
墓参り、は、すでに亡くなったという、写真に写っていた陸上部のひとのことだろう。数世代前のデザインのラベルに巻かれたコーラを手にして、笑っている少年の写真。あの写真はもう、私の手元にはないけれど、今でも鮮明に思い出すことができる。
「優雨ちゃんが見つけてくれなかったら、同窓会も墓参りもなかった。だから、見つけてくれて本当にありがとう」
卒業制作をまとめるにあたって、じゅったんとなーさんにも、撮った写真や動画があれば送ってほしいと頼んだら、ふたりとも意外なほどたくさん送ってくれた。
じゅったんが撮ったものたちのほとんどはひとが映っている。学校での私、なーさん。ピースしている百合岡先生もいた。りっきーや元町長のお祖父さん、隣の家のおばさん。そして、誰かが撮ってくれた、じゅったん自身の写真。夏、砂浜ではしゃいでいるじゅったん。お祭りで大人たちにまぎれて神輿を担いでいるじゅったん。
サッカーをしているじゅったんもいた。サッカー部のジャージを着ているから、廃部になる前、一年生の頃の写真だろう。今よりも少し背が低くて、顔もあどけない気がする。
懐かしくて可愛らしくて、スライドショーを再生させながら、知らず頬が緩んだ。
対照的に、なーさんの撮ったものたちは静物ばかりだ。
学校の自習室、机が三つだけ並んだ誰もいない教室、使われていない教室が並んだ三階の廊下。愛誦歌の石碑もあるけれど、傍らの桜の木は緑の葉をいっぱいに茂らせているから、夏頃に撮ったものかもしれない。私よりも先になーさんが同じものを撮っていたのだと思うと、なんだか嬉しくなる。
学校外の写真も多い。陸上部のロードワークの定番コース、両側に田園地帯が広がる県道、ぽつんと立った自販機。人影のない商店街。空を横切る電線、その先にある飛行機と、飛行機雲。
三人が撮り溜めた写真や動画をパソコン上でひとつのファイルにまとめて、何度もスライドショーで自動再生させる。華やかな極彩色ではけっしてない、地味で、ささやかで、それでも鮮やかな日々。
写真たちとあわせて、じゅったんからは〈任せちゃってごめん! 手伝えることあったら何でもやるから言って〉というメッセージが届いていたので、〈受験勉強頑張って〉とだけ返信した。
先日返ってきた、11月のプレ共通テスト模試で、最後の模試だったに偏差値と判定を下げてしまったらしいじゅったんは、ずいぶんショックを受けていた。もう彼は私が付き合わなくともしっかり自分でやるべき勉強をやれている。ちなみに、なーさんは最後までA判定とB判定を行ったり来たりだったようで、さすがとしか言いようがない。
週末、自室に引きこもってパソコンに向き合い続けていたけれど、ふいに思い立って、自転車を走らせた。いくつかの坂を上って下って、海沿いの教会へ。
プロモーション動画の撮影場所のひとつだった場所だ。音のない静かな空間で、どこか張り詰めた表情をした奈織が、脳裏に浮かんだ。あのとき彼女が見上げたステンドグラスを写真に撮りながら、大切な三人の未来が、どうか幸福なものでありますようにと、祈った。
そろそろ東京に戻るつもりだと奈織から告白されたのは、12月半ばのこと。
下校時間にふらりと現れた奈織と、港ターミナルに入る。土産物屋を覗くと、案の定、地元唯一のオリジナルスイーツである青花アイスが大量に売れ残っている。ペンキを混ぜ込んだみたいな、食欲を減退させる青色のアイスは、氷菓と観光の最盛期である夏場であればともかく、冬に売れるような代物ではない。生産するほうがどうかしている。
もうすぐ廃棄に回されてしまうであろう売れ残りアイスのうちのふたつを、店員のおばさんから無料でいただいた。「秘密よ」という囁きと、へたくそなウインク付きで。
奈織と並んで、青いベンチに座り、青いアイスの包装を開く。過剰なほどの暖房が効いたターミナル建物内では、冷たいアイスが逆にありがたいくらいだ。
「でも、もうすぐ赤ちゃん産まれるんだよね? ここまでいたならもう、出産までいたらいいのに」
日高家は、奈織のお姉さんである結菜さんが出産のために里帰り中である。
「だらだら過ごしてるのも、いろいろ考えるのも飽きちゃったから。それに、最低限高校は卒業しなきゃだし。だいぶ出席がやばいんだよね。自業自得なんだけど」
奈織は、あの日の別れ際同様、さっぱりした顔をしていた。彼女の中でなにかが吹っ切れたのかもしれない。
「進路、どうするの?」
おそるおそる尋ねてみる。
詳細な言葉をすべて捨てて、奈織はただただ、綺麗に、微笑んだ。
「見てて」
それから数日後の日曜日。正午に出発する博多港行きのフェリーで奈織を見送ることになった。
午後六時頃には博多港に着き、それから飛行機に乗って、夜九時には、東京の住まいに戻れる予定だという。きっと私がぼんやりと休日の午後を過ごしているうちに、奈織は1200キロ移動して、もとの暮らしに戻っていくのだという事実が奇妙に思える。
見送りは奈織の両親、姉の結菜さん(いつ産まれてもおかしくないほど大きなお腹だ)、そして、じゅったんと、私。
「あれ、なーさん来ないの?」
「模試受けてる」
「じゅったんは一緒に受けなくていいの?」
「大学別のハイレベルなやつだから、俺はお呼びじゃないんですう」
拗ねた声に思わず笑う、私と奈織。
「いいんだ。朝陽とは、昨日の夜、会って、たくさん話したから」
「話したって、なにを?」
じゅったんが無遠慮に訊くけれど、奈織は「秘密」とだけ言った。
奈織は帽子を目深に被り、きっちりと化粧をして、愛用の、花束みたいな香水の香りをさせている。すっかり都会仕様で、博多港から福岡空港への移動中でも、羽田空港からモノレールに乗って山手線に乗り換えても、すれちがうひとたちは誰も、この少女が人口千人ちょっとの田舎町出身だとは到底考えられないだろう。
島と九州本土をつなぐ船はいくつかの種類がある。長崎港や佐世保港行きのフェリーよりも、五島列島を最南端から順番に巡り、合計七時間かけて博多港までつなぐフェリーはひとまわりもふたまわりも大きい。
野太い汽笛の音とともに、奈織の乗るフェリーが青花港に入ってくる。凪いだ内海を大きな身体で割り開き進んでくる。接岸すると、おじいさんがひとりだけ下船していった。入れ替わりに、縹島からの乗客の列がタラップの階段を上がっていく、その列の最後に奈織が続いていった。
フェリーの内側に吸い込まれていった奈織は、けれどすぐに、甲板にすがたをあらわした。埠頭のコンクリートの上に立つ私たちを、二階建ての港ターミナルの屋上ほどに高い場所から見下ろして、手を振る。
「なーにゃん、元気でなー!」
じゅったんが叫ぶ。
奈織は照れ臭そうに笑いながら、両手で口もとにメガホンを作って、叫び返す。
「純ちゃんと、優雨も——」
けれど、彼女の声は出港を知らせる汽笛にかき消されてしまった。訊き返す間もなく、フェリーは離れていく。通る軌跡に飛行機雲みたいな白波を残しながら。
私とじゅったんは走った。離れていく船体を追いかけて、埠頭の端まで全力で走った。
あっというまに防波堤の横をすり抜け、大海原に出て、小さくなっていくフェリーの甲板で、ずっと、奈織が手を振っていた。
だから私とじゅったんも、船影が完全に海の先に溶けて消えてしまうまで、ずっと、手を振り続けた。




