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カレンダーをまた一枚破って、12月がやってくる。
新しい季節の予感はたいてい心躍るものだけれど、次に季節が変わったら、この島とも、生まれた頃からほとんど一緒に生きてきた同級生たちともお別れなのだと考えると、寒さが増すたびに寂しさが募っていく。
なので、新しいマフラーに気分を上げてもらことにする。じゅったんと長崎市内に遊びに行ったときに一目惚れして買ったマフラーは、淡くくすんだピンク色で、たっぷりとした毛糸の触り心地がとても良い。首にぐるぐる巻くと、鼻から下がほぼ埋もれてしまう。
登校したら、顔を合わせて早々に気づいたじゅったんが、「あのときのマフラー? かわいい」と屈託なく褒めてくれる。なーさんは「窒息しそうなボリューム感」と素直な感想を口走って、じゅったんに頭を叩かれていた。
私となーさんの冷戦状態に一番気を揉んでいたじゅったんは、喧嘩の理由や仲直りのきっかけを深掘りすることはなく、とりあえず透明な壁が取り払われて良かったと胸を撫で下ろしていた。立場的につらい数週間を過ごさせてしまったので、ちゃんと謝っておいた。
「年が明けたらすぐに共通テストがあって、その後入試本番とか、やばくね?」
「入試が終わったらすぐ卒業だな」
男子ふたりの会話をBGMに、私はスマホを眺める。
夏以降に撮った写真、動画がカメラロールを埋め尽くし、数スクロール分溜まっている。高校の敷地内の、いろいろな時間のいろいろな場所。たとえば朝の体育館。放課後の音楽室。夕暮れの中庭。
あるいは、セミナーハウスに残された段ボールに詰め込まれたがらくた。新聞部の棚に並んだファイル。誰かが残していった遺物たち。
あるいは、三人だけの教室で過ごす昼休みの一場面。おにぎりを頬張るじゅったんと、缶コーヒーを飲むなーさん。単語帳と睨めっこするじゅったん。机に突っ伏して寝ているなーさん。陸上部のジャージを着て走っているふたり。
そんなものたちのあいだに時おり、青空を走る飛行機雲の写真がある。
「だいぶ溜まってんなあ」
いつのまにかじゅったんの顔が私の顔のすぐそばにあった。
「うん。とりあえずたくさん撮ってるけど、どうしようか」
「なんかそれっぽく編集してまとめたい」
「それっぽく? できる?」
「俺は無理。センスもスキルもないし」
じゅったんの言葉に、なーさんも首肯する。
「なーさん、やってみたらできそうじゃん」
「受験でそんな暇ねえよ」
「そりゃそうか」
ということは、私がなんとかするしかないわけだ。薄々そんな気はしていた。画面を上下にスクロールさせながら、どうしたものかと考える。
高齢化率六割超えの縹島において、写真や動画の編集スキルを持つ人材は希少だ。唯一思い当たる相手を放課後に尋ねた。煉瓦造りの市役所出張所、三階端の部屋。縹島観光協会の表札。
ここを訪れるのは10月以来だ。室内には久家さんと、りっきーがいる。ふたりしかいない。前に来たときもふたりだけだったし、どうやら観光協会の構成員はふたりだけらしい。
相変わらず、30年間時が止まっているみたいな古めかしいオフィスを背景にして、スタイリッシュなノートパソコンと向かい合っているりっきーが無性に面白くて、思わず笑ってしまった。背景を都会のカフェに切り替えられたら、いかにも仕事できそうなノマドワーカーになるのに。
「ひとのすがた見て笑うのは酷くない?」
「ごめんなさい、つい。ところで、なにしてるんですか?」
デスクトップ画面を覗き込むと、動画が再生される。どこかの町の名前が中央に浮かび上がり、消えたと同時に、色鮮やかな観光地の映像が次々に映し出されていく。綺麗な音楽に合わせて、季節ごとの花が咲く庭園、緑豊かなサイクリングロード、山あいの天然温泉、陶芸体験……二分ほどの短い映像の中で、ふたりの女性とともに、その町の観光地を巡る。観光プロモーション動画だ。
「すごいですね。短いのに、ちょっと、ここへ行ってきた気分になりました。いい町ですね。それに、いい動画」
「でしょ? こういうのを作ろうかと思ってさ。縹島バージョン」
「へえ! できあがったら見せてくださいね」
「ていうか、優雨ちゃん、ちょっと手伝ってくれない?」
そういうわけで、りっきーに卒業制作を手伝ってもらう交換条件として、私は島の観光プロモーション動画制作に協力することになった。
晴れた土曜日の午前、指定された待ち合わせ場所である港ターミナルへ行くと、すでにりっきーと、なぜか奈織のすがたもあった。
「優雨ちゃんありがとね。こちら、今回PVに出てくれる女優さん。出演してくれないかって、必死に口説き落としてきた」
冗談めかしたりっきーの言葉に、奈織も乗っかって女優スマイルを振りまいてみせる。
「でも、なっちゃん。演技するのは、いいの?」
以前聞いた話が頭をよぎる。高校卒業後、進学するかどうかに悩み、結局芸能活動すら休止してしまったこと。将来の選択から逃げて、島に帰ってきたこと。
「うん、暇だし。それに、純ちゃんのお兄さんに真剣な顔で頭下げられちゃったら断れないよ」
「まじで奈織ちゃんナイスタイミングで帰ってきてくれてありがとうだわ。奈織ちゃんいなかったら、優雨ちゃんに全身全霊で出演交渉するとこだった」
「え? なに積まれても絶対出ませんよ私」
「言われると思った」
「じゅったんに頼めばいいじゃないですか」
「あのアホ面には無理。こういうPVはどうしても若い女の子のほうが見映えがするんだよねえ」
ただ観光地を順番につなぎ合わせただけの映像はつまらないと、りっきーは思い描く動画のストーリーを簡単な絵コンテにまとめてきたというので、奈織と一緒に確認する。
奈織演じる女の子が、ひとりで島の観光地を巡りながら、遠く離れた誰かに想いを馳せる、という内容である。
「誰かって、誰ですか?」
奈織に訊かれ、りっきーが微笑んだ。
「奈織ちゃんに任せるよ。友人でも、恋人でも。恋しく思うひとを心に浮かべてくれれば」
三人編成の小さな撮影隊で、島の観光地を巡る。はじめは、船が停泊する埠頭。門扉のように構えた防波堤の先、濃く深い海と、冴えた冬の空の境目をまっすぐに見詰める、女の子。
彼女は、喫茶店の近くの白い砂浜、波打ち際を歩く。海沿いに佇む静かな協会でひとり、ステンドグラスからこぼれる光を見上げる。丘陵地の展望台へ続く階段を一歩一歩踏み締める。島の北部に広がる草原(初夏ならば一面が梅雨草に覆われる。梅雨草の薄青色は縹色と呼ばれる、つまり島名の由来になった場所だ)で、風を全身に浴びながら目を閉じる。恋うように。祈るように。
基本的にはカメラと奈織のやり取りで進んでいく。私はアシスタントという名目を与えられたものの、ほとんど見守っているだけである。
りっきーが使っているビデオカメラは、ハコフグみたいなかたちをした家庭用のごく一般的なものではなく、プロ仕様の本格派だ。数十万円の代物だが、ボーナスで買った私物らしい。4K映像も撮影可能だというそれには、レンズの上に棒状のマイクもついている。でも、りっきーの構想では、動画内に台詞らしい台詞はない。
カメラのレンズに向き合う奈織を、少し離れたところから見守る。台詞もない短いシーン。でも、カメラの前での奈織は、普段の奈織とどこかちがう。カチンコ代わりのりっきーの合図のたび、奈織の背筋に隠されたスイッチがぱちんと跳ね上がる音が聞こえる気がする。
奈織はもちろんカメラ慣れしているけれど、りっきーもなかなか、堂に入っている。どうやら大学時代に映画サークルに所属し、実際に映画を作っていた経験があるらしい。
「大学ってどこ行ってたんですか?」
りっきーから返ってきた名前は、中国地方にある国立大学で、学力帯的にも位置的にも、島出身者の進学先としてあまり選択肢に入らない学校だったので、どうして選んだのか、さらに訊いてみる。
「地方創生について勉強したくてさ。その大学には専門の学部があったんだ。だから選んだ。あんまり迷わなかったかな」
途中休憩を数回挟みつつ、順調に撮影は進み、日暮れ前にすべてのシーンを撮り終えた。
りっきーに手を振って別れ、奈織とふたりで帰り道を歩く。
「どうだった? なっちゃん」
盗み見た奈織の横顔が橙色の夕陽に染められていた。大きな瞳が暮れ方の空の複雑な色をしたグラデーションを閉じ込めて、どうしようもなく綺麗で、ひそかに見惚れた。吐く息が白く色づいているけれど、奈織はとてもさっぱりした顔をしている。まるで、真夏に清涼飲料水を飲んだ後みたいに。
「たのしかったよ。でも優雨はほとんど見てるだけで、つまんなかったんじゃない?」
「ううん。私も、たのしかった。女優やってるなっちゃんを近くで見れたし」
「演技って言うほど演技してないけどね」
冬の日の入りは驚くほど早い。話しながらだらだらと歩いているあいだにも日は落ちて、夕暮れ色に夜闇が滲んでいく。橙色が群青色に呑み込まれていくさまは、幼い頃から飽きるほど観ているはずなのに、いつ見ても胸が震える。
「綺麗だね」
と奈織が呟いた。
群青に染まった北の空に、一番星が瞬いている。
「……なっちゃん。すごく自分勝手なこと、言ってもいい?」
「なあに」
「私、なっちゃんの演技、もっと見ていたいなと思ったよ。やっぱりなっちゃんには、一番光る星であってほしい。だって、それがいちばん、似合ってるから」
躊躇いながらも、そう言うと。奈織は、どこか泣きそうな顔で笑った。




