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きみと青が散乱する  作者: 春名七虹
11月
27/37

 高校の敷地の隅に植わっている桜の木が花をつけていることを知ったのは、11月の終わりのこと。


 島全体に自生している山桜、校門のそばに植えられたソメイヨシノではなく、春と秋の終わりに咲く冬桜。木の下に石碑がある。白い御影石に小さな文字で彫られているのは、この高校の愛誦歌である。


 今から四十年以上前、当時の人気シンガーソングライターが縁あって作詞作曲し、生徒たちにプレゼントした曲だということは知っている。無名の県立高校、唯一の輝かしい歴史だ。


 けれど、今となってはもう歌われることはない。フルコーラスで歌うことは私を含めた現在校生の三人には無理だろう。


 ほとんど忘れ去られた歌が刻まれた石碑は墓石のように見えた。薄紅色の花びらがはらはらと落ちる。スマホを起動させ、桜の木と石碑を写真におさめる。


 もしかしたら残っているかもと思い音楽準備室の戸棚を漁ってみると、やはりあった。古くなり黄ばんだ紙を広げる。愛誦歌の楽譜。埃の匂いと、古い紙独特の腐り落ちる直前のような、ほのかな甘い匂いがする。


 楽譜をグランドピアノの譜面台に置き、鍵盤に指をおろす。


 譜面の指示通りに両手を動かしていくと、生まれるのは、昔のヒット曲を振り返る音楽番組で耳にするような、ノスタルジックなバラードだ。


 歌詞は、島を出て行く初恋の人への気持ちを綴っている。夢を叶えるために故郷を離れることを決めた相手を応援する歌。恋しさを胸のうちに隠しながら、笑ってさよならを言う歌。


〈きみの帰る場所はずっとここにあるから〉


 黄ばんだ譜面の歌詞をなぞりながら、嘘じゃん、と思った。


 驚くほどの速さで少子高齢化が進んでいく島は、島を捨てて出ていった者たちの帰りをずっと待っていてなんかくれない。わずかな観光資源を必死に盛り立てようとする、いろいろな策を講じて人を呼び込もうとする、その何倍ものスピードで、人がいなくなっていく島。


 枯れて、うち棄てられ、死に近づいていく島が、いつまで、去っていく私たちの帰りを待っていてくれるというのだろう。


 帰る場所であり続けてくれるのだろう。誰か、知っているなら教えてほしい。


 一曲まるごと弾き終え、ひと息吐いたところで、視線を感じて入口扉のほうへ顔を向けると、扉に寄りかかって、なーさんが立っていた。


「……いつから見てたの?」


 話しかけるのは何日振りだろう。何も気にしていないような表情を取り繕ったくせに、声が上擦ってしまう、自分が滑稽で心の中で失笑した。


「最初から」


 彼はまっすぐこちらへ歩み寄ってくる。何も言わずに、私が座っているピアノ椅子に自分の尻を押し込んでくるので、身体の片側どうしがぶつかってしまう。腕と腕、腰と腰が密着して、触れた部分があたたかくて、心臓がとくんと跳ねる。


「優雨、もうちょい詰めて。座れない」

「座ろうとしないでほしい」

「ピアノ、久しぶりに聴いた」

「そうだっけ」

「昔より上手くなったよな」

「練習してないから全然だよ」

「なんか弾いて」

「何を?」

「何でもいい。聴きたい」


 低い声が甘えるみたいに囁いた。


 触れた側の肩に重みがかかる。見て確認しなくとも、彼の頭が乗せられたのだとわかった。


 頬に髪が触れるたび、呼吸の音がきこえるたび、胸の奥が締め付けられ、鼓動が耳の内側で大きくなる。ちぎれそうなくらい、苦しい。


 意味のないことを、しないでほしい。意味がないとわかっているのに、そのひとつひとつに心を揺らされる、私の身にもなってほしい。


 私の気持ちなんて、きっと昔から知ってるくせに。


 何か言ったら零れてしまいそうで、固く唇を弾き結んだ。


 ふたたび鍵盤に指先を這わせる。何でもいいなら、本当に何でもいいや。ちょっと投げやりな気持ちで、指の動くままに音を奏でる。


 小学生の頃によく練習していた、バッハの「メヌエット ト長調」。軽快な音の連なりが、くっついたままの私たちの周囲にやさしく広がっていく。


 なーさんは何も言わず、私の指先を見つめている。


 勝手にはじめた喧嘩を、「ごめん」も「いいよ」もなしに、勝手に終わらせないでよ。


 訊きたかったことも言いたかったことも有耶無耶にされて、ただ、やさしい時間だけがここにある。




 

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