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「なっちゃんは、どうして、帰ってきたの?」
零れ落ちた問いは、ほとんど無意識だった。恋愛話がはじまると興奮気味の奈織の表情が一瞬、固まる。
そして静かに話しはじめた。
「何やってるんだろうって、わかんなくなっちゃった。突然」
「どういうこと?」
「仕事は楽しいし、自分には向いてると思ってた。もっとモデルとして成長したいとか、演技上手くなりたいとか、映画に出たいとか、そんな気持ちも、少なからずはある。私、お姉ちゃんも高卒で就職したし、自分もこのまま高校卒業したら進学せずに仕事を続けるんだろうなって思ってたの」
「うん」
「でも、高校の先生とか、事務所の人とかに、大学進学を勧められた。安定しない仕事だから、今はうまくいってるとしても、この状態がいつまで続くかわからない。大学に通いながら仕事しているひとなんかたくさんいるんだし、学歴くらいは得ておいても損はないって。仕事が立ち行かなくなったときの、将来の保険として。それで、まあたしかに大学くらい出ておいたほうがいいのかなって、演技について学べるところなら興味あるし。でも、高校に通いながら、仕事もしながら、学力テストに向けて勉強するとなると、絶対的に時間が足りなくて、だから睡眠時間削る覚悟で勉強しなきゃいけない。そこまで頑張れる自信がなかったから、面接だけの総合型選抜を受けようかって。それで、エントリーシートを出すんだけど、A 4の用紙二枚分に、将来のこととか、高校で頑張ったこととか、志望理由とか、書かなきゃいけないの。全部で2000字くらい」
「それは、大変だね」
「私、将来は漠然と、このまま芸能活動続けて、仕事がなくなったらそのときは縹島に帰るんだろうなって思ってた。今年に入ってから、仕事が増えて忙しくなって、けっこう嬉しくて得意になってて、でも仕事がなくなったらそれはそれで、しょうがない、自分に運と実力がなかっただけだって、たぶん、ちょっと落ち込んで終わり。正直、なんとなく辞めずにずるずる続けてきただけだから。きっと、進学を進めれくれたひとたちみんな、私が仕事に対して強い熱意を持っているわけじゃないってわかってたんだろうね。それで、将来、自分がどうなりたいのか、そのために自分は何を頑張りたいのか、頑張れるのかを書こうとしたの。そしたら、手がとまった。本当にこのまま進んでいっていいのかなって気持ちがよぎって、シャーペンを動かせなくなった」
私は何と返したらいいのかわからなかった。どんな言葉も薄っぺらくなってしまう気がして、喉もとで渦巻いているけれど掴めない言葉たちを、ぬるいコーヒーで流し込む。
「それで、エントリーシートは全然完成しなくて、出願に間に合わなかったんだ。周りの大人にはめちゃくちゃ叱られたし、呆れられた。準備不足だ、怠惰なだけだ、って。他の大学ならまだ出願できるから、ちゃんと探して受験しようって、九月末に学校の進路面談で言われたんだけど」
「けど?」
「逃げてきちゃった。そして今に至る、って感じ。です」
と、無理矢理に頬を持ち上げて、戯けて笑う。
「でも、こっちに帰ってきたら帰ってきたで、焦る。お父さんとお母さんは、気持ちの整理がつくまでそのままでいたら良いって言ってくれるけど、内心すごく困ってるのがわかる。このままだと、下手すると進学どころか高校すら卒業できるか怪しいし。優雨も、朝陽も、純ちゃんも、進路ばっちり決めて真っ直ぐ進んでるし。東京でもここでも、とまってるの、私だけだ」
「……そんな」
だって奈織は、同級生の中だと一番先に、自分の進む道を決めて、実際に歩いていたのだ。中学を卒業して島を離れるなんて選択肢、奈織以外の誰にもなかった。東京の高校に通いながら、ひと足先に社会に出て働く、奈織の背中は私からは見えないほど先を歩いているものだと思っていた。
「まあ、高校は最低限卒業したいけど。私立で、芸能活動している子も結構いる学校だから、出席日数とか結構ゆるいんだよね。忙しい子は課題出していれば出席日数足りなくても大目に見てくれるんだけど。私の場合は芸能活動はお休みしちゃったうえで学校も休み続けてるからなあ。それに、大学受験ももう受けられるところあんまりなさそうだから、卒業したあと、本当にどうしようかな」
一瞬、彼女の瞳が、濡れたように光った。
「……なんか、遠くに光ってた星が目の前に落っこちてきた、みたいな気分」
「ええ? 私、星?」
「うん。私たちのスター」
「スターって」
あははは、と笑い声を上げ、細くて綺麗な指が、目尻に溜まった雫を払う。笑ったから涙が出たのか、それともちがう理由なのかは、わからない。
奈織の未来を想像する。高校を卒業して、東京の大学に通っている奈織。あるいは、今までよりももっと、雑誌やテレビで活躍する奈織。
私にとっては、私自身の高校卒業後のすがたよりも容易く浮かぶイメージなのに、当の奈織本人には見えないでいることがどうにもふしぎだ。
逆も同じなのかもしれない。他人のことであればいくらでも無責任に想像できるけれど、自分のことは適当には扱えない。
尋ねておきながら、私は奈織へ返す言葉を持たなかった。気の利く助言や、心が軽くなるような呪文は私の語彙力では紡げなくて、でも奈織自身は吐き出しただけですっきりした顔をしていたので、ただの勢い任せだったけれど、訊いてみてよかったのだと思う。
ケーキとコーヒーのセットを味わったら、喫茶店の窓から見える砂浜をふたりで歩いた。
秋と冬のあわいの風が私たちの横を通り過ぎていく。冬物のコートを羽織るほどではないけれど、制服のジャケットの下にセーターを着込まないと心細い気温だ。打ち寄せる波とともに浜辺に吹き込む海風はさらに冷たい。
閑散期の海水浴場は、流れ着いた流木や、色褪せたごみが散乱している。本来はどんなに美しい場所であったとしても、定期的に、正しく手入れをしないと、その美しさを保つことはできない。
浜辺に散らばっているものの中で、淡い青や緑のシーグラスだけが綺麗だった。白い砂に紛れて点々と落ちている、そのひとつを拾い上げた。この浜に流れ着くまでに、角を削がれ、研磨され、丸くざらついた曇り硝子になっている。指で摘んだ水色のかけらは、日差しに透かしても光ってみせることはない。
「今が無限に続けばいいのに、って、思う」
呟いたら、奈織が静かに頷いた。




