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きみと青が散乱する  作者: 春名七虹
11月
24/37


 金曜日の午後にようやく船の運航が再開され、島外に締め出されていた先生たちが帰ってきた。荒れ続けていた海が嘘みたいに鎮まり、見慣れた凪に戻る。


 翌週からは何事もなかったかのように、通常通りの時間割が繰り返し再生されていく。ただ、一週間の遅れを取り戻そうとペースアップして進む授業と、容赦なくたっぷり出される課題に、すぐにじゅったんが音を上げた。


 だから、いつだったかも言っていた「受験生には息抜きが必要」という台詞を盾に、日曜日に遊びに出かけないかと誘われたのは想定内ではあった。


 待ち合わせは朝六時三十分、青花港ターミナル。約束の五分前に、あくびを噛み殺しながらじゅったんがあらわれる。


「おはよ。優雨、はやいな」

「おはよう。切符、先に買っといたよ」

「サンキュー」


 手にした二枚の切符のうち、一枚を渡す。青花港から長崎港行き、高速艇の片道乗船券である。島で思いっきり遊ぼうとしても、サイクリングをするか、洞窟を探検するか、あるいは家にこもってゲームをするくらいしか選択肢がないので、いっそ島の外で遊ぼうか、という話になったのだ。


 「長崎に行きたい」というじゅったんの希望を聞いた瞬間、受験生が大事な休日の丸一日を遊びに費やして大丈夫なのか、とでも言いたげな目を無意識のうちにしてしまったのだろう、じゅったんが慌てて、12月に入れば一気に受験シーズンに突入し、遊びどころではなくなってしまうこと、直近の模試結果が上々だったことを言い連ね、最後には大袈裟なほど頭を下げられた。


 なーさんも誘うのかと訊いたら、「本気で怒られそうだから無理」とのこと。それはもっともだ。


 しかし千人ちょっとしか住人のいない小さな島で隠し事なんて土台無理な話なので、内緒にしたところで遅かれ早かればれて、叱られるか呆れられるかのどちらかだろう。


 乗船案内がはじまるまでの短い時間、ターミナルの青いベンチに並んで座る。


「その服、似合ってる。かわいい」


 さらりを言われ、戸惑う。今日の私は、おろしたてのジャンパースカートにビッグシルエットのデニムジャケットを合わせている。カジュアルではあるけれど、いつもの休日よりも断然気合の入った格好をしている自覚はある。片田舎出身者が都市部に繰り出す際の武装みたいなものだ。軽く化粧もしているけれど、なにぶん不慣れなので、一日ちゃんと睫毛がカールを保ってくれるか心配だ。


「ありがと。じゅったんはそういうことさらっと言えてすごいね」

「素直さが俺の長所だから。優雨も俺のこと素直に褒めていいよ?」

「あー、うん。今日のじゅったん、格好いいよ」


 その一言だけで、激しく尻尾を振って喜ぶ犬みたいに嬉しそうな顔をされるから、胸のあたりがむず痒くなる。


「てか、香水とかつけてる? なんかいつもとちがう匂いする。いや、これセクハラか。いつも匂い嗅いでるストーカーかよ」

「大丈夫、ストーカーだとは微塵も思ってないから。私も、『これはじゅったんの匂いだ』とか、わかることあるし。今日はなっちゃんにもらったヘアミストつけてきたんだ。もったいなくてなかなか使えなくて、今日はじめて使ってみた」

「ほお」

「良い匂いだし、髪の毛つるんつるんよ」

「ミストって水だろ? 水でつるんつるんになんの?」


 鎖骨の下に垂れる髪をひとつかみ、持ち上げてみせる。じゅったんはそこに躊躇いなく顔を寄せた。鼻先が髪にぶつかってしまいそうだ。


「自分でセクハラとか言いながら、嗅ぐ?」

「でもまじでいい匂いする。これ、花の匂い? いい女の匂いだわ」

「ほんと? 私、いい女?」

「いい女っつーか、清純派アイドル? っぽい匂い。俺この匂いに埋もれて死んでもいい」

「そこまで?」


 そうやって意味のないやりとりを繰り返していると、思わぬふたりに出会してしまった。


 なーさんと、奈織だ。


 奈織はもちろんモデルだし、なーさんは美容師の兄の影響か、髪型や洋服に気を遣うのが好きなほうなので、ふたりとも、私とちがって普段からおしゃれだ。


 だから、島を出るからと言ってよそ行きの特別なおしゃれ感はないけれど、奈織はキャスケットを目深に被っているので、お忍び感はすごくある。ネット記事でたまに見る、画質の悪い、芸能人のお忍びデート写真のような。


「あれ、なーにゃんとなーさん。そっちもデート?」


 じゅったんが尋ねる。


「私たち、デートなの?」


 思わずじゅったんに訊く。


「デート?」


 奈織がなーさんに訊く。


「そんなんじゃねえよ」


 なーさんは不機嫌そうに眉を顰めた。じゅったんは一言でなーさんの機嫌を斜めにしてしまったらしい。


「行くぞ」


 奈織の腕を掴み、私たちから離れていく。


 切符売り場に並ぶふたりの後ろ姿を見つめながら、「デート?」とふたたびじゅったんに尋ねた。


 朝七時に青花港を出発した高速艇は、穏やかな海上を飛ぶように走る。島の群れから離れ、ひらけた海原を進み一時間半。ハサミで切り込みを入れたように鋭く抉れた内海に入り、女神大橋をくぐって、八時四十分。長崎港に到着する。


 ターミナルビルを一歩出ると、島とはまるでちがう、人工物の集合体としての街が広がっている。埋立地の四角い海岸線に沿って這う車道、ショッピングモール、立体駐車場。斜面を切り開いて作られた街は、三方向を囲む山の中腹まで住宅地が続いている。


 五島の島々と結ぶフェリー数隻と、定期的に寄港する大型のクルーズ船が埠頭に停泊している。息を吸い込むと潮と重油のまじった匂いが肺を満たした。


 私とじゅったん、なーさんと奈織は、高速艇の中でも離れた席に座り、特に会話もないままだった。振り向くと、私たちよりも後に高速艇を降りたふたりが、反対の道に歩いていく後ろすがたが見えた。


「なーさんたち、気になる?」


 首を横に振る。


「そう? 俺は気になるけど。尾行してみる?」

「尾行? 悪趣味だなあ」

「はは。じゃ、俺らは俺らで楽しみますか。とりあえず朝飯どうする?」

「朝マック食べたいな。あまじょっぱいやつ、あれ何て名前だっけ」


 室町時代に当時の大名により開港され、諸外国につながる窓口として発展してきた街は、主要なスポットの多くが海沿いに集中している。港から北に少し歩くと駅に、東へ少し歩くと街一番の繁華街がある。


 ファストフード店で普段よりも遅めの朝食をとった後は、駅のそばのショッピングモールを巡って、映画館で新作のアニメ映画を観たり、ゲームセンターでクレーンゲームに興じたり。


 午後は、ファミレスで昼食、その後はアーケード街をぶらぶらと歩いては店先をひやかして、私は起毛素材のたっぷりとしたマフラーに一目惚れしたので買って、中華街の古びた中国雑貨屋に入った。でも中国雑貨というよりも、いかにも観光地の片隅にある、レトロな玩具やわけのわからない置物、ウケ狙いのおもしろTシャツなんかでごちゃついた店である。


 茶漉しと蓋のついたパンダ柄のマグカップを見ていたら「そのパンダ、優雨に似てる」と言われたので、カップの真ん中に描かれた、笹で遊ぶパンダの顔を真似てみせる。そしてじゅったんには、中国とは何の関係もなさそうなカエルの帽子を被せてあげた。


「あ、意外と似合う」

「マジか。さすが俺。買っちゃうか」


 結局カエルは買わなかったけれど、私はパンダ柄のマグカップを、そしてなぜか、ふたりおそろいでパンダのストラップを買った。両手を挙げて万歳した格好の丸っこいパンダがチャイナ服を着ているストラップ。チャイナ服の色が数種類あって、私は赤、じゅったんは黄色。


 そんなふうに過ごしていたら、すぐに帰りの船の時間が近づいてくる。夕暮れ。濃い橙色の日差しが街全体を覆い、海の水面に反射し、この前見た体育祭のポンポンみたいにぎらぎらと光っている。じゅったんと並んで歩く、アスファルトに長い影がふたつ伸びる。


 買ったばかりのパンダのストラップがじゅったんのクロスバッグについている。しっとりした黒いフェイクレザーの小さなバッグはシンプルでおしゃれだ。絶対にじゅったんの趣味ではない気がする、と口に出すと怒られてしまいそうだ。


 じゅったんはファッションには無頓着なほうなので、りっきーのチョイスか、あるいはりっきーのものを借りてきたのかもしれない。おしゃれなバッグにつけられた安物のファンシーなパンダはどこか居心地悪そうに、右へ左へ揺れている。


 私も自分のトートバッグに、色違いのパンダを飾った。


「おそろいとか、本当にデートみたいだね」

「せっかくだし、手でもつないどく?」

「冗談でしょ」

「うん。冗談」


 と、じゅったんは笑うのに、言葉とは反対に、私の手をとった。大きさのちがう手のひら同士が触れ合い、そっと握られる。


「手、小さくてウケる。小学生のときから成長してなくね?」


 私はどう反応するべきかわからずに、曖昧に頷いた。笑った顔のまま、そんな私を見て、彼はあっさりと手を離す。そうやって、冗談は本当に冗談にされてしまった。


「なーさんと奈織はなにやってんだろうな」

「会わないもんだね。船は一緒かな」

「どうだろう。別の便に乗る可能性も」


 もう手はつないでいないのに、ずっとつないでいるみたいに、伸びた影が重なっている。


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