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きみと青が散乱する  作者: 春名七虹
11月
22/37


 果てしなく遠く透き通った空を、倍速再生されているみたいな早さで雲が流れる。


 毎日変わらない航路を飛ぶ飛行機はいつもどおりに白い線を引いていくけれど、風に流されてすぐに消えてしまう。 

 

 海は遠目から見てもわかるくらいに荒れている。凪の日であれば青い絵の具でベタ塗りしたような穏やかな海面が、白く波立ち、高い波がいくつも海岸線にぶつかり砕ける。朝夕のニュース番組の天気予報では、ここ数日間、波浪注意報が発令され続けたままだ。


 私は体育館入口の四段しかない階段の一番上の段に腰掛け、身体ごと外を向いて、空と海をまるごと一緒に眺めていた。晴れているのに風が強いから、そのちぐはぐさにふしぎな気分になる。背後でボールが跳ねる音、体育館シューズが床と擦れる音がする。台風の前触れを思わせるような鋭い風が髪をさらっていこうとするので、手で押さえた。


「優雨っ!」


 じゅったんの叫び声が聞こえ、振り返れば、視界いっぱいに飛び込んでくるのは、声の主ではなく古ぼけたバスケットボール。反射的に上半身全体でボールを避ける、けれど、体育の成績は万年「3」の私の反応速度よりも、球速のほうが圧倒的に上だった。


「ぎゃっ!」


 結局背中でボールを受け止める羽目になり、ずしんと重いボールが背骨を真ん中から変形させる。衝撃が背骨から脳天まで走り、声帯を潰されたカエルよりも酷い声が出た。


「いったぁ……」

「ごめんっ! 大丈夫?! 骨イってない?!」


 走ってきたじゅったんが、私に寄り添ってしゃがみこみ、背中の直撃地点を撫でながら、心配そうに顔を覗き込む。


「骨は生きてる……」

「手が滑った。まじでごめん」


 じゅったんに遅れてなーさんも駆け寄ってくる。


「優雨、平気?」

「平気ではない、痛い」


 顔をしかめたまま答えると、なーさんが「このノーコン」とじゅったんの頭を小突いた。ふたりとも、制服のジャケットを脱いで、長袖のワイシャツを肘下まで雑に捲りあげている。額にはうっすらと汗が滲む。


 時間割がほとんど自習の連続に切り替わってしまい、暇を持て余した男子ふたりがバスケの1on1をはじめたのは、今週の月曜日からだ。


 低気圧のせいで荒れた天気になった先週末が過ぎ、今週はずっと晴れているものの、嵐みたいな強風だけがいっこうに吹きやまない。高波により島と本土をつなぐ船は全便欠航、おかげで週末に島外に出た教師陣が島に戻れないまま、三日目の水曜日を迎えている。


 そもそも十人ほどしか在籍していない職員が、今は三人だけになってしまった。しかも残っているのは養護の百合岡先生と事務の先生、そして教頭先生という顔ぶれなので、時間割は壊滅状態、匙を投げた教頭先生の指示により、ほとんど一日じゅう、自習時間と言う名の自由時間を与えられている。


 いっそ休校にしてしまえばいいのに、と内心思っているのは生徒側だけではないだろうけれど、そういうわけにもいかない事情があるらしい。


 しばらくすると背中の痛みは引いたものの、念のため湿布でももらおうかと保健室に向かった。じゅったんがついてこようとしたけれど断った。


 普段以上に人の気配がしない校舎を縦断し、保健室の扉を開く。大きなメロンパンに齧り付いている百合岡先生がいた。


「お。優雨ちゃんだ」

「先生、おやつですか?」

「いや、昼食。食べ損ねちゃって」

「メロンパンだけ?」

「そう。399キロカロリーだって、菓子パンってカロリーの塊だよね。震えるわ」

「不健康ですよ」


 仮にも養護教諭が、不摂生の見本みたいな食事をしていて大丈夫なのだろうか。


「だってスーパー、食料品って菓子パンくらいしか売ってないんだもん。干からびそうだよ。朝食に納豆食べたかったのに昨日から売り切れてて」

「そっか。船通ってないですもんね」

「優雨ちゃんもスーパー行ってみたら面白いよ。日に日に品物が減っていって、もうすぐ棚がすっからかん。深刻な食糧危機だね」


 我が家は野菜や魚、果物などを母の仕事の同僚やご近所さんからもらうことが多く、一週間や二週間くらいはスーパーに行かなくとも楽に生活できるけれど、地元住民でない、しかも独身の百合岡先生だと、そうはいかないのかもしれない。


「じゃあ、先生の家の冷蔵庫の空っぽですか?」

「いま、梅干しと缶ビールしか入ってない。ところで、どうかした?」


 事情を話すと、先生は食事を中断して、湿布を貼ってくれた。鼻を抜ける独特の匂いに食欲を削がれたのか、その後、食べかけのメロンパンはデスクの引き出しに仕舞われる。明日の昼食に回されるのか、今日の夕食前の間食になるのか、存在を忘れ去られて引き出しの奥で潰されてしまうのかはわからない。


「先生たちって週末はたいてい島を出るじゃないですか。単身赴任とか、独身の先生は特に。でも百合岡先生はちがうんですね」

「出たところで行く場所もないしね」

「百合岡先生の実家ってどこでしたっけ」


 先生の唇が落とすように呟いたのは、同じ長崎県内の、別の島の名前だ。


「家族はもう、島には住んでないけど。長崎市内で暮らしてる。私が大学進学するタイミングで、家族で引っ越したから」


 それでも、先生の実家は、今でも生まれ育った島にあるのだ。その感覚は理解できる気がした。


「家族はいなくても、帰りたく、ならないですか?」

「なるよ。たまに。でも、もう二度と帰らないかもなあ。お墓も、市内に移しちゃったし。行く理由がない」

「お墓?」

「お墓って管理するひとがいないと荒れっぱなしになるでしょ? だから、数年前に先祖代々のお墓も市内に引っ越したの。都市部だとポンとお金払って永代供養って手があるけど、島だとそうはいかないからね……って、なんの話してるんだろ」


 さて、と先生は膝を叩く。


「明日も船は通わなさそうだし、なにか有意義に時間使おうか。男子ふたりも、バスケするか映像講義見るかの二択生活はもう飽きただろうから」




 百合岡先生の言う、有意義な時間は、翌日の朝から視聴覚室で行われた。やはり晴れているのに風が強い。港で働く近所のおじさんは、次に船が運航できるのは週末ではないかと予想していた。


 部屋の照明を落とし、分厚い遮光カーテンを引き、青空から身を隠して闇に紛れると、若干の後ろめたさと、それを大きく上回るわくわく感が胸の内側でふくれあがる。


「高三にもなってこんなことするとは思わなかった」


 なーさんの独り言じみた呟きを、じゅったんが拾って笑う。


「ポップコーンとか欲しいよな、スーパー売ってなさそうだけど。あとコーラも」


 ふたりの顔に、プロジェクターから漏れた光が反射する。壮大なオーケストラに乗せて、暗闇から映画会社のロゴがスクリーンにあらわれると、ふくらんだ期待が最高潮に達した。


 映画本編よりもはじまる直前のほうがわくわくするのはどうしてだろう。


「これ、どんな話なんだっけ?」


 なーさんに尋ねる。


「地球温暖化が進みすぎて逆に氷河期が来る話」

「逆に氷河期? そんなことありうるの? どうして?」

「さあ。あるんじゃね」


 投げやりに答えた彼は、頬杖をつき、眠そうな目をスクリーンに向けている。124分の映画の、どのタイミングで寝落ちしてしまうだろうかと思わず考えた。


 肩の向こうに、私と同じく期待感に溢れたじゅったんの横顔があった。でも映画自体の内容というよりも、学校の視聴覚室で映画を観るという非日常感が良いのだろうと想像できる。


 ちょうど私たちが生まれた頃に公開されたハリウッド発のSFパニック映画は、百合岡先生のチョイスだ。


「他に、直径三キロの巨大竜巻に襲われる話と、大都会で火山が噴火して逃げ惑う話と、巨大彗星が地球衝突する話もあるよ」

「なんで全部、災害パニックものなんですか……」

「自然には叶わないって、今週、身をもって実感した私たちにはちょうどいいかと思ってね」


 という会話をしたのは約五分前のことである。プロジェクターのセッティングを済ませた百合岡先生は早々に職員室へと引っ込んでしまったので、残されているのは生徒三人だけ。


 耳にほとんど残らない英語のセリフを聞き流しながら、簡素な字幕を目で追う。


 突然亀裂が入り崩れていく南極の棚氷。雪景色のニューデリー。巨大な雹に襲われる東京(それは、降る、なんて生やさしい表現では足りない)。竜巻の柱がハリウッドサインを消し飛ばす。巨大竜巻がカリフォルニアの街を一瞬で廃墟に変え、津波がニューヨークの摩天楼を呑み込んで、機能停止する交通、逃げ惑う人々。化け物じみた低気圧。すべてを凍らせる台風の目。


 じゅったんが、しきりに「うわあ、うわあ」と声を出している。


「自然、こわ」

「こわ」


 真似して呟く。なーさんは、「おまえら黙って観られないのか」とでも言いたげな横顔をしていた。観始めて逆に目が覚めたのか、もう眠そうではない。


 映画の内容が気になりつつ、ふたりの横顔を覗き見ていると、こういうことをするのも最後なのだろうかと考えた。


 甘くべたついた感傷がよぎる。


 異常気象ではない、普通の冬がやってきて、雪は滅多に降らないけれどたまに降って、寒さの底が過ぎて暖かくなってきたら、私たちはそれぞれが決めた道へ別れ、進んでいく。今この瞬間が、あんなこともあったねと懐かしく振り返る思い出になる。


 極限状態でもロマンスは生まれるのに、長閑に暮らす私たちには、なにも生まれない、はじまらない。はじまらせようとは、絶対にしない。


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