3
先生の推理によって、おそらく1999年から2004年頃に撮影されたものではないか、というところまで判明したので、あとは私たちのほうで、該当年度の卒業アルバムから、写真に写っている人物たちと実際の生徒の顔写真を照合しようとしている。
およそ20年前の卒業アルバムは埃の匂いが染み付いている。
使い捨てのインスタントカメラには使用期限があるはずだけれど、20年の時を経てもきちんと現像できたことに驚く。
たとえば今、私がスマホで撮った写真を20年後に他の誰かが現像しようとしたら、絶対に無理だろう。まず充電の必要があるが、現在の充電ケーブルの規格が20年後も現役で存在しているはずがない。仮に無事に充電できたとしても、スマホには頑強なロックがかかっている。そもそもスマホ自体が存在しているかも怪しい。
昨年の誕生日に散々ねだって買ってもらった最新型のスマホも、20年経ってしまえば、平成初期を振り返るテレビ映像に出てくるあの、小さな角を思わせるアンテナのついた、リモコンのような玩具じみた携帯電話と同じ立ち位置のレトロチックな遺物になってしまう。
そう考えると、あのインスタントカメラはまるで過去からタイムスリップしてきたみたいだ。
布張りのアルバムを慎重に開く。長い間誰にも見られることなく保管されていたため、ページとページが貼り付いて、無理に剥がそうすれば、ばりっと不穏な音がする。息をとめながら慎重な手つきで、一枚ずつ捲っていく。なので、たった五年分、すぐに終わる作業だろうと侮っていたものの、案外時間がかかってしまっていた。
「じゅったん、さいきん勉強の調子はどう?」
「会話を持て余した親戚のおっさんみたいな振り方やめてくんない? 優雨もなーさんも、なんでそう俺の勉強のことばっかり気にするかねえ」
「だってひとりだけ進路決まらず浪人とか可哀想すぎて」
「このままだと全落ち確定だと思ってるんだな、心配ありがとな」
「タイプ的にぜったい浪人向いてないし」
「それはまじでそう。でもな、」
じゅったんがスマホを取り出して、印籠みたいに画面を見せつけてくる。有機ELディスプレイに表示されているのは、先月受けたマーク模試の結果。
第一志望校の判定はC判定、偏差値の推移を追った折れ線グラフは1年生の頃からずっと低空飛行だったのに、9月の立ち位置を示す点がいきなりジャンプアップして、不自然なくらい上向きに折れ曲がっている。
「おおっ? すごい! めちゃ上がってる! ずっとE判定だったのに!」
「だろー? 俺、やればできる子だから」
「昔からその言葉さんざん聞いてきたけど、本当にやればできる子だったんだ」
「優雨はちょいちょい俺に対して失礼だよな」
「ごめん、自覚はある」
「でも優雨が勉強付き合ってくれたのが良かったと思う。ありがと」
まっすぐに感謝されると、くすぐったい気分になる。
「だから、俺単体でもまあ普通にやればできる子ではあるんだけど、優雨が一緒に勉強してくれたほうが結果出るから、2月の受験までよろしく」
「ああ……そういう話?」
「どうせ暇だろ、専門受かってるんだし。奉仕活動終わったのに、自分からこんなことやってるくらいだし。島だとやることも遊べる場所もないし」
「まあね」
「共通テストも受けるんだろ?」
「うん。なぜか出願させられた」
同級生三人しかいないのに、そのうちのひとりが受験しないとなると、主にじゅったんのモチベーションが下がるからと、先生に頭を下げられた。ほぼ強制である。
学校推薦型や総合型選抜で一般選抜より先に合格を決めていても共通テストだけは受験する生徒は少なからずいるのだから、私が共通テストを受けるのも特にイレギュラーなことではないのだと説き伏せられたが、大学進学内定者と専門学校進学内定者を同じ扱いにしないでほしいものだ。
まったく、じゅったんは手のかかる困ったちゃんにも程がある。そしてなんだかんだ、先生も私もじゅったんには甘い。
「今さらだけど、優雨は大学行く気ないの?」
「専門受かってるのに本当に今さらだね」
「なんか漠然と、優雨も大学進学志望するもんだと思ってた、俺」
話しながら、互いの目線は手もとの卒業アルバムに戻っていく。
約20年前の生徒たちが、私たちが着ているそれとまったく同じ制服を着ている。ひとりひとりの顔が判子みたいに並んだ個人写真の中から、インスタントカメラの写真の面影を持つ人物を探していく。学年で六十人から八十人ほどいるから、軽く骨が折れる。三人だったら瞬殺で終わる作業なのに。三人だけの卒業アルバムはおそらく、哀しくなるくらい薄っぺらいのに。
どれだけ急速に島の少子化が進んできたのかがわかって、喉もとまでぐっと込み上げてくるものを飲み下した。
じゅったんと、「このひとじゃない?」「いや違くない?」と指差しを繰り返しながら、五冊の卒業アルバムすべてに丁寧に目を通す。
「……あ」
見つけた瞬間、自然と声が出た。写真と同じひとがいる。片手にコーラを持ち、反対の手でカメラに向かいピースを作る男子生徒。アルバムの個人写真ではピースをしていないけれど、笑い方はまったく同じだ。
じゅったんに見てもらったら、同じひとだと思う、と返ってくる。彼が写っている卒業アルバムを、最初のページに戻ってもう一度、細部までとり逃さないように見つめながら、インスタントカメラの写真を手もとに照らし合わせていく。
昼休みの教室の喧騒。文化祭の劇。野球部の集合写真。まちがいない。じゅったんとハイタッチを交わした。見つけた。2002年度の卒業生だ。
アルバムの後ろのほうのページに、2002年の出来事がまとめて記してあった。〈日韓サッカーW杯で日本初のベスト16進出〉〈初の日朝首脳会談実現、北朝鮮被害者5人が帰国〉〈ノーベル物理学賞に小柴昌俊氏、化学賞に田中耕一氏〉。
まだ歴史と括ってしまうほど遠くはない、でも私たちが生まれる前だから確実に手の届かない、よく知らない出来事だけが並んだ年表を指先でなぞる。よく知らないことばかりだけれど、写真を介して、今と地続きにあった場所だということが、たしかな事実として胸にすとんと落ちてくる。
個人写真に添えられた名前をひとつひとつ見ていたらじゅったんが知っているひとと同姓同名があるということで、会いに行ったのは別の日の放課後のことだ。午後五時過ぎ。
青花港から歩いてすぐの場所にある、市役所の出張所。平成の市町村合併の以前、縹島がひとつの町として体裁を保っていた頃は町役場だった場所。今は出張所として機能しているが、出張所という簡素な響きには似合わない煉瓦造りの立派な建物は、じゅったんのお祖父さんが町長だった時代に建てられたと聞いたことがある。檜風呂しかり、こだわりの強そうなお祖父さんだから納得のデザインだ。
硝子張りの大きな入口扉を抜け、階段を上がる。目的地は三階にあった。角の部屋に〈縹島観光協会〉と表札が出ている。
室内を覗くと、こじんまりとした空間に、デスクの島がふたつ並んでいる。うちひとつに、パソコンの画面に向かうりっきーがいた。
30年前から時間が止まったままの、機能性や先進性とはまったく無縁のオフィスの中で、パーカーにジョガーパンツを合わせ、最新モデルのノートパソコンのキーボードを軽快に叩くりっきーだけが現代を生きている。きっと都心のスターバックスにいても違和感のないすがただ。パソコンは確実にりっきーの私物だろう。
「陸」
じゅったんに呼ばれ、顔をあげる。
「お。来たか。優雨ちゃんひさしぶり」
「おひさしぶりです。仕事中にごめんなさい」
「もう勤務時間終わってるから構わないよ」
と、作業がひと段落したのかノートパソコンをぱたんと閉じて立ち上がり、反対側の島の住人に声をかけた。
「久家さん」
呼びかけに顔をあげて反応するのは、りっきーとは両極端の、古めかしいオフィスがあまりにも似合う、糊のきいたワイシャツに上下揃いのスーツを合わせた中年男性だ。
その顔に卒業アルバムの面影を探すと、たしかに存在している。瞳のかたち。口角の上がり方。けれど、顔の輪郭の丸さと髪の毛量があまりにもちがう。20年という月日の長さを実感するには十分すぎるほどの変化だ。
「やっべ、まじで本物なのに写真とぜんぜんちがう」
じゅったんが私にだけ聞こえる小声で呟くから脇腹を小突いた。
私は久家さんに、校内に残されていたインスタントカメラのこと、写真を現像してみたこと、写っていた生徒たちが誰かを調べ、久家さんにたどり着いたことを簡潔に話した。りっきーが事前に説明してくれているけれど、私自身の口からも直接伝えたかった。
空いたデスクに、持参した23枚の写真と卒業アルバムを広げる。久家さんは当時のことを思い出そうとするようにそれらをじっくりと眺めながら、のんびりした声を出した。
「へえ。よく見つけたね」
「久家って苗字、珍しいから。もしかしたら同一人物じゃないかって思って」
「なるほど。これは、たしかに僕ですね」
同じ名前の高校生の写真を指差し、久家さんは気恥ずかしげに笑う。
「若いなあ。今より20キロ痩せていた頃だよ。懐かしい。こんなものが残っていたとは」
年相応に傷んだ肌の人差し指が、アナログ写真を一枚一枚、スライドさせていく。卒業アルバムの個人写真と対応させながら、これはこのひと、今はどこに住んでいて何をしている、というようなことを教えてくれる。
文化祭の劇でドレスを着ていた女の子は、高校卒業後、大阪のデパートに勤め、そのまま結婚し今も大阪に住んでいる。中学生の子どもをふたり持つ立派な母親だ。グラウンドを先頭切って走っていた野球部の主将は、長崎市内の大学に進み、今は県庁に勤めている。お盆や正月には必ず縹島に帰ってくる。
コーラを持って笑っている男子生徒は陸上部のエースで、推薦で東京の大学に進学した。陸上漬けの四年間を過ごし、箱根駅伝を目指したものの叶わなかった。でも大学卒業後も実業団で走り続けた。
「すごいですね。そのひと、今はどこでなにをしているんですか?」
「二年前に亡くなったよ。癌だった」
唐突な言葉に、私とじゅったんは声を失くした。
「陸上を長くやっていたから、心臓がとても強くてね。僕は見舞いには一度も行けなかったんだけど、抗癌剤で身体じゅうがぼろぼろになっても、心臓だけは最後まで頑張って粘っていたと聞いたよ。粘り強い走りが持ち味だった、彼らしい」
20年も経てば、別人かと疑うほど容姿が様変わりしていたり、少女が母親になったり、元気だったひとが病を患って、いなくなってしまったり、することも、ある。それは残酷なことではなくて、ただの事実だ。
使い捨てのインスタントカメラで撮った27枚の写真は、2002年の生徒たちを移した23枚も、現在の私や先生、じゅったん、なーさんを移した4枚も、特に変わらない風合いをしている。
でも、23枚目と24枚目のあいだには、明確な時間の溝、分厚い透明な壁がある。
「お墓って、この島にありますか?」
「あるよ。結婚もしなかったから、島の家族代々の墓に入ってる」
「場所、教えていただけますか」
久家さんが墓の在処を書いてくれたメモを受け取り、静かに握りしめる。




