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放課後はすぐにやってきた。夏休みにアルバイトをした馴染みの、海沿いの喫茶店で奈織と待ち合わせをしていた。放課後の講習を一科目受けなければならないじゅったんとなーさんを置いて、ひと足早く喫茶店へと向かう。
店の硝子扉を開けると、海に面した広い窓際の四人席に、奈織はすでにいた。ホットドリンクの白いカップをテーブルの隅に置いて、文庫本を読んでいる。
店の宣材写真になりそうなほど、さまになっている。何をしていても絵になる、画面が華やかになる、見惚れてしまう、だからこそ人気モデルであり女優なのだと、今さらのように実感した。
奈織が出ている雑誌やテレビはできるだけ欠かさず目を通してきたけれど、画面の向こうにいる彼女よりも、こうして近くに実在する彼女のほうが、芸能人なのだと強く感じさせる。
中学生の頃は、芸能人である前に幼馴染だったのに。三年も離れてしまったからなのか、今はその感覚が逆転してしまった。
「優雨」
奈織が私を手招きをする。
「お待たせ、なっちゃん。もしかして結構待った?」
閉じた文庫本の脇にあるカップに目を遣れば、中身はほとんど残っていなかった。
「ううん。一日やることなさすぎて、昼過ぎからずっとここにいたの。居心地よくて」
「そっか。良い店だよね」
「うん。これは通っちゃうなあ。コーヒー美味しいし。入り浸っちゃいそう」
「なっちゃん御用達なら、マスターも大歓迎じゃない?」
ね、と店主のおじさんのほうを振り向く。おじさんは笑いながら力強く頷いた。奈織の可愛さに融かされたみたいに、いつもよりも目尻が下がっている。私はカフェラテを、奈織はコーヒーのおかわりをそれぞれ注文した。
「そうだ、優雨におみやげがあるの」
「おみやげ? なになに?」
白い紙袋から小さな箱を取り出し、私の手のひらに置いた。開けてみると、ころんとした丸いフォルムの瓶に、疎い私でも知っている有名なブランドのロゴが入っている。
「かわいいー! え、なに? 香水?」
「ヘアミスト。私のお気に入りの香水と同じ香りのシリーズなの。よかったら使って?」
「あ、もしかして今もつけてる? 香水。港で会ったときと同じ香りがする。良い匂い」
花束みたいな香りがあわく鼻先まで届いてくる。
奈織には似合うけれど、私にはハイブランドの品物も、洗練された女性みたいな香りも、子どもが必死に背伸びしたおままごとみたいで滑稽じゃないか。と、冷めた顔をしている自分が心の片隅にいるものの、似合わないとしてもそれは抗いがたく魅力的ではあって、ありがたく受け取った。
「でも、気遣わなくてよかったのに」
「いいのいいの。優雨はドラマの感想くれたりして、本当に嬉しかったから」
「私以外とは連絡とったりしてた?」
「純ちゃんとはときどき。朝陽とはぜんぜん」
「だろうね」
「自習時間に三人で私の出てるドラマをプロジェクター使って見て、先生にばれて怒られたんだよね? 優雨にはじめて聞いたとき、すごい笑っちゃったなあ」
思い出してまた、くすくす笑う。
「楽しそうで羨ましかった。私のその場にいたかった」
「いたら、なっちゃんそもそもドラマ出てないよね」
高校進学を機に離れ離れになってからも、たまに電話で話をしていたけれど、直接会うとふしぎなもので、電話よりもずっと、話したいことがつぎつぎに浮かんでくる。時間の溝を埋めるように話を続けた。
しばらくしてじゅったんとなーさんがやってくる。争うように店に飛び込んでくる、途中から走ってきたのか、ふたりとも息切れしている。奈織を見つけたじゅったんが指差して、なぜかげらげら笑う。
「うわー! まじでいるじゃん! 生なーにゃん! なんでいんの? え、てか整形した? 中学のときよりめっちゃかわいくなってない? 本物?」
「純ちゃん相変わらず失礼すぎるよね、褒め言葉だけ受け取っておくね」
「前に出てたグラビアもばっちり見た、俺たちのマーメイド、あれ最高だよな」
「マーメイドは私も意味わかんないから忘れて」
「なーさんなんかあのグラビア見て超興奮して大変なことに、」
言い終わる前に、傍らのなーさんによる本気のパンチを腹に喰らったじゅったんが、呻きながら膝からくず折れる。
「優雨はともかく、男子ふたりにグラビア見られるのはちょっと恥ずかしいな。でも、見てくれてたんだね。ありがとう、朝陽」
マーメイドに微笑みを与えられたなーさんは、どこか心地悪そうに、なにか言いたげに唇を歪めたまま、椅子に腰を下ろした。四人掛け四角いテーブルに向かい合う私と奈織、迷わず私の隣に。一拍遅れてじゅったんも席に着く。
「同窓会だ」
奈織が嬉しそうに呟いた。
じゅったんがさらりと聞き出した情報によれば、奈織がいつまで島にいるのかは「しばらく実家にいる予定だけど、いつまでっていうのは決めてないからわかんないな。気分次第」、芸能活動休止については「そんな大袈裟なものじゃないの。ただ、ちょっと疲れたから小休止入れるだけ。やめるわけじゃない」とのことだった。
私となーさんだけだと訊けなかっただろうから、じゅったんがいてくれて良かったと思う。良い意味で、じゅったんは物事を軽くしてしまう。
「奈織が朝陽のこと『朝陽』って呼んでるの見て思ったんだけど、そもそもなんで『なーさん』なん? 優雨が呼んでたから俺も呼んでるけどさ」
じゅったんに尋ねられ、首を捻る。
「なんだっけな」
些細なきっかけだったはずだ。今となっては名付けの由来がまるで思い出せないのがその証拠である。彼が当時好きだったアニメキャラクターの名前から拝借したとか、そんな感じだろう。小学校低学年の頃にはもう、私にとって、朝陽は「なーさん」だった。
普段、彼を本当の下の名前で呼ぶひとは、あまりいない。道ですれ違った親戚のおじさんとか、両親とかくらいだ。先生たちは大抵、苗字呼びだし、地域の大人たちは「水川薬局の末っ子」(なーさんの両親は島で唯一のドラッグストアを営んでいる)で、私とじゅったんは「なーさん」だし。
だから、久しぶりに誰かに呼ばれるのを耳にしたその名前は、なんだか新鮮な響きでもって鼓膜を揺らした。なぜか、私が知るなーさんとはちがうひとみたいな気がした。
でも、そんなことは、今はどうでもいいのだ。私はじゅったんと、図書室で過去の卒業アルバムを開いている。傍らに、セミナーハウスで見つけたインスタントカメラから現像した23枚の写真を広げて。
黒川先生が写真の撮られた年代をある程度絞ってくれたので、じゅったんに手伝ってもらい、校内に残されていた卒業アルバムを引っ張り出してきた。
先生は写っていたコーラのラベルデザインだとかインスタントカメラそのものの型番だとか、その他もろもろの情報から総合的に推理したのだと得意げに語っていて、この高校が廃校になって新たな勤め先が見つからなくとも、いざとなったら探偵に転職してやっていけそうだなと安心した。実際はもちろん他の高校に転任していくだろうけれど。




