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今は三人きりの同級生だけれど、中学生の頃は、四人だった。私、なーさん、じゅったん、そして、なっちゃんこと日高奈織。
芸名は本名である。縹島出身の両親を持ち、縹島で生まれ育った生粋の島民である奈織が芸能活動をはじめたのは中学一年の秋のこと。夏休みの二週間ほど、東京に住む従姉妹の家に滞在した際に遊びに行った渋谷でスカウトされたのだという。
長崎の離島で暮らしながら東京で芸能活動をするのは物理的に困難だ。奈織は躊躇したけれど、せっかくのチャンスだからと乗り気な両親、そして奈織をスカウトした芸能事務所も、島での暮らしと活動を両立できるよう最大限のサポートを約束した。
芸能界に強い憧れがあるわけでもなく、成り上がりたいという気持ちがあるわけでもない奈織は、ちょっと大袈裟な習い事くらいの気持ちで、月に一度か二度、東京へ通い細々と活動した。
ティーン向け雑誌のモデルとして着々とキャリアを積みあげていたが、高校入学を機に東京に引っ越し、芸能活動に本腰を入れないかという事務所からの提案を受け、中学卒業後は島を離れることに決めた。
島から東京に通って仕事をしていた週末は、月曜日の午前五時に青花港に着く博多発のフェリーに乗って六時間かけて帰ってきた。自宅へ戻り、そのまま中学の制服に着替え、登校していた。そんな奈織はたいてい、疲れた顔をしていたけれど、とても元気だった。芸能活動がよほど充実していたのだろう。
奈織は東京在住の他のティーンモデルたちを押しのけ、いつのまにか雑誌上で圧倒的な人気を獲得していた。幼少の頃から見知った幼馴染が、だんだんと手の届かない存在になっていくようで、誇らしさと同時に、中学生の私は少し、とても、さびしくもあった。
十月になり、風が少し冷たくなってくる。夏服をしまって、冬服の制服に袖を通す。制服の衣替えはこれが人生最後なのだと、かすかな感傷が胸の奥でこぽりと泡立つ。
家を出ると、向かいの家の石垣の前に奈織が立っていた。やっほー、と小さな顔の横で手を振る。ショートヘアが揺れる。
「おはよう。なっちゃん、今のめちゃくちゃかわいかった。もう一回やって、写真撮るから」
「ええ? 撮るの?」
「『彼女と待ち合わせなう』ってタグつけて投稿する」
「投稿はやめて?」
「うそうそ。冗談。ところで、どうしたの? こんなとこで」
「なんとなく。早起きしたんだけど、特にやることもないから、散歩がてら、優雨と一緒に登校気分を味わおうかなって」
「私だったら二度寝するけどな」
「うーん。最近、あんまり長く寝られないんだよね。眠りが浅いというか」
「大丈夫? ストレス?」
「あはは。ストレスかも」
冗談にして誤魔化す奈織の乾いた笑い声に、私も「あはは」と返すしかなかった。それ以上は、踏み込めない。
奈織が芸能活動をはじめた中学生のときからもう何年間も、芸能人としての奈織への接し方が、うまく掴めずにいる。東京で暮らし、都会の高校に通いながらの芸能活動。
私にはあまりに遠いところに浮かんだ雲のような、奈織の現実。興味がないと言えば嘘になる。いろんなことをつぶさに訊いてみたい。でも、そういうミーハーな野次馬根性を奈織に対して発揮するのは、躊躇われる。
活動休止に関してもそう、訊いていいのかわからなくて、でも訊きたくて、質問が喉奥に張り付いて気持ちの悪いまま、浅瀬で息をしている。
通学路を並んで歩く。道沿いに薄桃色のコスモスが咲いている。かつては畑だった耕作放棄地に、誰かが植えたのか、それともどこかから種が運ばれてきて自生したのかわからないけれど、伸び切った雑草にまみれて、力強く生きている。
「縹高に入学してたら、毎日、この道をこうやって優雨と歩いてたんだね」
「そうだね」
「自分が縹高に通ってないって、今でも変な気がするんだ。高校卒業して島を離れるまでは、ずっと優雨たちと一緒だって、疑ってなかったから」
「なっちゃんと一緒に高校通えたら、楽しかっただろうな。でも、あっというまに卒業まであと少しだよ」
「優雨、卒業したら専門学校に行きたいんだっけ。何系?」
「一応、エアライン」
「一応って。入試はこれから?」
「先月終わったよ。合格してる」
「うそ、知らなかった! おめでとうー! はやく教えてよー」
面接で自分の名前を言えれば受かるレベルの、あってないような入試だから、わざわざ祝ってもらうのは非常に恥ずかしい。
「どんな試験でも、合格には代わりないよ」
奈織が微笑む。
あ、と思った。訊くなら、いま、このタイミングでは。
「……奈織は、どうするつもりなの」
芸能活動とか。進学とか。島を出てからは、お盆や正月だって一度も帰省しなかったのに、どうして唐突に戻ってきたの。なんのために。奈織の唇が一度開きかけて、閉じる。なにから話すべきか逡巡するように。その口から零れる言葉を、私は待ち構える。けれど。
丁字路に差し掛かったとき、向かい側から歩いてくる人影を見つけた。衣替えしたばかりの冬服。また単語の勉強をしているのかもしれない、歩きながら、目線は俯き加減にスマホへ向かっている。ながらスマホはよくない。
私が声をかけるよりも先に、奈織が呼ぶ。弾む声で。
「朝陽」
顔をあげた彼の瞳に、私は映らない。
「なーにゃん帰ってきてんの? まじで? あのなーにゃんが?」
「奈織な」
教室で、面と向かって一度も呼んだことがないであろう芸能人としての愛称を連呼するじゅったんを、なーさんがたしなめる。
三人で登校し、私たちが校門をくぐるのを見送って、奈織は来た道を引き返していった。本当にただ、通学気分を味わっただけで満足したらしい。
「いつまでいるって? てか、あいつも学校あるんじゃねえの? 東京の高校に通ってなかったっけ? なんで普通に何もない平日に帰省してるわけ? 芸能活動は? なーにゃんのインスタに活動休止のお知らせってのが投稿されてたんだけど、なーさんあれ見た? どうゆうこと?」
「知らねえよ本人に訊け」
「なっちゃん、じゅったんにも会いたがってたから、放課後一緒に会いに行こうよ。喫茶店行く約束してるんだ」
「おおー、行く行くー」
「おまえは勉強しとけ」
「受験生にだってたまには息抜きが必要なんですう」
「そういうのはまじめに勉強してる奴が吐くセリフな」
「どうせなーさんも行くんだろー? 俺行かなかったら、俺だけ仲間外れじゃん」
まあ行くけど、と小声になるなーさんを見ながら、私は曖昧な笑みをつくった。




