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昼休みは三人で反省文を書いた。なーさんの手もとを盗み見て写そうとするじゅったんと、それを阻もうとするなーさんとの小競り合いにぬるい視線を送りながら、ゆで卵の薄皮よりも薄っぺらい反省の言葉で原稿用紙のマス目を埋めていく。感情のこもっていない言葉の羅列。もはやただの手の運動でしかない。
作文が苦手なじゅったんは反省文を昼休み中に完成させることができなくて、放課後も原稿用紙と睨めっこする羽目になっていた。私となーさんは早々に書き上げて提出したので、教室の窓枠に寄りかかって、苦戦するじゅったんを高みの見物中である。
「ゆーうー、たすけてー」
「ちゃんと書かないと枚数追加されちゃうよ」
「それは無理、死ぬ」
「早く書かないと置いて帰るよー、がんばってー」
「ういー」
力ない返事に、「あいつはだめだな」と呟くなーさん。私は小声で尋ねる。
「悪いこと、どうだった?」
「まあまあだった」
「まあまあ、ですかあ」
「悪くなかった」
「そうだね。悪くなかった」
悪いことが、悪くなかった。それはなんだか、とても良いなと思った。
なーさんが学生手帳を鞄から取り出して、校則が列記されたページを開く。生徒心得。服装及び頭髪等に関する規定。その他諸規定。
横から覗き込むと、ところどころ、塗りつぶされた行があることに気づいて指差す。
「これなに?」
「違反した校則、消してる」
「へえ」
黒のボールペンで何度も取り消し線を引かれた箇所をよく見てみると、判別できる文字の並びから、〈登校後、無断外出はしないこと〉という条項だと読み取れた。
「無断外出、したね」
夏がはじまったばかりの7月のことだ。他にも、〈挨拶を励行すること〉〈日々生徒手帳を携行すること〉
〈指導を素直に受け入れ反省すること〉などの文言が粗雑に消されている。なーさんの小さな”悪いこと”の積み重ねがそこにあるのだとわかった。いつも大人びた澄まし顔をしているくせに、ひそかにこつこつと悪行を働いてきたのだすれば、ちょっと可愛くて、おかしい。思わず笑みがこぼれる。
「笑うなよ」
「ごめんごめん。意外と可愛いとこあるなと思って」
むっとした顔をするから、ますます可愛げを感じる。じゅったんが見ていたら、本気の喧嘩に発展するまでからかい倒していただろう。幸いにもじゅったんは相変わらず原稿用紙に向かってうんうんと唸っている。
「どうせなら全部塗りつぶしたいよね」
「全部は無理」
「無理なの?」
「こことか」
なーさんの差した指先を追いかけると、〈不純異性交遊は禁止とする〉との文字。
「……あー。うん?」
我ながら呆れるくらいに微妙な反応になってしまい、なーさんも呆れ顔をした。
「俺とおまえは一生健全なままだから安心しとけ」
数日後、父が退院した。
しばらく療養を兼ねて休暇をとるのだという父が母と連れ添い島に帰ってくる。父が家にいる数少ない日は、夕食に決まって父の好物が並ぶ。久しぶりの家族全員で囲む食卓だ。もちろん父の好物である、たっぷりと味の染み込んだぶり大根と、新鮮なぶりの刺身。冬になれば島でとれる天然のぶりが手に入るのに、わざわざ養殖ものを魚屋で奮発して買ったらしい。父がいる間だけ、我が家に許される贅沢である。
丁寧に煮込まれた大根を箸先で切り分けているとき、思い出したように母が言った。
「水川さんのとこの、暁人くん、今度赤ちゃんが産まれるんだって。結菜ちゃんが妊娠して、今七か月だとか」
暁人、は、なーさんのお兄さんの名前だ。
「おめでたいね。七か月ってどのくらい?」
「もうかなりお腹大きいはずよ。里帰り出産するって聞いたわ。あんた、なにも聞いてないの?」
「きょうだいのことなんかわざわざ話さないよ」
そっけなく返しながら、なーさんはいま何をしているだろうかと考えた。私同様に夕食中か、あるいは勉強しているのか。
兄夫婦が子どもを授かったことを、彼はいつ知らされたのだろう。
暁人さんと結菜さんが結婚したのは二年前のことだ。ふたりとも島の出身で、同級生だった。高校卒業後、結菜さんは福岡で就職し、暁人さんは美容師の専門学校に進み、今は結菜さんと同じく福岡で美容師として働いている。専門学校を卒業してわずか一年ほどで結婚したはずだ。
晩婚化が叫ばれて久しいが、地方に暮らす若者の結婚出産は早い。21歳、わずか三年後に誰かと結婚する未来なんて、私には想像もつかない。
暁人さんたちの学年は何人の同級生がいたのだろうか。りっきーの二つ下の世代だから、聞いた話からすると、二十人もいなかったはずだ。
幼稚園からずっと一緒に過ごし、互いの家族構成も幼少の頃の恥ずかしい失敗も、なにもかも知っている者同士で、きちんと恋愛に発展し、結婚までしたのだという事実に驚くしかない。ふたりは中学生のときには付き合っていたのだと、なーさんに聞いたことがある。中学生、ということは、6学年離れた私たちが小学校低学年のときだ。
夕食後すぐに自室にこもり、なーさんに電話をした。呼び出し音はすぐに途切れ、くぐもった「もしもし」が聞こえてくる。飽きるほどに直接話ができるから、わざわざ電話で話すことは、普段はほとんどない。電話越しの声はどこかいつもとちがう音をもっている。
「何の用?」
「なんとなく。なにしてるかなー、って思って」
「なんにもしてなかった」
「勉強は?」
「受験生に勉強してるかどうかとか訊かないほうがいい、しててもしてなくても苛つかせるだけだから」
「そうなの? 怖いなあ受験生って。切れるナイフじゃん。なんかストレス溜まってる?」
「溜まるだろ。いろんなことに。そっちは?」
「私?」
「ストレスないの?」
「あんまり深く考えずに生きてるからね」
話しながら、窓を開けて夜空を見上げた。台風が過ぎてから快晴が続いている。街明かりの足りない島の空を、手を伸ばせば掴めそうなほどの、満天の星が覆っている。
折り重なり描かれた星座の隙間を、ふたつ連なった赤い光が点滅しながら横切っていった。飛行機だ。流れ星が見えたらいいのに。
「それは、ちがうだろ。考えてないような顔してるだけ」
「そうなのかな」
「そうだろ」
「うん。なーさんが言うなら、そうなのかもしれないね」
私たちは、しなくてもいいような話をした。最近見たテレビのこととか、夕食の献立のこととか、面倒な課題のこととか、明日、学校で話したって、もしくは話さなくたって別にかまわない、たいした意味のないこと話題だけを選びとり、舌のうえで転がした。
秋の夜は長くて、どれだけ話し続けても、果てにはたどり着かない。




