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 校庭の木々が風に揺らされ音を立てている。校庭の先に広がる町並みのさらに先に広がる海にはいくつも白波ができている。窓枠に肘を乗せてぼんやりと外の風景を眺めていると、暗く湿った空が耐えかねたように、ぽつりと雨粒を吐き出した。


「あ、降ってきた」

「優雨、窓閉めて」


 なーさんに言われ、素直に従う。雨はすぐに本降りになり、窓硝子を激しく叩きはじめる。遠くのほうで雷の音が鳴る。


 帰り支度を終わらせたじゅったんがいつの間にか私の横に立っていた。


「台風っぽくなってきたな」

「うん、台風近づいてる感ある」


 今日の深夜から明日の未明にかけて、台風が九州北部に接近する予報だ。放課後講習は中止になり、私たちはすみやかに帰宅するよう指示されている。


「でも雨の中歩いて帰るのやだなあ。制服びちゃびちゃになりそう」

「うち、祖父ちゃんが車で迎えに来る」

「町長が?」

「元町長な」


 歩いたって十五分もかからない距離なのに。じゅったんの家族は過保護である。


「優雨となーさんも送ってってやるから一緒に待っとけって」

「ほんと? やったー」


 両手をあげて喜ぶ私と、「本当にいいの?」と訝しげななーさん。


「いいって。ついでだし」


 からからと笑うじゅったんが、ふと思い出したように私を見た。


「優雨、いま家にひとりだって言ってなかったっけ?」

「そうだよ。お母さんがお父さんのところに行っちゃってるから」


 我が家は私、父、母の三人家族だけれど、船乗りの父は数か月に一度しか島に帰らない。一年のうちの大半を洋上で生きる海の男である。


 そんな父が数日前、仕事中に怪我をして入院してしまったらしく、知らせを聞いた母はすぐに父のもとに飛んでいったまま、しばらくのあいだ戻らない予定だ。台風を心配した母から、帰ったら家の雨戸をしっかり閉めるように、とメッセージがついさきほど送られてきたところだった。


「ひとりで平気?」


 なーさんもこちらを向くので


「ぜんぜん平気でしょー」

「でも親がいないときに何か起こったら」

「そうだよ優雨。今夜は俺んち来たら?」


 という、じゅったんのあまりに軽い誘い文句により、唐突なお泊まりが決定したのだった。


 母の言いつけを守って家じゅうの雨戸を閉め、雨戸がない硝子窓には養生テープを貼り付けた。お泊まりセットを入れたボストンバッグのファスナーを閉じたところで、迎えの車がやってきた。


「送迎付きのお泊まり、贅沢……ありがたい……」

「この雨の中で外歩かせたら危ねーし。泊まりに来させる意味なくなる」


 そりゃあそうだ、と納得しつつも


「じゅったんは優しいね。紳士だ」


 褒めたら、尻尾を振ってる犬みたいに喜んでいたから、思わず笑ってしまう。


 まだ日は暮れていない時間なのに、あたりは太陽が沈んだ後かのように薄暗い。横殴りの雨が降り続けている。風も少しずつ強まっていく一方で、嵐の訪れを着実に感じさせた。速度の遅い台風は、現在は鹿児島県南部に上陸し北上中だと、AMラジオが伝えている。


 花島家に到着すると、元町長のお祖父さんや長男であるりっきー、じゅったんの両親、お馴染みの花島さん家族に混じり、なぜかなーさんのすがたもあった。じゅったんに引っ張られてきたらしい。


「もしかして優雨、俺とふたりきりなこと期待してた? やらしー」


 じゅったんが茶化すので慌てて首を横に振る。


「よしよし、恥ずかしがらなくていいから。今度はふたりでしっぽり過ごそうな。特別に俺の秘蔵のエロコレクション見せたる」

「ええ……?」

「とか言って本当は興味あるんだろ、俺のコレクション」

「ま、まあ」

「素直に頷くなよ」


 なに阿呆な会話してるんだ、とはっきり顔に書いたなーさんに突っ込まれ、阿呆な会話は終了する。


 不謹慎だとわかっているけれど、スーパーで食料を買い溜めたり、学校が臨時休校になったり、雨戸を閉めた家の中に閉じこもり家族全員ひとつの部屋で過ごしたり、停電してロウソクで明かりをとったり、暴風雨が吹き荒ぶ外の世界の気配を感じながらじっと身を縮めたり。そういう非日常感は、なにかしら自分が実害を被らない限りにおいては、少しだけ心を弾ませる。


 夕食は花島家の広々とした居間に合計六人で囲んだ。じゅったんのお母さんの張り切った手料理が上等な座卓に隙間なく敷き詰められ、さながら祝いの席だった。食事のあとはしっかりお風呂にも入った。お祖父さんこだわりの檜風呂。以前、海に落ちた後にシャワーだけ浴びさせてもらったときからひそかに気になっていたので、ゆっくり浸かる機会を得られたのは幸運だった。


「ああ〜、花島旅館最高」


 入浴中にりっきーとじゅったんが敷いてくれた布団に倒れ込み、ふかふかの肌触りを堪能する。至れり尽くせり。本当に旅館だったなら予約サイトに星五つの評価をつけたい。


「引くほどくつろいでて引くわ」


 私の前に入浴済みのなーさんが眉を顰める。濡れたままの髪のせいか、面差しがいつもよりもどこか幼く見える。


「ちゃっかりお泊まりしにきてるなーさんも、人のこと馬鹿にできないからね?」

「こういうこと断ったらあとでうるせえから。あいつ」

「なになに? 俺の話?」


 じゃんけんで負けて順番的に最後のお風呂だったじゅったんが、やっぱりカラスのほうがましなくらいの素早い入浴を終えてやってくる。せっかくの豪勢な檜風呂はじゅったんにとってはただの風呂桶にしかすぎないようで、残念すぎる。


 登場の勢いのまま、なーさんの背中に覆いかぶさるように抱きついた。


「なーさん、俺と同じシャンプーの匂いする。めっちゃいい匂いなんだけど」

「気持ち悪い」


 くっついてくる身体を引き剥がして、私のいる布団のほうに逃げてくるなーさん。私たちがいるのは十二畳ほどの和室で、三組の布団が敷かれている。


「おまえ自分の部屋あんだろ。なんでちゃっかり自分の分までここに布団敷いてんの」

「だってこのほうが楽しいじゃん。てか俺がいないと優雨となーさんふたりきりになっちゃうけど。なに、ふたりきりがいいの? やめろよな人んちで盛るとか」

「盛んねえよ」

「とか言ってなーさん相当ムッツリだからなあ」

「はあ?」


 慣れ親しんだ戯れ合いは、いつしか本気の枕投げに発展していく。三つの枕が右へ左へと忙しなく宙を舞う。私は和室の隅に避難し、勝敗がつくまでその様子を眺めることに徹しようと思う。


 白熱した枕投げは結局、りっきーの一喝により勝敗不明のままお開きとなった。時計の針は午後十時をまわっている。


 締め切った窓の外からびゅうびゅうと強い風の音が鮮明に聞こえる。家のどこかが軋み、天井から吊り下がったぼんぼり風の照明がかすかに揺れている。台風はかなり接近してきているようだ。そのうち停電になるかもしれない。


「明日も学校あるんだから、早く寝なさいね」


 襖からちょこんと顔を出したじゅったんのお母さんに、そろって生返事をかえした。


「寝る?」


 ふたりの顔を窺う。


「ぜんぜん眠くない」

「同じく」


 つい数分前まで全力で枕投げをしていたのだから当然だろう。しばらくは交感神経優位のままだ。じゃあ寝るまで何をしようか、と三組の布団のうえで向かい合う。


「やりたいこととかないの?」


 それは今日二度目の問いだったので、おのずと思い出した。


「なーさんがしたい、悪いことってなに?」


 乾きかけの前髪の下で、瞳がわずかに動揺したように揺れる。


「え? なーさん、悪いことしたいの?」


 とじゅったん。


「言ってたよね」

「なにがしたい? 言ってみ?」


 訊きつつも、なーさんのことだから簡単に教えてはくれないだろうと想像していたけれど、私とじゅったん、ふたりから迫られ、あんがい素直に言葉にして吐き出してくれた。


「……べつに、なんでもいい。小さなことでも。校則破るとか」

「そうなん?」

「派手に悪いことは、さすがにできないし」

「まあそうだね」


 法に触れるような行いは論外だし、そうでなくともちょっとした悪さをしただけでも、小さな島の中では噂がすぐに広まって生きづらくなってしまう。


 些細な校則違反くらいが、たしかになーさんの、私たちの関の山である。


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