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八月下旬に差し掛かると、海水浴客で賑わっていた砂浜に無数のクラゲが押し寄せ、カレンダーよりも先に夏の終わりを告げる。
波が引くように観光客の数は減り、帰省客も各々の生活に戻っていき、あとはもう、いつもどおりの島の風景だ。黄金色に波打っていた稲が綺麗に刈り取られ、切株だけが一定間隔で並んだ田んぼをギンヤンマが飛んでいる。
八月最後の一週間、私はふたたび、同級生ふたりと並んで夏期講習に参加し、夏休みを終えた。高校最後の夏、私はいくらかの小遣いを稼ぎ、じゅったんは海で存分に日焼けし、なーさんは真面目にこつこつ勉強して偏差値をさらに少し上げて終わった。
「夏休み終わって、あとはもう受験までまっしぐらって感じ。つらい」
九月に入って、じゅったんの泣き言は増える一方だ。今も、一日の授業を終えた掃除の時間、箒を持ちながら項垂れている。一日の授業は終わったけれど、放課後講習がまだ一時間分予定されている。じゅったんの苦手な英語だ。
「文化祭とか体育祭とか、なんか楽しい行事でもないとやってらんないんだけど」
「今年は文化祭はやらない年だからね」「体育祭は六月にやったし。小中高合同で」
私となーさんがそれぞれ返した言葉で、じゅったんの頭はさらに下がる。小学校の校長先生が〈実るほど首を垂れる稲穂かな〉という言葉が好きで、よく講話の中で登場したことを思い出す。
残念ながらじゅったんの頭は垂れるほど中身が詰まっていない気がする、と思うのはさすがに失礼だけれど、どうにも勉強に身が入らないじゅったんを鼓舞するために、私は彼に付き合って、しなくてもいい勉強をしている。
最近は共通テストの過去問を一緒に解いていて、回を重ねるごとに私の点数はどんどん上がっているのに、じゅったんは低空飛行のままだ。私は伴走者のつもりなのだけど、じゅったんの走るペースがあまりに遅いから、受験シーズンがはじまる前に置いて行ってしまうかもしれない。
「どうしてじゅったんはそんなに勉強嫌いなのかねえ」
「優雨となーさんこそ、どうして勉強好きなのかわかんねえ」
「別に好きじゃないけど」
温度のない声で返すなーさん。
「まあまあ。じゅったん、頑張ろうよ。共通テストまでだと残り四か月くらいしかないんだよ」
「数か月耐えれば楽しい大学生活が」
「うん。楽しい大学生活のために合格しなきゃ」
楽しい大学生活、を空想してやる気が出たのか、「おっしゃ今日から本気で頑張る」と拳を握るじゅったん。少しでも長く、そのやる気が維持されることをこっそり願った。
「でもさー、まじでこれから卒業まで何にもねーじゃん。ふたりとも、やりたいこととかないの?」
「うーん。なんだろ。なーさん、ある?」
なーさんのほうを向くと、ぽつりと呟いた。
「……悪いこと?」
「悪いこと?」
聞き返したら、ぷいと顔を背けられてしまう。小さな呟きはじゅったんの耳には届かなかったようで、「なーさん、いま何か言ったー?」と尋ねているけれど、なーさんは答えない。
悪いことって、なんだろう。
考えながら、同時に、私が卒業までにやれること、やりたいことを思い描いた。
放課後講習が終わり、帰路を三人並んで歩く。いつもふたりと別れる小学校の前の丁字路の手前で、彼らに手を振って私だけ別の道を行く。普段は通らない小道を歩き、数分で目的の場所に到着する。島で唯一の写真館だ。目的の品を手に入れ、早速、封筒に入れられたその中身を覗き見る。27枚の写真とネガフィルム。
「うわあ……ほんとうに写ってる……」
思わず感嘆の声が出た。セミナーハウス内の整理をしていたときに見つけた、使い捨てインスタントカメラに残されたフィルムの現像を、試しにお願いしていたのだった。プラスチック製の玩具みたいな見た目をした、いつ購入されたものかもわからないカメラにおさめられていた写真。
どこの誰が撮ったかは知らない。他人が撮った写真を勝手に見るのは他人のスマホのカメラロールを勝手に覗くのと同じくらい失礼な気がして、写真を摘みあげる指先に躊躇いが生まれたけれど、もともと捨てられたも同然のカメラだったのだから、持ち主だって存在を忘れているはずだ。こわごわと現像された写真の束を封筒から取り出した。
27枚のうち、昔誰かが撮った写真が23枚、私が戯れに撮った写真が4枚。一枚一枚を見ていく。スマホで撮影したデジタル写真にはない陰影、どこかくすんだような色合い。フィルターをかけたみたいな独特の風合いがおもしろい。23枚は、学校での日常風景を撮影していたようだ。
今よりも若い校舎の中、教室での、昼休み。数十センチおきに並んだ机のいくつかをくっつけあって、弁当箱を広げている。男子生徒がカメラに向けてピースをしている、その手には、今はもう存在しないデザインのラベルが巻かれたコーラが握られている。クラスメイトの表情。
あるいは、おそらく文化祭の準備風景。生徒数人が床に背を丸めて、大きなパネルに向かって絵を描いている。劇でも上演したのだろう。ドレスを着た女子生徒の写真。
あるいは、町営の野球場のグラウンドを走る、白い練習着の群れ。今はなき野球部。縹高校野球部とロゴが入ったお揃いのジャージ。角が汚れた大きなエナメルバッグ。かつての高校生が笑う顔。
そして、私が撮った先生の写真。なーさんとじゅったんの写真。三人で写ろうとした自撮り写真は、スマホのインカメラとはちがってどんな風に画面におさまっているのか現像するまでわからないから心配だったけれど、案の定失敗していた。
ぶれた三人の写真が二枚。いつ撮られたものかもわからない昔の写真の中に生きる高校生と今の私たちの写真は、並べてみると驚くほどに時間の隔たりを感じられなくて、とてもふしぎだった。
翌日、現像した写真を先生に見せると「よく撮れてる」と微笑んだ。先生の写真は被写体に渡すとして、残されていた写真たちは、せっかく現像したのだから撮影者に返したい。そう言うと先生は首をひねる。
「せめていつ頃撮られたものかがわかれば、撮ったひとや写っているひとも探し出せるかもしれないけど……」
「難しいですかね」
「そうねえ。でも、せっかくだし探してみましょう。ちょっと方法考えてみるから」
「ありがとうございます」
私は先生に焼き増しした写真の束を渡した。
もし本当に、この写真に関わったひとたちを見つけられたら。彼ら彼女らは先生ぐらいの年齢になっているかもしれない。
写真なんて撮ったことも、カメラの存在もすっかり忘れて、どこかで立派な大人になっているのだろうか。




