体力づくり
続きます。
スキル発動の前に、体力づくり。
そんなわけで、朝からサラは必死に家の周りにシャルが用意したコースを走っていた。
「お疲れ様」
へろへろと疲労困憊ながらに走り続けていたサラは、家の前で待っていたシャルの声が聞こえた瞬間、その場に崩れ落ちた。
「ひっ、ふっ……うっ、ぐへっ」
「最初から無茶をしすぎなんですよ」
滑り込むように下に割り込んだシャルに抱き留められたサラを見ながら、アリスは嫉妬を隠し切れず、吐き捨てるようにつぶやく。
「けほっ、無茶、じゃ、ないし……」
「そんな死人みたいな顔して言っても説得力ないですからね?」
「生きてる、し……今は」
自虐的な言葉を告げるサラだが、その顔はひどい。青ざめ、どこか目の焦点もあっていない。噴き出した汗は玉となって流れ落ち、まるで高熱にあえいでいるよう。
「サラ、まずは呼吸を整えてください。アリスも突っかからないでくださいよ」
「「…………ふんっ」」
そろって鼻を鳴らした二人は視線をぶつけて火花を散らし始め、シャルはどうしようもないと肩をすくめる。それから、サラの膝下に腕を入れ、軽々と体を抱き上げる。
「わっ、シャル!?」
「とりあえず部屋に入りましょうか。まずは体を冷やさないように、ね」
まだまだ寒さ厳しい冬の空の下。長くいればあっという間に体が冷えて風を引きかねない。雪こそ降っていないものの、吹き抜ける風はひどく冷たく、合わせてシャルの獣耳がぴこぴこと揺れる。
抱き上げられ、突然の浮遊感に悲鳴を漏らすサラは、自分が汗臭いことを思い出して顔を赤面させる。はくはくと開閉する口は、けれど慌てているせいで言葉を紡ぐことがかなわない。
「……シャルお姉さんだって、サラを待ってずっと外にいたくせに」
サラに付き合ってランニングをしていたシャルは、「私は汗をかいていませんでしたから」と涼しい顔で告げる。その言葉がサラの心に刺さったことに、シャルは気づかない。
自分はそんなに体力がないんだ――落ち込んだサラを見て、アリスは心の中で「シャルお姉さんを手を煩わせた罰だ」と笑った。
「おはよ……サラ、だいじょうぶ?」
起床してすぐ、リビングに入ってきたドルイドは机に突っ伏して動かないサラを目にして慌てる。もっとも、シャルが余裕を見せている時点で大きな問題はないと胸を撫でおろしたが。
「…………やばい」
「どう大変なんですか!?」
過保護極まりないシャルは地獄耳を発揮。ドルイドもまたシャルの気迫にあてられて危機感を抱く。
普段であれば笑って流すサラだが、今日はそんな気力もない。
「筋肉痛と、だるさと、あと、寒い」
「暖房、足りませんか?」
「ううん、ただ、シャワーで温まった体がちょっと冷えてきて」
「髪をしっかり乾かさないからですよ。タオルは!?」
「シャルお姉さん。台所でぐつぐつ言ってるよ?」
べっとりと濡れたままのサラの髪に気づいて発狂寸前だったシャルは、台所で温め中の鍋のことを思い出して慌てて走っていく。その間にドルイドは手洗い場の方からタオルを持ってきてサラの髪を拭き始める。
「あー、ドルイド。いい感じ……」
「そのままぐちゃぐちゃになってしまえばいいんですよ」
「ひどいなぁ。せっかくドルイドが私のために頑張ってくれてるのに」
「サラのため? シャルお姉さんの手を煩わせないようにですよ。つまり、シャルお姉さんのためにドルイドが頑張っているんですよね?」
「私のためだよね?」
挟み撃ちにされたドルイドは、心の中で「似た者同士だ」と思いながら苦笑にとどめる。
ドルイドの返事が得られなかった二人はそれからも言い合いをはじめ、シャルは問題なしと判断して料理を続ける。
「できましたよ」
「はーい!」
「今すぐ行きます。……サラも、そんな無様な姿をこれ以上シャルさんの前で見せないでください」
「無様って……まあ、ちょっとはしたないかなぁ、とは思ったけど」
「無様ですよ。もしくは醜いですね」
はっ、と嘲笑い、アリスはキッチンの方へと歩き出す。
「んー、しょ、っと。痛っ」
「やっぱりシャワーだけじゃダメでしたか。しっかりマッサージしておいてくださいよ?」
「言われなくてもわかってるって。あ、もしかしてシャルがやってくれる?」
「そうですね。じゃあ食後にでも」
シャルのマッサージ。
サラは目を輝かせ、ドルイドは協力したいと力を漲らせ、アリスはまたかと嘆息する。
「僕がやってあげようか?」
「ドルイドはヒスイと特訓があるのでしょう?」
「うん。でも、少しだけ」
少し、と親指と人差し指で小さくつまむような動きをするドルイドを、シャルは温かなまなざしで見つめる。
「じゃあ少しだけ時間を取りましょうか」
「そんな無様な人は適当に踏んでおけばいいんですよ」
「それで私の筋肉にダメージが入ったら、アリスが甲斐甲斐しく、それはもう献身的に私の生活をサポートしてくれるってことだよね?」
「何で私が」
「だってアリスが提案したわけだし? あ、もしかして、これを機に目いっぱいシャルに甘えて、っていう激励?」
「意味が分かりません。あと、シャルお姉さんに手間をかけさせないでください。この出不精。引きこもり。ヒモ」
「う、ぐっ!?」
痛いところをつかれた、と胸を押さえて痛みをこらえるサラ。
「だいじょうぶ? 痛いの?」
「くっ、全ては邪知暴虐なるアリスのせいで……ッ」
「アリスが何かしたの?」
「いーえーサラの演技ですよーだ」
「演技じゃないですよーだ。聞いて、ドルイド。アリスは卑劣にも――」
「何を教え込もうとしているんですか」
「アリスがアリスなところ?」
「本当、意味が分からないです」
「アリスを書いて魔王と読むんだよ」
「何ですか、それ」
やいのやいのと言い合いながら、朝食は進む。
途中、葉野菜をサラとアリスが押し付けあう展開になり、シャルから冷気が吹き荒れ、ドルイドが二人分の温野菜を代わりに食べる。
「……二人の好き嫌いの克服のために、しばらくはリーリンづくしにしましょうか」
「そんな草、使わなくていいですよ」
「シャル、それはホウレンソウじゃないんだからね?」
ホウレンソウによく似た野草、リーリン。見た目はそっくりなそれは、けれどホウレンソウとは比較にもならないほどに強い苦みとえぐみを持つ。ただし、滋養強壮。
和食のイメージが強いシャルは、ホウレンソウのおひたしの代用としてリーリンを用いており、それに珍しくアリスとサラは二人そろって反発する。
「……素材の味を楽しむのも一興ですよね」
「素材の味なんて楽しまなくていいから」
「シチューとか、そういうのに入れるならましなんですけど……」
「じゃあ今日はシチューにしましょうか」
「っ、アリスが余計なことを言うから!」
「サラがホウレンソウのおひたし? を食べたいなんて言い出さなければそもそもこんなことにはならなかったんですよ!?」
言い合いを始めるサラたちを横目に、ドルイドは二人からもらったリーリンのおひたしをぱくりと食べ、不思議そうに首をひねる。
「ドルイドの方がよっぽど味覚が大人ですね」
「「そんなことない!」」




