祝福と故郷の味
つづきます。
大精霊との邂逅、続くシャルの耳の発現に興奮冷めやらぬサラとフィーリスを何とかなだめたシャル。続くは、二人に気圧されながらも気になっていたドルイドのお願い。
室内に戻り、シャルは遠い目をしながら椅子に座り、されるがままドルイドに獣耳を触られていた。
「ケモミミだよ、ケモミミ。シャル、何でこんな大事なことを教えてくれなかったの!?」
「……こうなる気がしたからですよ。……はぁ」
興奮したサラもまた、シャルに止めることは叶わない。よだれを垂らすその顔は、まさに恍惚とした、という表情がふさわしい様子。目を血走らせて小さく動く獣耳を見つめるその姿は狂気のそれ。
二次元に染まったサラからしてみれば、シャルの獣耳は垂涎もの。ゆえに先ほどまでシャルが腰砕けになるまで耳を触りまくり、現在は接触禁止令が出されていた。
「……悪寒がひどいのですが」
幸いなことに、白竜を出現させることでフィーリスの関心をそらすことに成功したシャルであったが、それはそれ。ドルイドはサラほどぶっ飛んではいなかったために止めるのはためらわれ、耳をつんつんと触れられるくすぐったさに小さく身をよじる。
「……くっ、感覚まで通っているなんて、なんて最高なの!? あぁ、恨めしい、どうして私にはケモミミが無いの!?」
ローザに施したように眷属化あるいは種族変更できる可能性がある――考えただけで何かを察したらしいサラにじっと見つめられ、シャルは思考を闇に葬り去る。
「そういえばシャル、ステータスに大精霊の祝福ってのが出てるんだけど、コレ、何か意味があるの?」
「……さあ?」
「さあって……シャルにも付いたんだよね?」
「以前からついていますよ。どういうめぐりあわせなのか、四季の大精霊すべてに会っているので」
普通に考えれば大精霊一体に出会うだけで幸運なことであり、四体すべてに出会うなど数奇な運命だと言わざるを得ない。ましてや大精霊から祝福を授かるなど調べてもほとんど情報が無く、祝福についてわかっていることは少ない。
「感覚的なものですが、一部の魔法技能の向上に補正がかかっている気がします。確か、ゲームでもそう……でしたよね?」
「あー、そういえばあの鹿、登場したっけ。どうだったっけ……」
冬の大精霊。氷の鹿の姿をしたあの個体は、シャルとサラの知る乙女ゲームにも登場するキャラクターである。その遭遇時のことを思い出そうとする二人だが、方や神によって植え付けられた記憶の大部分を失い、方や記憶が風化していて思い出せない。
「えっと、大精霊の祝福は、スキルの成長サポートと、祝福を受けた人がどこにいるかわかるようにする、だって」
精霊から話を聞いたドルイドの言葉を受けて、シャルは改めて四季の大精霊に遭遇したことを思い出し、その際の例外について考える。
「……春の大精霊に祝福を受けたときに光魔法を覚えたのは、スキル獲得ギリギリのところまで熟練していたから、ということなんですかね」
同時に覚えることは叶わない光魔法と闇魔法。例えスキルオーブを使用しても習得することは叶わないはずのこの二属性の魔法を、シャルはかつて身に着けていた。それはひとえに、春の大精霊の祝福によってその例外に至ったからであり、ならば、スキルの成長サポートというのはシャルが考えるよりも大きなものだということ。
今更気づいたのかとあざ笑うように、タイミングよく白竜がひと鳴きし、その声はけれどフィーリスに捕まったことによって悲鳴へと取って変わられる。
全身を撫でまわされる白竜は、神の指とでも表現すべきフィーリスの巧みな指さばきにやられ、昇天するほどの気持ちよさにくってりと力を抜く。
「氷魔法でも……覚えていませんか」
ステータスを確認。そこには魔法の一文字とて存在せず、シャルは小さくため息を吐く。おそらくは、魂の再結合による後遺症――魔法を覚えられず、使えないことは確定的かもしれないと。
先日、合間を縫ってファウスト経由で精霊王にお礼の酒類の献上をした折に会えていれば詳細を聞けたかもしれないと悔みつつも、考えていても仕方のないことだと首を振る。
「私も追加の魔法は覚えて無いね。まあ、土と火に特化している感じだから、相性的なものというか、適性が無かったのかな」
「……あ、氷魔法」
「あ、わたしも覚えてるよ!」
さすがは精霊の子どもとでもいえばいいのか、ドルイドは新たに氷魔法を覚えていた。お揃いだと告げるフィーリスは、けれどもとより氷魔法を覚えていた身。手を取り合ってわいわいと互いを誉めあう二人をよそに、シャルは獣化スキルを解除して獣耳を消し、夢の世界に旅立っていた白竜を回収して収納鞄へと放り込む。
「あぁ!」
サラの悲鳴にも似た声はすっぱり無視をして、夕食の準備をしようかと動き出す。
窓の外はすでに暗い。降り続ける雪はいまだに止む気配を見せず、風が強くなってきたこともあって窓がかすかに音を立てる。
なんとなくシャルを追って台所についていったサラは、そういえば、と冬の大精霊が口にしていた言葉を思い出して首をひねる。
「あ、大精霊の言っていた……なんて言っていたっけ」
「確か、『其方では無い者の跡を整えよ』でしたかね」
「なんか曖昧というか、小難しい言い方をしていてよくわからなかったよね。喪失って単語がゲシュタルト崩壊を起こしそうだったし」
「確か冬の大精霊は死と喪失を司る、のでしたっけ」
「冬は生き物の季節ではない、ってこと?」
おそらく、とうなずきながら調理を進めるシャル。その手元を眺めつつ、取り出された調味料を前にサラはくわと目を見開く。
「まって、醤油!?」
「はい。以前購入したものは切らしていたので、改めて買ってきました」
「醤油に、味噌……もしかして、普通に日本食が食べれる?」
「この辺りはこれまでの転生者に感謝してもいいかもしれませんね。……いえ、サラを傷つけた彼らに感謝するなんて虫唾が走りますが」
「あぁ、転生者が集まれば開発くらいわけない、のかな」
「それなりに長く生きていたみたいですしね」
ちょうどいい、とシャルはフィーリスを呼び、少量のお湯で溶いた味噌を差し出す。
「不思議な香り?」
「調味料です。それなりに癖もありますし、苦手だったらフィーリス用に別のを作るので味見をしてみて下さい」
「変わってるけど、嫌いじゃないよ。ええと、落ち着く香り?」
「ならよかったです。ドルイドとの話を邪魔してすみませんね。」
「ううん、いいの」
走り去っていく背中を見送り、シャルは手早く調理を進める。味噌や醤油があるのなら大豆があり、ならば豆腐もある。
取り出されたその白い柔肌を見た時点でサラのテンションはマックスだった。
「いいね。こう、普段はあまり意識しないというかさ、ファンタジーって感じだから頭に上らなかっただけかもしれないけど、やっぱり私の中にも和食が故郷の味としてしっかり腰を据えてるって不思議な感じ」
「きっともう少し生活というよりは心に余裕があれば、私も和食を欲していたかもしれませんね」
サラもシャルも、その体は日本で生きていた時のそれではなくて、故に舌が日本の料理を覚えていたわけではない。当然のことながら、味覚も嗅覚も、かつてとはやや異なっている――魂に残っていた記憶をもとに生み出されたサラの肉体の詳細は不明ではあれど。
だから例えばシャルの体は海藻を十分に消化吸収できず、けれどそれでも、かつての食事を不味いなどとは感じない。味噌や醤油の香りをきついとも思わない。
思い出したくないほどの記憶の中にも、魂に刻まれるほどに大切な時間があったのだと。
理解し、複雑な顔をするシャルの頭を、サラは無意識のうちに撫でていた。
「……あの、サラ?」
「はっ!? もしかして、体がケモミミを欲して禁断症状が……!?」
「……自分の耳たぶでも触っていたらどうですか?」
「私の耳は毛皮で覆われてないじゃん。あのふわふわ感と、こりっとした骨の感触、ぴくぴくと動く感じとかがたまらないのであって、ただ耳を触りたいわけじゃないんだからね!?」
ジト目を向けるシャルに言い訳をしながら、サラは「よかった」と胸を撫でおろす。
サラにとっても、シャルにとっても、日本で生きていた時のことを思い出せば、どうしてもそこには辛い日々があって。今が幸せで、ならば過去のことを思い出して心を痛める必要はない。
バカな発言をして空気を換えることに成功したサラは、改めて、今度は感謝の気持ちを胸に、そっとシャルの頭を撫でる。
よく頑張りましたと。もう大丈夫なんだから、と。
料理をしにくそうにしながらも、シャルはサラの手を跳ねのけることはなく、移動するたびに後ろにサラを引っ付けながら作業を進めた。
そうしてその日、故郷の味にサラは目じりに涙を浮かべ、フィーリスは新たなお気に入りの味を発見して目を輝かせた。




