たった一つ、これさえあれば
背中を押してシャルの案内をしながら、ミッチェルはいくつもの屋台に臨み、時にシャルを笑わせ、時に呆れられ、時に手を合わせて高く音を鳴らした。
楽しい時はあっという間に過ぎていって、そのころにはすっかり空は暗くなっていた。
「……もうそろそろですね。移動しましょうか」
「移動ですか?」
「はい。今日のメインイベントのためには、ここでは少しもったいないですから」
屋台の並ぶまばゆい通りから、シャルの手を引いて歩き出す。
一歩路地に踏み込めば、背後のにぎやかな声が心に寂寥をもたらす。
祭りはもう、終わりも近い。
それはこの楽しい時間の幕引きを意味し、あるいはシャルと一緒にいられる時間の終幕を示すもの。
「……シャルさんは、学園を卒業したらやっぱり冒険者として活動するんですよね?」
薄暗い道。背後から照らす明かりを頼りに隘路を進みながら、振り返ることなく尋ねる。
「そう、ですね」
若くして1級冒険者に至った鬼才。
シャルの歩む道は、学園前から変わっていない。
高位冒険者ともなれば、半分貴族として生きる道もある。家名をもらい、家を興し、騎士や宮廷魔法使いとして仕え、功績をあげていく。
その未来をシャルが選ばないことなど、ミッチェルはとっくにわかっていて。
それでも心の中に生じる「もっと一緒にいられませんか」という問いをぐっと飲みほし、シャルの腕をつかむ手の力を強める。
行ってほしくなかった。離れてほしくなかった。ずっと、親友で居てほしくて、近くにいてほしくて、時々会っていろんなことを話したくて。
けれど、シャルとミッチェルが交わる時間は、この学園の短い期間だけ。
立場も進む道も、何もかもが違う二人は、きっとこの先で二度と同じ道を歩むことはない。
そう思うと、ミッチェルはたまらなく悲しくなるのだ。
「……やっぱり、行っちゃうんですよね」
ひどい鼻声。
そうわかっていても、叫びだしたくなる心は言葉を止めない。
必死に思いを押し殺す一方で、どうかこのままラーデンハイド王国に残ってほしいと、未練がましく望んでいる。こんな自分の思いを察してほしいと、シャルに示さずにはいられない。
シャルは、何も答えなかった。
それは、ミッチェルへの拒絶ゆえではない。ミッチェルにとってつらい決定を告げるためでもない。
ただ、決まっていないから。
決めるべき核がまだ、シャルの中にないから。
沈黙は重い空気を漂わせ、ただ、ミッチェルのしゃくりあげるような呼吸だけが喧噪をバックに響く。
誰もが祭りに向かう中、ミッチェルとシャルはそうして学園へと舞い戻る。
いぶかしげな門番の視線を感じながら敷地内に入り、校舎の一つへと足を向ける。
床を踏みしめる二つの足音だけが、どこか寒々しく校舎内に響く。
人のいない校舎は伽藍洞で、反響する足音は虚しさを強める。これがじめっとした夏デあれば怪談じみた空気になったのかもしれないが、今のミッチェルの心境では悲しみを強めるばかりだった。
鼻をすする音を響かせながら最上階へと続く階段を上り、さらに先へと向かう。
下の階よりも短い四階の階段の突き当り、扉を開いた先にあるのは、三階の屋根スペースを利用した簡単な展望スペースだった。
夜闇に沈む屋上は、遠くの祭りのかすかな光の中に浮かび上がっていた。
風よけの塀と植物。並ぶ丸テーブルの一つ、端に最も近い椅子に腰かけ、ミッチェルは隣の席をシャルに勧める。
「……学園にこんなところがあったんですね」
「今年からですよ。それに、今夜限りです」
「今日の祭りのためにですか。こんな場所に?」
「特等席なんですよ。それを勝ち取ったことをほめてください」
「ええと……よく頑張りましたね?」
「うぅ、疑問形じゃなければ完璧でしたよ」
むくれて見せるミッチェルに苦笑を浮かべながら、シャルは遠くに広がる祭りの光景を眺める。
郷愁を訴える胸に自然と手を当てながら目を細め、耳を澄まして懐かしい音を探す。
よく似た屋台があっても、さすがに全く同じような祭囃子が聞こえてくることはない。笛の音も、太鼓の音も無く、けれどシャルの心の中では、かつての音声が流れていて。
「……シャルさん?」
すぐ隣に、シャルはいるはず。
それなのにミッチェルには、シャルがひどく遠いところにいるように思えた。
無意識のうちにシャルへと伸ばしていた手を、はっと引っ込める。
その動きに目を瞬かせながら、シャルはまっすぐにミッチェルを見る。
「そういえば、特等席と話していましたよね」
「あ、ええと、はい。シャルさんは新年祭は詳しくないんですよね」
「各地を旅してきましたけれど、いわゆる祭りには一度も参加したことがありませんね」
本当に?とミッチェルは心の中でシャルの言葉を疑う。
だって、先ほどシャルが見せた目は、何も見たことのない人のものではなかったから。
同じように祭りの景色を見て、その顔を思い出して、そこに何かを探す目だった。
であれば、以前同じように遠くから祭りを見て、いつかあのにぎやかな輪の中に入りたいと思っていたのだろうかと考える。
とたんにシャルを喧噪から連れ出してしまった申し訳なさが強まり、ミッチェルは苦しい気持ちを飲み込みながら遠く、真っ黒な空を見上げる。
「ラーデンハイド王国の新年祭は、他国よりも特別に華やかだと言われているんです」
「華やか……屋台ですか」
「いいえ。確かに屋台もたくさん出ていますけれど、華やかだと言われるゆえんは、お祭りのメインイベントです」
ラーデンハイド王国は鉱山の国だ。鉱物に恵まれたこの国はそれらを用いて作った武器で自軍を固め、その武力で国を勝ち取り、これまで繁栄を続けてきた。
そうした鉱物の使用は、けれど武器だけに留まらない。
日用品や装飾品――産出する宝石をも利用したそれらは他国でも高い評価を得ていて。
けれど鉱山の国であるラーデンハイド王国が最も知られている最大の特産品はといえば。
「そろそろですね」
ミッチェルの言葉を裏付けるように、ひゅるるる、と風を切る音が王都に響く。
とっさにシャルが身構えたのは、その音を砲弾か何かだと考えたから。
けれど隣に座るミッチェルは普段通りで、じっと空の一点を、目を凝らして見つめていた。
わぁ、と歓声が上がる。
尾を引くように軌道を空に刻む炎の筋。それはわずかな白煙を残して、一瞬無音になって。
パアアン――破裂音とともに、空に大輪の花が咲いた。
「鉱物の産出に優れ、鉱物の知見に秀でたラーデンハイドの叡智の結晶……なんて、あの美しくも儚い花火を前に無粋ですよね」
色とりどりの花が、順に空で大輪を描く。
鉱物が織りなす七色の煌めきは一瞬にして観衆の心をつかみ、消えてはまた、新たな花が魅了する。
橙色一色のもの、緑と青、赤、白。
連続して打ち上げられるそれらは王都郊外で打ち上げ得られ、その火薬の香りは離れたシャルたちのところまで届く。
「これを、一緒に見たかったんです」
ミッチェルとシャルが一緒にいられるのは、学園生活の間だけ。
それが終われば、シャルはミッチェルの手に届かない遠くに行ってしまう。身分的にはミッチェルが遠くへ行く側なのだか、1級冒険者という地位の前ではミッチェルなど吹けば飛んでいく塵芥に等しい。
そんなシャルに、本当はずっと隣にいてほしくて。一緒にいたくて。もっといろいろなことをしたくて。三年生の間だって、本音を言えば、たくさんの時間をともにしたかった。
けれど、そんなことは言えなかった。
シャルは、自分を救ってくれたヒーローで。
そして同じように誰かを救う英雄でもあるのだから。
なら、送り出さないといけない。
シャルを引きとどめる存在になるのではなく、ただ、背中を軽く押して、大丈夫だよと胸を張って手を振りたい。
そのために、あと一つ、たった一つ、大切な思い出が欲しかった。
これからを生きていく力になる確かな愛おしい時間が欲しかった。
「綺麗ですよね。……わたしはきっと、今日のこの光景を忘れないと思います」
シャルさんは、どうですか?この光景を、忘れないですか?わたしと一緒に見た記憶を、ずっと、大事な思い出の一つとして胸に刻んでいてくれますか――




