ただそれだけの話
つづきます
フィーリスたちが過ごす物語世界は、現実の数倍の速度で進む。とはいえ物語世界では軽く数か月ほどの時間が流れるため、現実世界で換算しても数時間がかかる。
学園長室に留まることを選択したレイモンドとシャルは、互いに学園長作の小説を手にしていた。
時間つぶしのために読書を進めるシャルの表情は、ページが進むほどに険しくなり、やがてその手がぴたりと止まった。
「…………」
ソファに座るシャルは、苛立ちのままに本を握りこむ。
表紙が避け、ページが破れたそれをテーブルの上に放り出し、険しい表情で学園長をにらむ。
「当てつけのつもりですか?男を見る目が無いと。……あるいは、星を詠めてなどいなかった、と」
怒気を放つシャルに気圧されたレイモンドは言葉を紡ぐこともできず、睨まれている学園長へと視線を向ける。
この場でシャルを止められるとすれば学園長以外にはいない。そもそもシャルが何にい怒りを覚えているのかも不明で、だからすがるように学園長を見て。
そこに座る老齢の男は、ほんの少しだけ驚きに目を見開いてシャルを見ていた。
「悪意を持ってこれを書いたのなら……殺します」
淡々と告げるシャルの声音は、だからこそ本気であることがうかがえる。ちらとテーブルの上に向けた視線の先、シャルがゆがめた一冊の小説がある。
『花園の姫と灰かぶりの騎士』――それは現在フィーリスたちが入っている物語世界を生み出した小説。そこに綴られた内容は、シャルの精神を逆なでするものだった。
1級冒険者の怒りを向けられ、それでも学園長は慌てふためくことはなく、その目を伏せてシャルが破いた小説を手に取る。
ぱらぱらとページをめくる手は、とある女性の登場シーンで止まる。
「……アンネリーゼ。直接的にもほどがありますよね。嘲っているのですか?」
「君は、怒りを覚えるのだな」
「…………」
一瞬にして殺意を消失させたシャルは、深く考え込む体勢に入る。
話についていけていないレイモンドは二人の間で視線を左右させる。
「ノストウェイ侯爵、君はその本を読んでどう思った?」
「どう……ああ、ラーデンハイド王国が舞台、ですよね?言及こそされていないものの、水鏡の間が出てきて時点で確定的だと思いましたが」
「その通りだ。この作品の舞台はラーデンハイド王国の王城だ。そして、登場人物にはモデルがいる」
「…………はぁ」
マリアンがいれば鼻息を荒くしただろうなと思いつつ、レイモンドは「だからどうした」と首をひねる。小説を書くということについて詳しくなくても、登場人物にモデルとなった人がいるというのは普通に理解できること。そうして執筆したのかと納得こそすれど、この話の誘導がどこに続くのか、レイモンドには想像することも叶わなかった。
ちらとシャルを見れば、まだ眉間に深いしわを刻んで考え込んでいた。顔に当てた手で口の端を叩く動きに合わせてちらと唇がわずかに見えるのが、何かいけないものを見ているような気にさせる。
慌てて視線をそらしたレイモンドは、シャルの怒りと作品、そして登場人物のモデルについて、思考をつなげようとする。点でバラバラなパズル、それも全体像を予測することすら困難な状況とあっては、思考はとっ散らかるばかりで意味のある答えが浮かんでくることはない。
自分には手持ちの情報だけでは考えつけないと理解して。
同時にレイモンドは、シャルが自分にはない何らかの情報を持っている、あるいは気づいているのだと把握した。
そういうことですか、と。
小さく聞こえた言葉にレイモンドははっと顔を上げる。
何に気づいたのか、問いかける視線に、シャルは目を合わせることなくまっすぐに学園長をにらんでいた。
「…………これは、踏み絵だったわけですか」
「あぁ、そういう理解で構わない。誤魔化しはしないのか」
「今更でしょう?……もう少し早く気づけていれば違ったのでしょうけれど」
「踏み絵?誰かを判別するための?」
二人だけで分かったように語る中、置いてけぼりになっているレイモンドはとっさにシャルの言葉を拾う。
踏み絵――信仰をはかるための道具。だが、この本によって調べることができるのは、せいぜい花灰と略されるこの小説そのものに深い愛を抱いているマリアンのようなものを見つけ出せるくらい。
あまり小説を読むタイプには見えないシャルとこの作品は、まだレイモンドの中で結びつかなかった。
「高名な占術師……こちらもモデルがいるんですよ」
「……星詠みのフィラメル様」
「ええ。ヒロインの師匠、そして星詠み、星詠みに混じる一点の闇。そして何より、ヒロインに『アンネリーゼ』と名付けるあからさまな行為……腹立たしいほどに的確ですよね」
深くため息を吐いたシャルは、だらしなく背もたれに体を預けて天井を見る。そこに灯る魔道具の明かりを、目を細めてぼんやりと眺める。
だらけ切った、あるいは諦めたようなシャルのふるまいをいぶかしみつつ、レイモンドは答えを求めるように学園長を見る。
「……フィラメルは、我が生涯の友だ。彼の最期に立ち会ってくれたこと、感謝する」
「そこまでお見通しとなると、薄々気づいていたわけですか。だから、今回のヒスイの計画に乗った時、ほかでもないこの小説を用いたと」
「ああ。今更であるとはわかっていた。これは私の独りよがりな納得のための詮索だ。ここに彼が残ったことが少し想定外ではあったが」
「別に構いませんよ。ノストウェイ侯爵であれば理解してくださるでしょうから」
「……僕が?」
「ええ。どうせすでに事情を知っている者も増えましたし、むしろ彼女の理解者になってくれる人が増える分には好都合ですから」
改めて姿勢を直したシャルは、学園長室の一角で存在感を主張する光の繭のような球体を見ながら口を開く。
「この作品……花園の姫と灰かぶりの騎士、でしたか。これは一人の女性に関係した人物を見つけ出すための踏み絵のようなものなんです。その人物はこの作品を前にして激怒するはずの人物……つまり、私を見つけだすためのツールです」
「シャル一人を?なぜ?」
「そのあたりは執筆者本人に聞くべきでしょうね。……私の母の存在を汚すようなコレを執筆した人に」
ラーデンハイドを舞台にした作品。星詠みを可能とする占術師フィラメルの弟子であり、未来を見通す星詠みを不発に終わらせるシャルという人間に関わりがある女性。後宮に務めるということは身分のはっきりした女性、つまりは貴族女性であるとあたりがつけられる。
そして、この作品が踏み絵足るには、踏む者に――読んだ者に、何らかの反応をさせる必要がある。
そのための劇薬がヒロインの「アンネリーゼ」という名前。
「女狐の名前を付けてシーラ・ヴァン・ガードナーをヒロインとして登場させた理由を聞かせてもらいましょうか」
「……ガードナー?」
「私の昔の、今は彼女に譲った名前が、シャーロット・ヴァン・ガードナーだったという話ですよ。そして、このヒロインは私の母をモデルにしています。ですよね?」
目を回すほどの情報に翻弄されつつ、レイモンドはちらと学園長を見る。
どこまでが本当なのか。もしそうだとしてなぜシャルの母をモデルに小説を書いたのか。
尋ねたい気持ちは強く、けれど自分が部外者であることを認識してレイモンドは口を閉ざす。
「……フィラメルに頼まれたのだ。いつか、彼女の子の力になってやってほしい、とな。だが、その機会は永遠に失われたはずだった」
「母とともに死んだと思われていたわけですからね。……で、見つかった『シャーロット』に違和感がありましたか」
「一目でわかった。彼女はシエラ嬢の娘ではないとな。何より、未来をたやすく占うことができたのが答えだった」
かつて、フィラメルはシャルの未来を不完全に占うことしかできなかった。その理由は超常の力の持ち主がシャルに干渉したからだと。
シャル自身はその言葉を、神が転生に際して自身に干渉したからだと理解した。
シャルは未来を見通せない存在であり、逆に言えば未来を見通せればシエラの子ではないということ。
未来を詠めない人物が弟子の娘となることを知ったフィラメルは、友人であった学園長に後を託して姿を消した。
だが、その頼みを達成することは叶わず、本当のシャーロットは生死不明になった。
「で、今更暴いて、何か得られましたか?」
「ただの自己満足だと話しただろう?いわばこれは、己の罪の意識を軽くするための行為にすぎない」
死者の願いから解放されるために、学園長はシャルの正体を暴いた。
これは、ただそれだけの話。
大儀もなく、意味もなく、誰かの人生を変えるわけでもない、ただの些事。
だが、二人の話を些事だと流すことのできない者が、この場には居合わせてしまっていた。
「……頭がこんがらがりそうなんけど」
「あぁ、リリエンタール様も知っていますよ」
「クロノワールが?」
知人も知る秘密だった――そのことは、幾分かレイモンドの気持ちを軽くさせた。
一人で抱え込むには思い秘密で、だが、共有できる者がいると知れば話は違う。
「別に大した話でもありませんよ。ただ、今のシャーロット・ヴァン・ガードナーがかつては違う人物として生きていたという、ただそれだけのことですから」
「それだけ、っていう話でもないよね」
「それだけですよ。私は別の人間として日々を謳歌していて、彼女もまた幸福に生きている。だから、ただそれだけと流すべき過去の話なんですよ、これは」
達観した様子のシャルの言葉に、レイモンドはもう何も言えなかった。
無言を貫くのはシャルと学園長も同じで、沈黙は純白の光の繭が解けるその時まで続いた。




