ボス部屋
前を行く小さな背中。
背負ったカバンは小さく、けれどその足取りに不安はない。
魔力量からしておそらくは収納鞄。そんなものを持っている時点で只者ではない少女は、整った顔立ちをしており、少し荒れているものの、苦労を知らずに育ったもの特有の手つきをしていた。
――自動復元スキルで完璧なスキンケアをできてしまうシャルが言えることではなかったが。
「彼女、どう思いますか?」
「どう、とは?」
「この場にいる理由と……身分です」
「まあ、いろいろと困難な人生を歩んでいそうであるな」
それだけか、とシャルはいぶかしげな視線をガンフィールドに向ける。
明らかに高貴な身分であることを伺わせる荷物や外見。そんなものが手を擦り切れさせながらも一人でダンジョンに潜る、そこに異常さを見いだせないことこそが異常だと、そう言いたげに。
それに対して、ガンフィールドは何を言っているのかと阿呆を見るような眼をする。
「何か?」
「いや、昔のシャル様はきっと、あんな人間だったんじゃないかと思っただけだ」
「…………違いますよ」
貴族でありながら貴族とは程遠い状況に置かれていたシャルと目の前の少女には、確かに通じるところがあるかもしれなかった。
だが、両者の間には明確な差異が存在するとシャルは思う。
それは、おそらくは地位への拘泥の差であり、己の価値の評価の違い。
「自分に価値があると語るあの背中は……過去の私とは違ったと思いますよ」
「それは、自分には価値がないと思っていたということか?」
問いに、シャルは何も言わずに肩をすくめて返す。
言葉は、どうして死なせてくれなかったのかという神への恨みを抱いていたかつての己を回顧してのもの。
あるいは、人形と揶揄された、魂の入っていなかった肉体ばかりの状態の「シャーロット」を指してのこと。
眉間に深いしわを刻むガンフィールドは、結局それ以上何かを告げることはなく、前を行くノーマンと、その後を追うユッテの背中を眺め続けた。
ダンジョンの攻略は順調に進み、それ以降遭遇する敵はノーマン一人でも切り抜けられる相手ばかりだった。
勇気と無謀をはき違えた若者の悲鳴も聞こえてこなければ、ユッテが泣き言を告げることもない。
こうなってくると、シャルは「なぜ自分はこんなところにいるのだろうか」と考えるようになってきていた。
順調な攻略。これまでだって、危機的状況はあったものの、それは本来のノーマンとガンフィールドなら容易に乗り越えられる程度の障壁だった。
壁は壁になりえず、艱難辛苦からは程遠い。
ならば、シャルが攻略に加わる理由はない。
「……見えたな」
そこまで考えたところで、シャルははっと顔を上げる。
ダンジョン内で注意が散漫になっていた己を恥じながら、シャルは目の前にそびえる扉を前に視線を鋭くする。
「ボス部屋、ですか」
「正確には、最奥に続く部屋だな」
「……ボスの討伐自体が必須ではないタイプですか」
ダンジョンの中には、まれにボスを呼ばれる個体が存在するタイプがある。
その多くはダンジョンの奥に続く場所に陣取っていることが多く、扉付きの部屋であったり、あるいは開けた空間であったりするが、それはさておき。
そのボスの討伐がダンジョンの踏破に不可避な場合があり、それがダンジョンのランク付けに大きく寄与している。
そんなボスの一つともなれば、シャルの警戒心も非常に強まる。
道中Cランクまでの魔物が確認されている現状、最低でもボスはCランク、高ければBランクの魔物。
Bランクともなればノーマンでは討伐は不可能といってよく、ガンフィールドでも困難さがある。
ボス部屋の扉を見上げて呆けたような背中をさらしているユッテを見ながら、シャルはちらと横を見る。
「私を呼んだのは、ボスを倒して確実な攻略をするためですか」
「まあ、な。討伐の必要性がないとはいえ、横を潜り抜けるなんて無茶をする必要はないだろ?あとは、討伐すると全員が所有者固定を手にできるからだ。通常は一人だけなんだよ」
「そういう制約はあったわけですか」
情報の共有がなっていないとにらみつつ、シャルはそっと剣の柄に片手を添える。
「魔物は何ですか?」
「スプリガン」
「……堕ちた妖精ですか。面倒な相手ですね」
あらゆる生命と子をなしうる妖精。魔物とは波長が合わない彼らだが、ごく稀に魔物と子をなすか、あるいは魔物の因子を取り込んだ妖精が生じてしまうことがある。
そのような堕ちた妖精は、精霊の力を使う危険な存在としてBランクの魔物に指定されている。
「魔法は、土ですか」
「ああ。それから、厄介な術を使う。最初はダンジョンのギミックかといわれていたが、おそらくは魔術だ」
「魔法陣、魔力回路……土魔法」
面倒な敵であるという予感をひしひしと感じながら、シャルは近づく激戦を前にちらと背中のドルイドを見る。
フードを目深にかぶっていたドルイドは、シャルの視線に気づいて嬉しそうに笑みをこぼす。
「ドルイド、ここで待って――」
「いや」
すん、と一瞬にして表情を消したドルイドの拒否に、シャルは少しだけ時間を止める。
「危ないんですよ。ドルイドを守れるかどうかもわからないくらいに」
「いや。いっしょにいる」
「私の力不足で、ドルイドを傷つけるわけにはいかないんですよ」
「どうして?」
「…………?」
無垢な問いに、シャルは目をしばたたかせる。
どうして、かと。
唇を軽く舐めて、シャルは立ちはだかる高さ五メートル近い観音開きの扉を見つめる。黒々とした金属製のそれには、嵐を思わせる無秩序な模様が刻まれており、扉の先に待ち構える者の強さ、あるいは苛烈さを伝えている。
「……ドルイドを、守りたいから、ですかね?」
守ると心に誓ったから。
けれど、だからと言ってドルイドをこの場所まで連れてきている自分は矛盾しているのではないかと思って。
思考は、ドルイドの続く問いを前に霧散する。
「どうして?ぼくをまもりたいの?」
「ドルイドが傷つくのを、私が嫌うからです」
「ぼくがいたいといやなの?」
まっすぐな目が、シャルに突きつける。
義務感からではなく、ドルイドを守ろうと思っている己の心を。気持ちを。
それは、悪いものではなかった。
守らなければいけないという使命感よりもずっと心地よく、安らぎ、だからこそ覚悟を決めさせるもの。
「そうですね。そう、だと思います」
「すっかり保護者だな」
「…………他人事ですね」
「他人事だからな。シャル様がガードナー家に戻ってくれるのなら、自分事になるけれどな」
どこか生温かい空気を吹き飛ばすように話に割って入ったガンフィールドは、ドルイドににらまれながらも豪快に笑う。
そのことによってようやく金縛りから解放されたユッテは、小さく体を震わせながらシャルたちのほうを見る。
「シャルさん。お願いできますか?」
「そのために私を呼んだのですよね?」
「万全を期すためには必要でしたから」
漆黒の刃を抜き放ち、シャルはユッテとノーマンの横を通り抜けて先へと行く。
「ユッテは一番後ろにいてください。シャルさんと俺が守りますから」
「私は守りませんよ。魔物を殺すだけです」
「……俺とガンフィールドが守りますから」
「俺もか。せっかくシャル様と共闘できると思ったんだけどな」
ともすればのんきとも受け取れる余裕さに、ユッテは理解できないと眉間のしわを深くする。
「……おかしいでしょ」
「おかしい?」
「お守りのその人が一番前って、わけわかんない」
「一番強い人が一番前に出るだけの話ですよ」
「じゃあその子どもが引っ付いているのは何なのよ」
「……まあ、そういうものですよ」
説明を投げたノーマンを睨むユッテは、その視線をシャルとドルイドにも向ける。
ユッテは、扉に圧倒され、あるいは扉の向こうから漏れる威圧に飲まれていた。
合わない歯の根がカタカタと鳴る中、道中と何ら変わらない余裕を見せるシャルたちが、ユッテには理解できなかった。
異星人、あるいは、狂人。
化け物を見るような眼で自分を見てくるユッテを無視して、シャルは扉へと歩み寄る。
片手に可変剣を、もう一方の手には何も握らず。
「しっかりしがみついていてくださいよ」
背負うドルイドに声をかけつつ、シャルは分厚い扉に手をかけた。




